『失はれる物語』(乙一)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/11 『失はれる物語』(乙一), 乙一, 作家別(あ行), 書評(あ行)

『失はれる物語』乙一 角川文庫 2006年6月25日初版

目覚めると、私は闇の中にいた。交通事故により全身不随のうえ音も視覚も、五感の全てを奪われていたのだ。残ったのは右腕の皮膚感覚のみ。ピアニストの妻はその腕を鍵盤に見立て、日日の想いを演奏で伝えることを思いつく。それは、永劫の囚人となった私の唯一の救いとなるが・・・・・・・。表題作のほか、「Calling You」「傷」など傑作短篇5作とリリカルな怪作「ボクの賢いパンツくん」、書き下ろし「ウソカノ」の2作を初収録。(角川文庫)

【ウソカノ】(目次には「あとがきにかえて」とあります)

ある朝、僕は電車の中で彼女と知り合います。彼女の名前は安藤夏。あるトラブルをきっかけに、僕は彼女とつき合うことになります。

放課後、「時間だ。そろそろ帰るよ」「彼女と待ち合わせしてるんだ」と言うと、クラスの友人たちはひどく驚いた顔をします。

おまえ、つきあってるやつがいたのか、と訊くので、「うん。他の高校の生徒。いつも帰り道で落ち合うことにしてる」 と答えます。

僕はクラスメイトたちに、安藤夏と出会ってつきあうまでの経緯を説明した。さらに趣味やら好物やらを教えた。彼女の趣味はギターを弾くこと。何度か彼女の演奏を聴いた。(中略)彼女の好物はミスタードーナツのホームカット。それからあんパン。

じゃあな、しっかりやれよ。

教室を出るとき友人たちからそう声をかけられ、学校を後にした僕は、どこにも立ち寄らずに家に帰ってアニメを見ます。今日から始まる新番組で、見終わると次はゲームをやり、漫画を読んでいるうちに夜になったので寝ることにします。- 何がどうなっているのかと言いますと、

安藤夏と会って話なんてするわけがない。彼女などいない。あれは作り話だ。- ということ。

新番組のアニメが見たいばかりに、まさかそんなことで帰りたいとは言い出せず、思わずついてしまった嘘だったのですが、あろうことか、クラスのみんなはそれを信じて疑いません。僕はその日以降、自分にも彼女がいるんだぜという嘘をつき続けるはめになります。

嘘だとばれたら僕の人生はおしまいで、ひどくいじめられるかもしれません。不安に怯える日々を送っていたある日、クラスメイトの一人である池田君に、嘘がとうとうばれてしまいます。

「ぴんと来た。きみ、嘘ついてる。安藤夏なんていないだろ」 ある時池田君は階段の踊り場で僕を指さしてそう言ったのです。そして、続けて 「俺もなんだ。だからぴんと来たんだ。俺の舞ちゃんもウソカノなんだ」 と、思いもしないを言い出します。

池田君というのは、ひそかにナメクジというあだ名がつけられている男子生徒です。いつも汗ばんでおり、女子からはとても嫌われています。ところが、彼には女子大生の恋人がいる、ということになっており、それが為に池田君はみんなから一目置かれてもいます。

いまさら本当のことなど言えるわけがありません。二人は協力し合ってお互いの嘘をカバーしようと躍起になります。町中で互いの彼女に会ったと言いふらし、彼女のふりをして互いの携帯に電話を入れたりします。

さらに、より彼女たちのディテールを強めるため、僕は安藤夏の趣味であるギターを買って猛練習し、池田君は池田君で、テニスの得意な忍羽舞(舞ちゃんのフルネーム)の気持ちを理解しようと、手にマメを作ってまで練習に励みます。

ある日、二人は隣町にある貯水ダムに行きます。そこは池田君が忍羽舞とドライブでよく行く場所でした。「そうそう彼女はここでいつも深呼吸するんだ。こんなふうに」  広大なダムを見下ろせる場所に立ち、池田君は繰り返し深呼吸をします。

はじめは口数も多かった池田君が、そのうち段々と無口になります。二人はコンクリートの段差に腰掛けます。そして池田君がぽつりとつぶやきます。「いないんだよ、舞ちゃんなんて」「知ってるさ。嘘だもの」と僕。二人はそんな会話を交わします。

池田君の嘘がばれたのは、その翌日のことです。彼は大いに蔑まれ、馬鹿にされます。それを見て僕はいっとき、池田君を避けるようになります。それでも池田君は、僕と安藤夏のことを誰にも言いません。二人はその後もずっと友達でいます。

そして1年も経たない頃、池田君にはじめて本当の彼女ができます。その頃、僕は既に安藤夏とは会えなくなっています。その後二人は成人し、あのころ自分たちは馬鹿で間抜けだったと振り返るのですが、実は二人は、そこでかけがえのない経験をしています。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆乙一
1978年福岡県生まれ。本名は安達寛高。
豊橋技術科学大学工学部卒業。

作品 「失踪 HOLIDAY」「銃とチョコレート」「夏と花火と私の死体」「GOTH リストカット事件」「暗いところで待ち合わせ」「ZOO」「箱庭図書館」「死にぞこないの青」他多数

関連記事

『オーブランの少女』(深緑野分)_書評という名の読書感想文

『オーブランの少女』深緑 野分 創元推理文庫 2019年6月21日 3刷 互いの痛みがわたし

記事を読む

『神様からひと言』(荻原浩)_昔わたしが、わざとしたこと

『神様からひと言』荻原 浩 光文社文庫 2020年2月25日43刷 大手広告代理店

記事を読む

『夫のちんぽが入らない』(こだま)_書評という名の読書感想文

『夫のちんぽが入らない』こだま 講談社文庫 2018年9月14日第一刷 "夫のちんぽが入らない"

記事を読む

『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(大島真寿美)_書評という名の読書感想文

『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』大島 真寿美 文春文庫 2021年8月10日第1刷

記事を読む

『海を抱いて月に眠る』(深沢潮)_書評という名の読書感想文

『海を抱いて月に眠る』深沢 潮 文春文庫 2021年4月10日第1刷 世代も国境も

記事を読む

『ホテル・アイリス』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『ホテル・アイリス』小川 洋子 幻冬舎文庫 1998年8月25日初版 これは小川洋子が書いた、ま

記事を読む

『うちの父が運転をやめません』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『うちの父が運転をやめません』垣谷 美雨 角川文庫 2023年2月25日初版発行

記事を読む

『空飛ぶタイヤ』(池井戸潤)_書評という名の読書感想文

『空飛ぶタイヤ』 池井戸 潤 実業之日本社 2008年8月10日第一刷 池井戸潤を知らない人でも

記事を読む

『だれかの木琴』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『だれかの木琴』井上 荒野 幻冬舎文庫 2014年2月10日初版 主婦・小夜子が美容師・海斗から受

記事を読む

『僕の神様』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『僕の神様』芦沢 央 角川文庫 2024年2月25日 初版発行 あなたは後悔するかもしれない

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『ケモノの城』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ケモノの城』誉田 哲也 双葉文庫 2021年4月20日 第15刷発

『嗤う淑女 二人 』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『嗤う淑女 二人 』中山 七里 実業之日本社文庫 2024年7月20

『闇祓 Yami-Hara』(辻村深月)_書評という名の読書感想文

『闇祓 Yami-Hara』辻村 深月 角川文庫 2024年6月25

『地雷グリコ』(青崎有吾)_書評という名の読書感想文 

『地雷グリコ』青崎 有吾 角川書店 2024年6月20日 8版発行

『アルジャーノンに花束を/新版』(ダニエル・キイス)_書評という名の読書感想文

『アルジャーノンに花束を/新版』ダニエル・キイス 小尾芙佐訳 ハヤカ

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑