『どろにやいと』(戌井昭人)_書評という名の読書感想文
公開日:
:
最終更新日:2024/01/13
『どろにやいと』(戌井昭人), 作家別(あ行), 戌井昭人, 書評(た行)
『どろにやいと』戌井 昭人 講談社 2014年8月25日第一刷
ひとたび足を踏み入れれば、もうそこから出られない。ここは魔境か? 桃源郷か? 亡き父の後を継ぎ、万病に効くお灸「天祐子霊草麻王」を行商する「わたし」は、父の残した顧客名簿を頼りに日本海側の村を訪れる。善良な老人達が暮らす素朴な山里かと思いきや、なにやらわけありの人たちもちらほら。やがて、帰りのバスに乗り遅れた「わたし」は、この村で一泊することになるのだが・・・。(講談社単行本の帯文より)
帯にはこんなことも書いてあります - あやしげな行商人が訪れたあやしげな村。おろかしくも愛おしい人たちが織りなす現代のフォークロア - 「フォークロア」とは「民族、民間伝承」のこと。第151回の芥川賞候補になった小説です。
可笑しなタイトルだと思っていたら(みなさんはご存じかも知れませんが)、実はしっかり意味があって「無駄なことや効果のないことの喩え」に使われる言葉であるらしい。言われてみればその通り、いくら泥にやいと(お灸)を据えてもどうなるものでもありません。
つまりは、そんな話なのです。
「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました・・」みたいな(実際は「わたしは、お灸を売りながら各地を歩きまわっている行商人です。」てな)調子で始まるものですから、てっきり昔の話かと思いきや、そういうわけではありません。
読み進む内に、今の時代の話であることが分かります。(語り手の)「わたし」はそもそもやる気などまったくなかったのですが、叔父に頼まれたのと、それまでの荒んだ生活を改める良い機会だと思い付き、父が作ったお灸を売り歩く旅に出ようと決心します。
それまでの「わたし」の生活といえば、悪友の武田の実家が経営するソープランドへ行っては昼飯を食べ、控室でソープ嬢とお金を賭けてドボンをやり、夜になると武田と一緒に酒を飲みに行き、最後はキャバクラで遊ぶという毎日です。
支払いはすべて武田がします。武田は、ソープランドの役員です。「わたし」は彼のちょうどいい遊び相手で、武田が覚醒剤をやっているのを諌めるのですが、実は自分でもちょろちょろお裾分けをいただいていたこともある始末です。
「わたし」は、生活が荒んでしまったのはボクシングをやめたせいだと考えています。打ち込むものがなくなり、心にポッカリ風穴が空いてしまったのです。「わたし」はプロテストに合格し、日本チャンピオンに挑戦するほどのボクサーでした。
しかし、試合に負け、右目を負傷し、結局ボクシングをやめることになります。右目はいつも膜が張ったみたいにかすんで、視力はほとんどあてになりません。それもこれもやめてからの不規則な生活がたたったせいです。そんなとき父が亡くなったのです。
「わたし」が今回行商に行く先は、志目掛村(しめかけむら)という村です。日本海に面した港町、酒井田を午前中に出て、3時間弱ほどバスに揺られてようようたどり着く山奥の村です。父は生前、4回ほど志目掛村を訪れています。
・・・・・・・・・・
ここまでは、まあ普通と言えば普通の話。志目掛村というのは案外大きな村で、村の中にはいくつかの集落が点在しています。父の残した顧客名簿を頼りに、「わたし」は一軒一軒〈リピーター〉を訪ね歩き、「天祐子霊草麻王」なるお灸をセールスして回ります。
ここから先が果たして・・・面白いのか、あるいは何が言いたいのか皆目見当が付かず降参してしまうのか - それは貴方次第といったところです。何せ「わたし」がいるところは「魔境」なのです。普通ではないことが、そこでは当たり前のようにして起こります。
「わたし」は名簿に載った顧客以外の、ちょっと変わった人物にも行き合います。特筆すべきは、公民館前の商店にいた謎の女。彼女は、村にはまるで似つかわしくない身なりをしています。
ガラス扉が開いて出てきた女は、けだるそうにコンクリートの土間に降り、サンダルを突っかけて、レジの前までやってきます。少し腫れぼったい目の瞳は潤んでいて、暗い店内で光っているようにも見えます。
筋の通った鼻は、小さな顔には不釣り合いなほど立派なものですが、愛嬌があります。彼女は、灰色の長袖Tシャツに紺色のパイル地のホットパンツを穿いていて、白い太ももを露出させています。まるでマンション住まいの若妻のようです。
この女と「わたし」が、また別の場所で出合ったりします。女だけではなく、女と何がしかの関係がある男とも出合います。もちろん「天祐子霊草麻王」も売るには売るのですが、予定外の出費が嵩んで儲けになりません。
「わたし」が行き合うそれぞれには・・・、意味があるのか、ないのか。面白いか、面白くないかと併せて考えてみてください。ただ一言申し添えるなら - 結構無意味なことばかりしているような気がする - と、「わたし」自身は感じています。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆戌井 昭人
1971年東京都調布市生まれ。
玉川大学文学部演劇専攻卒業。俳優、劇作家。
作品 「鮒のためいき」「まずいスープ」「ぴんぞろ」「ひっ」「すっぽん心中」「俳優・亀岡拓次」「松竹梅」「ただいま おかえりなさい」など
関連記事
-
『末裔』(絲山秋子)_書評という名の読書感想文
『末裔』絲山 秋子 河出文庫 2023年9月20日 初版発行 家を閉め出された孤独な中年男の
-
『ブラフマンの埋葬』(小川洋子)_書評という名の読書感想文
『ブラフマンの埋葬』小川 洋子 講談社文庫 2017年10月16日第8刷 読めば読
-
『静かにしなさい、でないと』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文
『静かにしなさい、でないと』朝倉 かすみ 集英社文庫 2012年9月25日第1刷
-
『東京奇譚集』(村上春樹)_書評という名の読書感想文
『東京奇譚集』村上 春樹 新潮社 2005年9月18日発行 「日々移動する腎臓のかたちをした
-
『Mの女』(浦賀和宏)_書評という名の読書感想文
『Mの女』浦賀 和宏 幻冬舎文庫 2017年10月10日初版 ミステリ作家の冴子は、友人・亜美から
-
『罪の余白』(芦沢央)_書評という名の読書感想文
『罪の余白』芦沢 央 角川文庫 2015年4月25日初版 どうしよう、お父さん、わたし、死んでしま
-
『幻の翼』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文
『幻の翼』逢坂 剛 集英社 1988年5月25日第一刷 『百舌の叫ぶ夜』に続くシリーズの第二話。
-
『六番目の小夜子』(恩田陸)_書評という名の読書感想文
『六番目の小夜子』恩田 陸 新潮文庫 2001年2月1日発行 津村沙世子 - とある地方の高校にや
-
『オロロ畑でつかまえて』(荻原浩)_書評という名の読書感想文
『オロロ畑でつかまえて』 荻原 浩 集英社 1998年1月10日第一刷 萩原浩の代表作と言えば、
-
『夫婦一年生』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文
『夫婦一年生』朝倉 かすみ 小学館文庫 2019年7月21日第2刷発行 新婚なった夫