『口笛の上手な白雪姫』(小川洋子)_書評という名の読書感想文
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『口笛の上手な白雪姫』(小川洋子), 作家別(あ行), 小川洋子, 書評(か行)
『口笛の上手な白雪姫』小川 洋子 幻冬舎文庫 2020年8月10日初版
「大事にしてやらなくちゃ、赤ん坊は。いくら用心したって、しすぎることはない」。公衆浴場の脱衣場ではたらく小母さんは、身なりに構わず、おまけに不愛想。けれど他の誰にも真似できない多彩な口笛で、赤ん坊には愛された - 。表題作をはじめ、偏愛と孤独を友として生きる人々を描く、一筋の歩みがもたらす奇跡と恩寵が胸を打つ、全8話。(幻冬舎文庫)
タイトルになった 『口笛の上手な白雪姫』 の話をしましょう。
(解説から抜粋) 表題作 「口笛の上手な白雪姫」 は、公衆浴場で母親がゆっくり入浴できるよう赤ん坊の世話をする小母さんが主人公の短編です。その両腕に身を任せるしかない無力ないのちは、浴場と脱衣場とをわけるガラス戸一枚の境目さえ一人では超えられません。彼女の庇護する腕がなければ、ただそこに転がっているだけの存在にもかかわらず、小川さんは、そのような赤ん坊を 「欠けたものは何一つとしてない、十全な生命なのだ」 とハッキリ書いておられる。
十全とは、国語辞典によれば 「少しも欠けた所がなく、すべて完全なこと」 とあります。ただそこに転がっているしかない生命が、どうして欠けたところのないすべて完全な存在といえるのか。という疑問が生まれてもおかしくないわけで、赤ん坊が 「十全な生命なのだった」 という記述が強く印象に残りました。しかし、わたし流に解釈し 「いい」 と思ったのです。なぜか・・・・・・・?
その理由については、少し長くなりますが説明する必要があります。仏教のものの観方、とらえ方の根本にかかわる問題だからです。
(ここから先は仏教や仏法の話が長々と続きます。それはもっともな話で、解説者は浄土真宗本願寺派総長であり龍谷大学理事長でもある、君津光明寺住職・石上智康氏となれば致し方ありません。読経後のありがたい説法を聞くようで、そこは省略)
まずはじめに書いてあるのは、無垢で無防備でそれゆえ完全無欠な生きものである 「赤ん坊」 のことです。けれど、知りたいのはそこではありません。私は 「小母さん」 のことが知りたいと思いました。
夏休みのある日、中学生の姉と一緒に市民プールで泳いでいた6歳の女の子が行方不明になりました。そのニュースは公衆浴場にも伝わってきます。
夜になっても女の子の行方はわからず、目撃した人もいなければ、手掛かりもありません。とうとう町内総出で捜索に協力することになります。ようやく女の子が見つかったは、夜中近くになってからのことでした。見つけたのは、小母さんでした。
女の子は公衆浴場の裏庭にある、小母さんが一人で暮らす小屋にいました。その小屋は白雪姫が小人たちと一緒に暮らした家はきっとこんなふうだろう、と思わせる外観をしています。近所に住む女の子なら誰もが、その小屋に憧れを抱いていたのでした。
「森に行ってた」 女の子は、そう言ったのでした。
「鹿のお尻にくっついて、お水が勢いよく落ちているところまで歩いたよ。途中、猿が追いかけてきて悪戯したけど、へっちゃらだった。鹿が白い尻尾を浸けると、お水がぐるぐる渦巻きになった。猿がジャンプしようとして、岩のぬるぬるに足が滑って落っこちた。水滴が飛んできて、とっても気持ちよかった・・・・・・・・」
行方不明騒ぎでリズムがすっかり狂ったからか、それとも握った女の子の手の感触がいつまでも消えないせいか、その夜、小母さんはなかなか寝付くことができません。
※後先になりますが、公衆浴場には、そこにはつきものの壁にペンキで描いた絵があります。どことも知れない森の風景だったのですが、近隣の公衆浴場とは比べものにならない完成度の高さで、木々は空を覆い、滝があり、苔むした岩が転がっています。鹿や小鳥や猿や蜥蜴の姿が見え隠れしています。それらの景色は日々水蒸気を吸い込んで、色は鮮やかさを増しているようにも思えます。
営業が休みの日、小母さんは湯が抜かれて空になった浴槽の中に立ち、壁画に向かって口笛の練習をします。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆小川 洋子
1962年岡山県岡山市生まれ。
早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。
作品 「揚羽蝶が壊れる時」「妊娠カレンダー」「博士の愛した数式」「沈黙博物館」「ブラフマンの埋葬」「貴婦人Aの蘇生」「ことり」「ホテル・アイリス」「ミーナの行進」他多数
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