『櫛挽道守(くしひきちもり)』(木内昇)_書評という名の読書感想文

『櫛挽道守(くしひきちもり)』木内 昇 集英社文庫 2016年11月25日第一刷

幕末の木曽山中。神業と呼ばれるほどの腕を持つ父に憧れ、櫛挽職人を目指す登瀬。しかし女は嫁して子をなし、家を守ることが当たり前の時代、世間は珍妙なものを見るように登瀬の一家と接していた。才がありながら早世した弟、その哀しみを抱えながら、周囲の目に振り回される母親、閉鎖的な土地や家から逃れたい妹、愚直すぎる父親。家族とは、幸せとは・・・・。文学賞3冠の傑作がついに文庫化! (集英社文庫)

余計なことは何も考えない。(読み進むうち)いずれはきっと訪れるであろう際の境地を信じて、ただ一心にページを繰る - それが何より心地いい。

そのとき、私はきっと泣きたいのだろうと思います。今ある全部を忘れて、物語に没頭し、時代を生きた人物らと同じに苦楽を味わい仮の涙を流したいのだと。

思い出すのは、例えば -

『脊梁山脈』(乙川優三郎著)の「多希子」という女性。多希子は、主人公の信幸が復員列車で恩義を受けた康造を訪ね歩く旅中で出会う木地師の娘で、わが身の不幸を不幸とせず、尚清新な心根に思わず胸が熱くなります。

『阿蘭陀西鶴』(朝井まかて著)の「おあい」。おあいは、西鶴の娘。盲目にして、わずか九歳で母を亡くします。死ぬより以前、母はできる限りの家事一切をあおいに教え込みます。彼女は幼くして幾多の要領を得、終生父である西鶴を支えます。

そして、この『櫛挽道守』という物語では、「登瀬」という名の娘が登場します。登瀬は多希子やおあいとはまた違い、時代や慣習に与することなく、あくまで己が信じた父の跡目を継ごうと、克己して櫛を挽く信念の女性として描かれます。

寡黙で一徹な父・吾助がおり、世間体を気にするばかりの母・松枝がいます。妹の喜和は、木曽山中にあるこの藪原宿を、生まれ育ったわが家を、いっときも早く出て行きたいと思っています。

そして、登瀬には三つ下の弟・直助がいます。生まれ持った才があり、父の跡目を継ぐのは当然のように思われていたのですが、その直助が十二になった夏、彼は突然のようにしてこの世を去ります。木曽川の下河原に近い岩の上で、ひっそり死んでいたのでした。

父の吾助が作っているのは、藪原名産の「お六櫛」。お六櫛とは、飾り櫛とも解かし櫛とも異なり、髪や地肌の汚れを梳るのに用いられる櫛をいいます。登瀬の家は代々、お六櫛を挽いて活計(たつき:生計)を立ててきた家です。

梳櫛であるがゆえにとりわけ歯が細かく、たった一寸の幅におよそ三十本も挽かなくてはなりません。髪の毛数本しか通らない狭い歯と歯の間隔を、しかし吾助は板に印をつけもせず、勘だけで均等に梳くことができます。

歯を一本挽き終えると、鋸に添えた左人差し指をかすかに動かし、刃を右に押し出します。それだけで寸分の狂いもなく等しい幅の櫛歯が形作られます。吾助の技に接した誰もが「こんな芸当はとてもできない」と舌を巻きます。吾助の仕事はまさに神業だったのです。

その父の技を、登瀬は何としてもわが技として身に付けようと、作業場である板ノ間に座り続けます。おなごの仕事は飯炊きと櫛磨きで、櫛を挽くのは男の仕事だで - 母に詰られ、妹に呆れられながらも、登瀬は決して吾助の傍から離れようとはしません。

- 父さまは拍子で挽いとるだんね。粒木賊(つぼどくさ)掛けの終わった櫛を、登瀬は人見障子から入る陽にかざしながら、そんなことを考えています。拍子が乱れぬから、当て交いなしでも加減と速さを等しく保って歯が挽けるのだ -

父の仕事を間近に見続けて、それがようやく先頃辿り着いた登瀬なりの答えだったのです。拍子を整えること。等しい拍子を頭ではなく身体で刻めるようになることだ。登瀬もまた父の拍子に合わせて櫛の上に粒木賊を滑らせるのですが、速くてすぐにおいていかれます。ただ櫛を磨いているだけなのに、父の鋸には到底かなわないのでした。

ここら辺りは、まだまだ序盤の話です。この先登瀬が櫛を挽くようになるまでには、気の遠くなるような手間と時間がかかります。その間、妹の喜和には喜和の事情があり、母には母の思惑があります。死んだ弟・直助が書いたという草紙が出て来て、登瀬を驚かせたりもします。

その内ようやく登瀬にも縁談が持ち上がるのですが、登瀬にとっては必ずしも喜ばしい出来事ではありません。むしろしなくて済むならそれがいい、登瀬はそんな心境でいます。しかし、いつしか父の吾助は歳をとり、いかにして跡目を継ぐかが喫緊の問題となります。

「おらの技はよ、おらのものではないだに」- そう言った父・吾助の言葉を、そのとき登瀬は、まだ受け止めきれないでいます。

※ 文学賞3冠:第9回中央公論文芸賞、第27回柴田錬三郎賞、第8回親鸞賞を言います。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆木内 昇
1967年東京都生まれ。
中央大学文学部哲学科心理学専攻卒業。

作品 「茗荷谷の猫」「笑い三年、泣き三月」「光炎の人」「漂砂のうたう」他

関連記事

『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』(白石一文)_書評という名の読書感想文

『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』 白石 一文 講談社 2009年1月26日第一刷 どちらかと

記事を読む

『漁港の肉子ちゃん』(西加奈子)_書評という名の読書感想文

『漁港の肉子ちゃん』西 加奈子 幻冬舎文庫 2014年4月10日初版 男にだまされた母・肉子ちゃん

記事を読む

『鵜頭川村事件』(櫛木理宇)_書評という名の読書感想文

『鵜頭川村事件』櫛木 理宇 文春文庫 2020年11月10日第1刷 墓参りのため、

記事を読む

『父からの手紙』(小杉健治)_書評という名の読書感想文

『父からの手紙』小杉 健治 光文社文庫 2018年12月20日35刷 家族を捨て、

記事を読む

『それもまたちいさな光』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『それもまたちいさな光』角田 光代 文春文庫 2012年5月10日第一刷 【主人公である悠木

記事を読む

『顔に降りかかる雨/新装版』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『顔に降りかかる雨/新装版』桐野 夏生 講談社文庫 2017年6月15日第一刷 親友の耀子が、曰く

記事を読む

『奴隷小説』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『奴隷小説』桐野 夏生 文芸春秋 2015年1月30日第一刷 過激です。 桐野夏生の新刊『

記事を読む

『わたしの本の空白は』(近藤史恵)_書評という名の読書感想文

『わたしの本の空白は』近藤 史恵 ハルキ文庫 2021年7月18日第1刷 気づいた

記事を読む

『きのうの神さま』(西川美和)_書評という名の読書感想文

『きのうの神さま』西川 美和 ポプラ文庫 2012年8月5日初版 ポプラ社の解説を借りると、『ゆ

記事を読む

『愛がなんだ』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『愛がなんだ』角田 光代 角川 文庫 2018年7月30日13版 「私はただ、ずっと彼のそばにはり

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『僕の神様』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『僕の神様』芦沢 央 角川文庫 2024年2月25日 初版発行

『存在のすべてを』(塩田武士)_書評という名の読書感想文

『存在のすべてを』塩田 武士 朝日新聞出版 2024年2月15日第5

『我が産声を聞きに』(白石一文)_書評という名の読書感想文

『我が産声を聞きに』白石 一文 講談社文庫 2024年2月15日 第

『朱色の化身』(塩田武士)_書評という名の読書感想文

『朱色の化身』塩田 武士 講談社文庫 2024年2月15日第1刷発行

『あなたが殺したのは誰』(まさきとしか)_書評という名の読書感想文

『あなたが殺したのは誰』まさき としか 小学館文庫 2024年2月1

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑