『あひる』(今村夏子)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/12 『あひる』(今村夏子), 今村夏子, 作家別(あ行), 書評(あ行)

『あひる』今村 夏子 書肆侃侃房 2016年11月21日第一刷

あひるを飼うことになった家族と学校帰りに集まってくる子供たち。一瞬幸せな日常の危うさが描かれた「あひる」。おばあちゃんと孫たち、近所の兄妹とのふれあいを通して、揺れ動く子供たちの心の在りようをあたたかく鋭く描く「おばあちゃんの家」「森の兄妹」の三編を収録。読み始めると心がざわつく。何気ない日常のふわりとした安堵感にふとさしこむ影。第155回芥川賞候補作 -【新たな今村夏子ワールドへ】(帯文より)

何だかあやしい気配がします。なんでもない「ように」思うのですが、時折不穏な空気が漂い、心がざわざわします。至極普通なのに、普通だけでは済まない何かを孕みつつ、物語は淡々と進んでゆきます。

あひるは、「のりたま」と名付けられています。父が働いていたころの同僚の新井さんから譲り受けたもので、二羽いたはずのニワトリがいなくなったあとのニワトリ小屋を整え、それをあひる小屋とし、父と母は一羽のあひるを飼い始めます。

のりたまはあっという間に近所の子供たちの人気ものになります。毎日のように子供がのりたまに会いに来ると、父と母は彼らを優しく招き入れ、お菓子やジュースを振る舞うようになります。

ある日、最初来たのりたまが死ぬと、そのことは誰にも告げられないうちに、次ののりたまがやって来ます。やがてそののりたまも死んでしまうと、次に家に来たのは明らかに前とは違う太ったのりたまでした。

娘の「わたし」、のりたまを見に来る子供たち - 誰もが、そのことについては何も言いません。相変わらず子供たちはやって来て、騒ぎ立て、娘の「わたし」は何も言い出せないでいます。

やがて、状況はエスカレートしてゆき、父や母が叱らないのをよいことに、子供たちは好き放題に過ごすようになります。そのうち段々と、家は子供たちの溜まり場のようになってゆきます。
・・・・・・・・・
「あひる」が描き出すのは、一見平凡なように見える日常の裏側にある小さな綻びや、否応のない「棘」のようなものです。

通り一遍に読むと読み過ごしてしまいそうになるのですが、娘の「わたし」は無職で独身、家に籠って(医療系の)資格試験の勉強をしています。しかし、続けて二度の試験に落ち、次で三度目の挑戦になります。「わたし」はまだ仕事をしたことがありません。

弟の将太は、明るくてわがまま、子供のころは家族の太陽のような存在でした。しかし、反抗期を迎えてからは悪い友達に誘われて、万引きやカツアゲ、気に入らないことがあるとすぐに暴力をふるい、何かと問題が多かったのですが、

はたちを過ぎると徐々に落ち着き、今は市内のアパートでひとつ年上の奥さんと二人で暮らしています。仕事が忙しいと言い、最近では顔を見せに帰ってくることもほとんどなくなっています。弟夫婦には、まだ子供がいません。

口には出さずとも、父と母が孫をまちわびていているのが手に取るようにわかります。その気持ちがのりたまに会いに来る子供たちに向けられ、話が微妙にややこしくなってゆきます。

大人だけならおそらくこうはならない - ここにあるのは、大人の切ない胸の内など知るはずもない子供らの容赦のない言動と、そうとは知りながら見過ごす他ない、悲しいだけの大人の矜持であるように思います。

ラスト間際に登場する三輪車に乗った小さな女の子は、母に向かって、また「わたし」に向かって、答えようのない質問をぶつけます。結局のところ、四番目ののりたまはやって来ず、「わたし」はまた試験に落ちます。

この本を読んでみてください係数  85/100

◆今村 夏子
1980年広島県広島市生まれ。

作品 「あたらしい娘」(「こちらあみ子」に改題)で第26回太宰治賞を受賞。本書の単行本で第24回三島由紀夫賞を受賞。2016年発表の「あひる」は第155回芥川賞候補。

関連記事

『海の見える理髪店』(荻原浩)_書評という名の読書感想文

『海の見える理髪店』荻原 浩 集英社文庫 2019年5月25日第1刷 第155回直木

記事を読む

『エンド・オブ・ライフ』(佐々涼子)_書評という名の読書感想文

『エンド・オブ・ライフ』佐々 涼子 集英社文庫 2024年4月25日 第1刷 「理想の死」

記事を読む

『あむんぜん』(平山夢明)_書評という名の読書感想文

『あむんぜん』平山 夢明 集英社文庫 2022年7月25日第1刷 時に荒唐無稽 時

記事を読む

『グラジオラスの耳』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『グラジオラスの耳』井上 荒野 光文社文庫 2003年1月20日初版 グラジオラスの耳

記事を読む

『ホワイトラビット』(伊坂幸太郎)_書評という名の読書感想文

『ホワイトラビット』伊坂 幸太郎 新潮文庫 2020年7月1日発行 兎田孝則は焦っ

記事を読む

『田舎でロックンロール』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『田舎でロックンロール』奥田 英朗 角川書店 2014年10月30日初版 これは小説ではありませ

記事を読む

『ナキメサマ』(阿泉来堂)_書評という名の読書感想文

『ナキメサマ』阿泉 来堂 角川ホラー文庫 2020年12月25日初版 最後まで読ん

記事を読む

『夫の墓には入りません』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『夫の墓には入りません』垣谷 美雨 中公文庫 2019年1月25日初版 どうして悲し

記事を読む

『ぼくがきみを殺すまで』(あさのあつこ)_書評という名の読書感想文

『ぼくがきみを殺すまで』あさの あつこ 朝日文庫 2021年3月30日第1刷 ベル

記事を読む

『蟻の棲み家』(望月諒子)_書評という名の読書感想文

『蟻の棲み家』望月 諒子 新潮文庫 2021年11月1日発行 誰にも愛されない女が

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『アイドルだった君へ』(小林早代子)_書評という名の読書感想文

『アイドルだった君へ』小林 早代子 新潮文庫 2025年3月1日 発

『現代生活独習ノート』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『現代生活独習ノート』津村 記久子 講談社文庫 2025年5月15日

『受け手のいない祈り』(朝比奈秋)_書評という名の読書感想文

『受け手のいない祈り』朝比奈 秋 新潮社 2025年3月25日 発行

『蛇行する月 』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『蛇行する月 』桜木 紫乃 双葉文庫 2025年1月27日 第7刷発

『でっちあげ/福岡 「殺人教師」 事件の真相 』(福田ますみ)_書評という名の読書感想文

『でっちあげ/福岡 「殺人教師」 事件の真相 』福田 ますみ 新潮文

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑