『月魚』(三浦しをん)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2018/11/20
『月魚』(三浦しをん), 三浦しをん, 作家別(ま行), 書評(か行)
『月魚』三浦 しをん 角川文庫 2004年5月25日初版
古書店 『無窮堂』 の若き当主、真志喜とその友人で同じ業界に身を置く瀬名垣。瀬名垣の父親は 「せどり屋」 とよばれる古書界の嫌われ者だったが、その才能を見抜いた真志喜の祖父に目をかけられたことで、幼い2人は兄弟のようにして育った。しかし、ある夏の午後起きた事件によって、2人の関係は大きく変わっていき・・・・・・・。透明な硝子の文体に包まれた濃密な感情。月光の中で一瞬魅せる、魚の跳躍のようなきらめきを映し出した物語。(角川文庫)
この 『月魚』 という小説は、古書に纏わるあれやこれやであるとか、着流しが常の美青年とその幼なじみの男性が、じつは 「ただならぬ仲」 ではないかなどという話を誰が好んで読むのだろうと思うのですが、これが思う以上に売れている。読まれているのです。
日常にあって日常にあらざるものの景色 (あるいは気配) が行間を埋め、読み手をどこか別の世界へ誘うような趣きがあります。知的で硬質で端整な文章は、(私などには) やや読み辛くもあるのですが、おそらくは、それが三浦しをんという作家なのだろうと。
『月魚』 は、決して激しい物語ではない。読み手に、固唾を呑むことも、号泣することも、笑い転げることも、爽快な気分にひたることも、強いはしない。そんなものとは無縁にひっそりと傍らに立つ。そういう物語だ。だからこそ、震えがくる。読み終えて、眼前の風景が揺らぎ、異質のものがゆっくりと現れる。ほとんど恐怖に近い甘美な感情に、わたしは、浅い息を繰り返す。
わたしの凡庸で単調な生活の傍らに、こんな世界が潜んでいたのかと、動悸がし、呼吸が少し苦しくなる。それは、むろん、妖かしだ。三浦しをんという書き手の紡ぐ物語に搦め捕られ、現実と物語の境が決壊しようとしている。寡黙なくせに強力 (ごうりき) な作品だ。つくづく、そう思う。
あさのあつこ氏は、解説でこう書いています。ここに書いてあることはとてもよくわかります。本文より何より、私は 「それは、むろん、妖(あや)かしだ」 というひと言に激しく同感し、なぜかひどく安心もしました。著しく間違った読み方をせずに済んだのに、ほっとしたのだと思います。
ときおり「えっ? 」と思うような箇所があり、瀬名垣と真志喜が二人して山深い農村に古書の買い付けに行く場面などは、何気にわくわくとした思いで読むことができます。しかし、全体を通して評価されるべきはおそらく別の何ものかであるような気がします。
それが、透明な硝子の文体に包まれた 「濃密な感情」 を指して言っているのかもしれません。が、いずれにせよ私にはよくはわかりません。代わりに、冒頭の一節を紹介しておきます。
第一話 「水底の魚」 より。
その細い道の先に、オレンジ色の明かりが灯った。古書店 『無窮堂』 の外灯だ。瀬名垣太一は立ち止まり、煙草に火をつけた。
夕闇が迫っている。道の両側は、都心からの距離を考えれば今どき珍しい、濃縮された闇を貯蔵する雑木林だ。街灯はあるが、それも木々に覆い隠されている。瀬名垣の訪れを予知したかのごとく、『無窮堂』 の灯りは薄暗い道を淡い光で照らした。
霧の港で船を導く、灯台の灯火。
寄港の許しを請う合図のように、瀬名垣の口元の小さな赤い火が明滅した。道は 『無窮堂』 に近づくにつれ、わずかずつだが細くなる。
この本を読んでみてください係数 80/100
◆三浦 しをん
1976年東京都生まれ。
早稲田大学第一文学部演劇専修。
作品 「まほろ駅前多田便利軒」「神去なあなあ日常」「秘密の花園」「私が語りはじめた彼は」「風が吹いている」「きみはポラリス」「光」「舟を編む」他多数
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