『ウィステリアと三人の女たち』(川上未映子)_書評という名の読書感想文

『ウィステリアと三人の女たち』川上 未映子 新潮文庫 2021年5月1日発行

大きな藤の木のある、壊されつつある家。真夜中に忍び込んだわたしは、そこに暮らした老女、ウィステリアの生を体験する。かつて存在した愛を魔術的に蘇らせる表題作。思いがけぬ大金を得、デパートで連日買い物を続ける女性の虚無を描く 「シャンデリア」。いくつかの死、失った子ども、重なり合う女たちの記憶・・・・・・・研ぎ澄まされた言葉で紡がれる、美しく啓示的な四作を収録した傑作短編集。(新潮文庫)

目次
1.彼女と彼女の記憶について
2.シャンデリア
3.マリーの愛の証明
4.ウィステリアと三人の女たち

彼女と彼女の記憶について

記憶に、もしもかたちというものがあったとしたら、箱、っていうのはひとつ、あるかもしれないなとは思う。もちろんそれがありふれた発想すぎるってことはわかってるけれど、でも、ありふれた発想だからって、それがいつだって本当のことからいちばん遠いとはかぎらない。だってわたしたちは多かれ少なかれ、ありふれた顔と体をもって生まれてきて、ありふれた人たちと出会ったり別れたりしてそのつどありふれた問題を抱えこんで、さらにありふれた疲弊をくっつけながら生きていて、そして、一人残らず死んでゆくんだから。確実に。つまり、生きてるだけで、ありふれているってことからは誰一人として免れられないんじゃないかっていうこと。なんていうか、物ごとのそもそもの成り立ちかたとして。

会いたいと思う人なんて一人もいないのに、田舎町で開かれる中学校の同窓会なんてものに何気に出てみようなどという気持ちになリ、実際に参加したときの話。

トイレの扉を押してなかに入ると洗面台のところに女の子がひとりいて、鏡越しに目があった。お腹のあたりに名札をつけていたけれど、遠くて名前までは読めなかった。

化粧っ気のない、やけに白い肌をした背の低い女の子で、銀縁の楕円形の華奢な眼鏡をかけていた。度が強いせいかレンズのはしっこの肌の部分が内側にまるく入り込んでいた。洗いっぱなしのような黒髪に白いブラウス。たしか、一年のときにおなじクラスだった女の子だ。

話したのは、購買部で売っていたパンの種類のこと。保健室の真ん中にあった不思議な柱のこと。美術の時間に写生した神社について。ブルマという下着となんら変わらないかっこうで体育をやらされていたこと。彼女はわたしとわたしの仕事についてはまるで興味を示さない。そして、同じクラスだった一年生のときの担任教師が交通事故で亡くなったと聞かされる。が、それがきっかけだったかどうかはわからない。

「変な話さ、その - 死んじゃったっていうかさ、訃報的なのってあったのかな。先生以外に。まあまだ若いから、さすがにそれはないかな」
なぜそんなことがとつぜん気になったのかわたし自身にもわからなかった。

わたしのその質問に、彼女は黙ったまま答えなかった。わたしとしては何気ないふつうの範囲の質問というか、話の流れからいってもまったく場違いなことを話したつもりもなかったので、さっきまで調子良く話していた彼女がそんなふうに黙りこんでしまう意味がわからなかった。彼女は黙ったまま、わたしの目をじっと見ていた。なんて言ったらいいのかわからなくなって、わたしは鼻で小さく息をついた。

「ひとり、死んだよ」

「黒沢こずえ? 」
その名前は知っていたし、顔だってすぐに思いだすことができた。でもそれは、髪をポニーテールにしてランドセルを背負った、まだ幼い表情をした黒沢こずえの顔だった。中学生の彼女の顔を思いだそうとしても、それはどうやってもうまく浮かんでこなかった。

「いつ亡くなったの? 」
「三年前」 彼女は即答した。

「三年前っていったら、最近じゃない」
彼女は肯いた。
「病気だったの? さっきむこうでは誰もそんなこと話してなかったけど、みんなは知らないことなの? 」

「わからない。でも病気じゃなかった」
「事故だったの? 」
「餓死」

彼女はまるではじめて目にする外国語の単語でも読みあげるようにそう言った。

彼女はそう言うと小さく息をついて眼鏡をかけなおした。それからショルダーバッグを手にとって肩にかけて、じゃあそろそろ行くねと言った。まるでこのことをわたしに伝えるためにここに来て、それを終えたらもう用はないんだとでもいうように。(太字以外は全て本文より)

この本を読んでみてください係数 85/100

◆川上 未映子
1976年大阪府大阪市生まれ。
大阪市立工芸高等学校卒業。日本大学通信教育部文理学部哲学専攻科入学。

作品 「わたくし率 イン 歯-、または世界」「ヘヴン」「乳と卵」「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」「すべて真夜中の恋人たち」「愛の夢とか」「あこがれ」「夏物語」他多数

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