『屋根をかける人』(門井慶喜)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/09 『屋根をかける人』(門井慶喜), 作家別(か行), 書評(や行), 門井慶喜

『屋根をかける人』門井 慶喜 角川文庫 2019年3月25日初版

明治38年に来日し、建築家、実業家として活躍したアメリカ人、W・M・ヴォーリズ。彼は日米開戦の前夜、日本にとどまり帰化することを選んだ。そこには華族の身分を捨てて自分と結婚してくれた妻や、長年彼を温かく受け入れた近江の人々への強い想いがあった。終戦を迎え、ヴォーリズは天皇制存続を左右する、ある重要な政治的局面に関わることに。 “ふたつの祖国” を持つ彼だからこそ成し得た、戦後日本のための決断とは - 。(角川文庫)

ウィリアム・メレル・ヴォーリズという人物を御存知だろうか?

他所はどうかは知らないが、滋賀県民なら、おそらく「ヴォーリズ」 という名前ぐらいは知っている。琵琶湖の南部、近江八幡市にあるヴォーリズ記念館は、今ではあたり前のようにしてそこにある。道々の案内板も含め、町の景色に溶け込んでいる。

但し、地元の人ならいざ知らず、滋賀県民といえども実は知っているのはその程度のことで、せいぜいが彼と関係するのが 「近江兄弟社」 であり、「メンソレータム」 という軟膏ぐらいのもので、彼がアメリカ人の敬虔なクリスチャンだったことすら知らないと思う。

そもそも、彼はキリスト教の伝道師 (注:宣教師ではありません) として来日し、布教の一環として事業を成し成功を収め、日本人女性を妻とし、帰化して遂には日本人となり、さほど有名でもない滋賀県の、湖畔の片田舎でその生涯を終えた稀有な人物である。

アメリカ人の彼は、その人生の大方を日本人として生き、一商人でありながら、(互いの国をよく知る者として)敗戦直後の日本において天皇制の存続を含むこの国の将来についてを、占領軍の本営、つまりは連合国最高司令官総司令部(GHQ)に出向き、時の最高司令官ダグラス・マッカーサーに進言したことでも知られている。

著者である門井慶喜は、実は、進言の後交わされることになる 「メレルと昭和天皇との僅かばかりの会談」 の様子 - その 「ラストシーンを描くために、私は歴史小説家になった」 のだという。

[W・M・ヴォーリズ]
1880年10月28日、アメリカ合衆国カンザス州レブンワース生まれ。英語教師として来日、キリスト教伝道のためもあって、伝道施設の建設を契機に関西を中心に設計活動を開始。

1908年(明治41年) 京都で建築設計監督事務所を設立し、日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けた。学校、教会、YMCA、病院、百貨店、住宅など、その種類も様式も多彩である。その作品はいわゆるアメリカンスタイルとして、住宅やオフィスビルに新しい作風をもたらすものとなった。

1941年(昭和16年) に日本に帰化してからは、華族の一柳末徳子爵の令嬢満喜子夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)と名乗った。「米来留」 とは米国より来りて留まるという洒落である。

近江商人発祥地である滋賀県八幡(現:近江八幡市) を拠点に精力的に活動したことから、「青い目の近江商人」 と称された。また太平洋戦争終戦直後、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力したことから、「天皇を守ったアメリカ人」 とも称される。

1964年(昭和39年) 5月7日、滋賀県近江八幡市慈恩寺町にて没。享年83歳。(wikipedia参照)

※一人極東の小さな島国の、しかも辺鄙な田舎町に来たアメリカ人の、布教師らしからぬ、そのポジティブでアグレッシブな思考と行動力は、偏に生来彼が持ち合せたある気質によるところが大きかったのだと。「何とかなります」- 彼の、それが口癖でした。

メレルは生粋の “商売人” で、本意ではなかったものの、彼が商人の町・八幡の地に赴任して来たのは、単に偶然のこととはいえ、どこか運命めいたものを感じます。

なぜなら、これといった産業もなく、鉄道交通の要衝でもなく観光地でもない、滋賀県域のほぼ中央部、琵琶湖の南部に位置する八幡の駅に降り立った時、彼はいっとき、確かに絶望したのでした。何より寒かったことが彼には堪えたのでした。

ところが、駅から続く街道に出て、たちまちにしてその気分が一新されます。見渡せば、徳川時代に活躍した近江商人たちの富をそのまま残したかのような軒のふかい家。黒板塀ごしに枝をのばす松。八幡山のゆるやかな稜線。その手前をまるで定規で引いたかのように直線的に流れる八幡堀の暗緑色の水。時々おもちゃのような木製の小舟が浮かんでいる・・・・・・・

メレルがメレルである所以は、すぐに発揮されます。彼は、一瞬にしてその景色の虜になります。伝道師である前に、彼はそもそも 「建築」 を志していたのでした。

このとき、既にメレルにはある “算段” が閃いていたのではないかと。それが証拠に、彼は英語教師を馘になった後、知識も経験もない中で、突然、西洋式の 「建物を売る」 と言い出します。それはまことにアグレッシブな、それ故およそ無謀なことに思われたのですが - 。

◆この本を読んでみてください係数  85/100

◆門井 慶喜
1971年群馬県生まれ。
同志社大学文学部卒業。

作品 「東京帝大叡古教授」「家康、江戸を建てる」「銀河鉄道の父」「キッドナッパーズ」「マジカル・ヒストリー・ツアー/ミステリと美術で読む現代」(評論) 他多数

関連記事

『錆びる心』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『錆びる心』桐野 夏生 文芸春秋 1997年11月20日初版 著者初の短編集。常はえらく長い小

記事を読む

『もっと悪い妻』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『もっと悪い妻』桐野 夏生 文藝春秋 2023年6月30日第1刷発行 「悪い妻」

記事を読む

『203号室』(加門七海)_書評という名の読書感想文

『203号室』加門 七海 光文社文庫 2004年9月20日初版 「ここには、何かがいる・・・・・・

記事を読む

『侵蝕 壊される家族の記録』(櫛木理宇)_書評という名の読書感想文

『侵蝕 壊される家族の記録』櫛木 理宇 角川ホラー文庫 2016年6月25日初版 ねえ。 このう

記事を読む

『続・ヒーローズ(株)!!! 』(北川恵海)_書評という名の読書感想文

『続・ヒーローズ(株)!!! 』北川 恵海 メディアワークス文庫 2017年4月25日初版 『 ヒ

記事を読む

『雨に殺せば』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『雨に殺せば』黒川 博行 文芸春秋 1985年6月15日第一刷 今から30年前、第2回サント

記事を読む

『1リットルの涙/難病と闘い続ける少女亜也の日記』(木藤亜也)_書評という名の読書感想文

『1リットルの涙/難病と闘い続ける少女亜也の日記』木藤 亜也 幻冬舎文庫 2021年3月25日58

記事を読む

『雪が降る』(藤原伊織)_書評という名の読書感想文

『雪が降る』藤原 伊織 角川文庫 2021年12月25日初版 〈没後15年記念〉 

記事を読む

『占/URA』(木内昇)_書評という名の読書感想文

『占/URA』木内 昇 新潮文庫 2023年3月1日発行 占いは信じないと思ってい

記事を読む

『負け逃げ』(こざわたまこ)_書評という名の読書感想文

『負け逃げ』こざわ たまこ 新潮文庫 2018年4月1日発行 第11回 『女による女のためのR-

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『ケモノの城』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ケモノの城』誉田 哲也 双葉文庫 2021年4月20日 第15刷発

『嗤う淑女 二人 』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『嗤う淑女 二人 』中山 七里 実業之日本社文庫 2024年7月20

『闇祓 Yami-Hara』(辻村深月)_書評という名の読書感想文

『闇祓 Yami-Hara』辻村 深月 角川文庫 2024年6月25

『地雷グリコ』(青崎有吾)_書評という名の読書感想文 

『地雷グリコ』青崎 有吾 角川書店 2024年6月20日 8版発行

『アルジャーノンに花束を/新版』(ダニエル・キイス)_書評という名の読書感想文

『アルジャーノンに花束を/新版』ダニエル・キイス 小尾芙佐訳 ハヤカ

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑