『あん』(ドリアン助川)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2018/08/05
『あん』(ドリアン助川), ドリアン助川, 作家別(た行), 書評(あ行)
『あん』ドリアン助川 ポプラ文庫 2015年4月15日第一刷
線路沿いから一本路地を抜けたところにある小さなどら焼き店。千太郎が日がな一日鉄板に向かう店先に、バイトの求人をみてやってきたのは70歳をすぎた手の不自由な女性・吉井徳江だった。徳江のつくる「あん」の旨さに舌を巻く千太郎は、彼女を雇い、店は繁盛しはじめるのだが・・・。
偏見のなかに人生を閉じ込められた徳江、生きる気力を失いかけていた千太郎、ふたりはそれぞれに新しい人生に向かって歩き始める--。生命の不思議な美しさに息をのむラストシーン、いつまでも胸を去らない魂の物語。(ポプラ社解説より抜粋)
文庫の裏書には「生きる意味とはなにか」とあり、続けて「深い余韻が残る、現代の名作」とあります。第25回読書感想画中央コンクールの中学校・高等学校の部の指定図書にもなったこの本は、揺れ惑う青春期にいる少年少女らにぜひ読んでもらいたい一冊です。
主人公の名前は、吉井徳江。徳江は満で76歳という高齢で、指が鉤のように曲がっています。笑うと肌の下に硬い板かなにかを隠しているように右の頬が引き攣り、そのせいで左右の目の形が違って見えます。
・・・・・・・・・・
千太郎が任されているのはどら焼き専門の店「どら春」で、店先に貼り出した求人広告を見てやってきたのが吉井徳江という年老いた一人の女性。いまどき安すぎる時給600円のアルバイトを自分で値切り、半分の300円で雇って欲しいと言います。
千太郎は何度も断るのですが、徳江はめげずにどら春に通います。時給は200円でいいと徳江は言い、「そういうことではない」と千太郎が言い返せば、今度は自分が作った〈あん〉を持って来ては食べてみてくれと置いて帰ります。
一度はタッパーごとゴミ箱に放り入れた千太郎ですが、義理立てにと思い直し、引き揚げた容器を開けてつまんでみたら、これが思いもよらぬ代物で、香りも甘味も奥が深く、予想外の広がりで、どら春で使っている業務用とは比較にならない旨さです。
〈あん〉だけ作って接客なしの時給は200円 - これで徳江はどら春で働くことになります。「接客なし」というのは千太郎苦肉の策で、徳江の曲がったままの指がどうにも千太郎は気にかかり、客に対し、どうあっても徳江の指は見せたくなかったのでした。
50年ずっと〈あん〉を作ってきたという徳江の言葉に嘘はありません。それまでの千太郎のおざなりな方法をやんわりと否定しながら、徳江は小豆を丁寧に炊いてゆきます。茹でる前から一粒ずつを丹念に見つめ、コンロにかけてからも、その姿勢を崩そうとはしません。
「〈あん〉は気持ちよ、お兄さん」 炊きあげられた小豆は綺麗で、しわがなく、ぴんと張っています。はっきりと技量に差がある仕上がりに千太郎は目を奪われ、そのうち彼はあん作りに熱中するようになります。
徳江の手でどら春の粒あんは劇的に変化し、次第に評判を呼び、売上が増えてゆきます。忙しくなり、売れる日には腰を伸ばす暇もなく生地を焼き続けなければなりません。しかし、千太郎は休もうとはしません。休まない、彼には彼の理由があります。
・・・・・・・・・・
徳江は、若い頃にらい病(ハンセン病) を患っています。とうの昔に完治しているのですが、指の彎曲や顔の引き攣りはどうすることもできません。終生消えない、後遺症なのです。
改めて徳江が申告した住所を確認すると、そこはハンセン病の人たちを隔離するために作られた国の療養所がある場所だということが分かります。「天生園」と名付けられた療養所から、徳江は毎日どら春へ通っていたのでした。
一旦は繁忙を極めたどら春ですが、徳江に対するあらぬ誤解と噂のせいで、売上は日を追う毎に下降線をたどります。千太郎はオーナーから繰り返し徳江を辞めさせろと言われるのですが、彼にはそれが理不尽に思えてなりません。徳江の病気は40年も前に、既に完治しています。
そんな折、徳江の方から、どら春を辞めたいという申し出があります。
※ここから先、いよいよ徳江の半生が明かされてゆくわけですが、その内容は聞くにはあまりに痛々しく、残酷さ故泣くより先に胸を衝かれて怯みます。彼女は14歳にして、生きながら「生きる意味さえ見出せない」場所へと封じ込められてしまうのでした。
彼女は静々と自らの来歴を語ります。聞いているのは千太郎と他にもう一人、ワカナちゃんというあだ名の女の子。彼女はかつてどら春の常連で、徳江に対し、直接指のことを訊ねた唯一人のお客さんで、徳江が発病した歳より1つ上、15歳になったばかりの少女です。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆ドリアン助川
1962年東京都生まれの神戸育ち。
早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒業。
作品 明川哲也の筆名で「メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか」「花鯛」など
ドリアン助川で「バカボンのパパと読む「老子」」「ピンザの島」「多摩川物語」他多数
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