『愛なんて嘘』(白石一文)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/11 『愛なんて嘘』(白石一文), 作家別(さ行), 書評(あ行), 白石一文

『愛なんて嘘』白石 一文 新潮文庫 2017年9月1日発行

結婚や恋愛に意味なんて、ない。けれどもまだ誰かといることを切望してしまう。正解のない人生ならば、私は私のやり方で、幸せをつかみとる。かつての恋人を探し続ける女。死んだ親友の妻に同居を強要された女。離婚し、それぞれ再婚しても二人で添い遂げる約束をし続ける夫婦。自己愛という究極の純愛を貫く六つの短編集。(新潮社サイトより)

第二話「二人のプール」より
水沢麻里江は以前、高校の同級生・朽木俊平と結婚していたことがあります。つき合い出したのは大学入学直後のことで、それは思いもしない再会がきっかけで、まさか彼の方から言い寄ってくるとは思いもしないことでした。

俊平は学校中に聞こえた秀才で、東大にも早慶にも行けるぐらいの学力の持ち主だったのですが、母の母校という理由で、麻里江と同じ都内の(さして有名ではない)私大に進学し、そこで二人は出合うことになります。
・・・・・・・・・
「水沢さんは、人と争うのが苦手でしょう? 」
「自分は一生悪いことはしないだろうって予感がするでしょう? 火の粉は降りかからない限りは払わないし、できるだけ火の粉の飛んできそうな場所へは足を踏み入れないようにしようって決めてるでしょう? 」

「そういう人って、結局、誰にも関心がないし、誰のことも好きじゃないんだよね」- 高校時代に俊平がした指摘は図星で、長く麻里江の記憶に残ることになります。それ以降というもの、麻里江は否応なく俊平を意識するようになります。

彼女は自分の性向をよく承知しています。それまでは誰も好きになったことがなく、自分はひどく薄情な人間なのだと。それは少し侘しくもあったのですが、かといって誰かと感情的に深い交流を持ち、あげくこっぴどく裏切られるよりはずっとましだと。

この世界は、人々のそうした裏切りで満ち溢れているように見えたのだ。だから、大学の学食でシュン(俊平)に声をかけられた瞬間、私は何か鋭く太いものを自身の体内にいきなり挿し込まれたような気がした。

誰だって精一杯の気持ちを取り交わした相手を裏切りたくはないのだ。だけど、こんなふうに人間と人間とはまるで隕石同士が衝突するように出会わされて、結果、相手を裏切らざるを得ない状況に追い込まれていく。

私はこの世界の狡猾さというものに初めて気づかされたような気がした。それまでの十八年余りの人生で、朽木俊平は、唯一私が好きになった人だった。だからこそ彼のそばには絶対に近づくまいと強く心に決めていたのだ。

二人は知り合って結婚し、そして別れ、それ以降もときどき会って話すような関係が続いています。その後、麻里江は高志と再婚し、娘の一葉(ひとは)が誕生します。俊平は俊平で、容子という女性と結婚し、一歳になる楓という娘がいます。

にもかかわらず、麻里江と俊平はいずれ互いの夫婦関係を解消し、元の二人に戻ろうとしています。

※ 二度目の夫・高志について、麻里江はこんな風に思っています。
高志と暮らしていると、自分の人生に十分満足している人間がこの世界に存在するという嘘のような現実を日々思い知らされる。堅実な家庭で成長し、名の通った大学に入り、一級建築士という真面目に努めれば一生食べるのに困らない資格を得、妻をめとり、可愛い一人娘を精一杯慈しむ -

すべてが世界中のあちこちで無数の誰かがやっていることの焼き直しに過ぎないような、自分が自分であることの理由を何一つ見出せないような人生でありながら、何の不足も不満も感じずに平気な顔で生きて行ける人間。私にはそういう高志の存在がまったく理解できなかった。

彼は大手の建設会社の設計部に勤め、今年初めに退職し、いまは恵比寿で小さな設計事務所を開いています。

この本を読んでみてください係数 80/100

◆白石 一文

1958年福岡県福岡市生まれ。
早稲田大学政治経済学部卒業。

作品 「一瞬の光」「不自由な心」「すぐそばの彼方」「僕のなかの壊れていない部分」「心に龍をちりばめて」「ほかならぬ人へ」「神秘」ほか多数

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