『それを愛とまちがえるから』(井上荒野)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2022/03/05
『それを愛とまちがえるから』(井上荒野), 井上荒野, 作家別(あ行), 書評(さ行)
『それを愛とまちがえるから』井上 荒野 中公文庫 2016年3月25日初版
ある朝、伽耶は匡にこう告げる。「あなた、恋人がいるでしょう」- 結婚15年、セックスレス。妻と夫の思惑はどうしようもなくすれ違って・・・・・・・。愛しているなら、できるはず? 女がいて、男がいて、心ならずも織りなしていく、やるせない大人のコメディ。(中公文庫)
〈やるせない大人のコメディ〉 などという如何にも優しげな紹介文に騙されてはいけません。さらりとした文章ではありますが、中身はことのほか手厳しい。夫婦関係の偽らざる在り様が白日の下に晒され、人としての、どうにもならない性 (さが) が語られています。
一々の指摘が図星で返す言葉がありません。特に耳が痛いのは (おそらくは) 男性で、半分くらいは読んでしまったことを後悔するかも知れません。書いてあることがわかり過ぎるくらいにわかるので、反論しようとすればするほど墓穴を掘ることになります。
何が書いてあるかといえば - あなたは、かつての知り合ってまだ間がない頃と同じように今でも奥さんを愛していますか? - ということ。(気持ちもさることながら) ここで言う 「愛する」 とは・・・・・・・つまりは、具体的に 「コトにおよぶ」 かどうかを意味します。
要するに、今でも変わらずセックスしてますか? まさか、最後にしたのはいつだったろうみたいなことにはなってないでしょうね? - ということが書いてあります。
どうです? そんなふうに訊かれて、あなたは(否、他人事のように言ってはいけません。私自身のこととして) 迷うことなく 「ハイ! 」 と答えられるでしょうか・・・・・・・
いつから、伽耶(かや)が言ってほしいことを匡(ただし)が言ってくれなくなり、伽耶が本当は言いたくないことを匡に言わざるをえなくなってしまったのだろう? いつから、セックスが夫婦の義務になりかわり、することにもしないことにも言い訳が必要になったのだろう?(本文より)
大概の夫婦はこうなのです。もうそれはどうしようもなく。伽耶と匡に限ったことではなく、どんなに美男美女のカップルであったとしても事情は同じようなもの。むしろ当初の期待値が高い分、並みの夫婦より醒める速度は早いのかも知れません。
これ、とてもじゃないが結婚前の若い人にはわからないと思います。たとえ結婚していたとしても、たかだか1年や2年では話になりません。結婚した後相応に幸福で安定した生活が続き、そういえば結婚してもう何年になるのだろうと、ふとした時にふととしか思い返さないようになる程に年月を重ねて、初めて思い知らされることです。
(この小説に登場する) 袴田匡と伽耶の夫婦にしたところで、付き合い出してから結婚に至り、それから後のあまやかな数年を思い起こせば、おそらくは想像もしなかった変化だろうと思います。
あろうことか、現在の匡と伽耶には、2人して別の恋人がいます。匡には逢坂朱音という女性、伽耶には星野誠一郎という男性。互いに 「しているの? 」 と問えば、これはもう当然ながら 「している」 わけで、むしろ夫婦よりも頻繁に、するべくして 「して」 います。
いつの間にか15年もの年月が過ぎ去り、匡は42歳、伽耶は41歳になっています。匡は大手流通会社に勤めるサラリーマン。専業主婦の伽耶は、もっぱら習い事に通い詰めています。
2人が暮らしているのは都内のマンションで、これは匡が39歳のときに念願かなって購入したもの。匡にはそうするだけの収入があり、伽耶は、他人から見れば随分と恵まれた暮らしをしているように思えます。
2人には子供がいません。伽耶からすれば、(子供がいないから) 何もしないというわけにはいかないので、検討を重ね、家計のことも考えた上で、本当に自分がしたいと思うことに絞って習い事に通っており、決して贅沢をしているつもりはないのですが、
そうは言うものの、如何にも余裕があるようにしか見えない暮らしにあって、妻の伽耶がそうなら夫の匡も同様に、そうであるからこその間延びした毎日に退屈もし、気付けば (待ち兼ねたように) 2人して深間にはまり込んでしまいます。
それをはたして愛と呼べるかどうか。ほかの何かと 「愛」 とを取り違えてはいませんか - ということが書いてあります。
この本を読んでみてください係数 80/100
それを愛とまちがえるから (中公文庫)
◆井上 荒野
1961年東京都生まれ。
成蹊大学文学部英米文学科卒業。
作品 「わたしのヌレエフ」「潤一」「切羽へ」「そこへ行くな」「もう切るわ」「しかたのない水」「ベーコン」「夜を着る」「雉猫心中」「リストランテ アモーレ」「結婚」他多数
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