『海を抱いて月に眠る』(深沢潮)_書評という名の読書感想文
公開日:
:
最終更新日:2024/01/07
『海を抱いて月に眠る』(深沢潮), 作家別(は行), 書評(あ行), 深沢潮
『海を抱いて月に眠る』深沢 潮 文春文庫 2021年4月10日第1刷

世代も国境も超えた希望の書
感動で全身が震える傑作 家族に疎まれながら死んでいった在日一世の父。通夜で涙を流す謎の美女。父はいったい何者だったのか。離婚して働きながら一人娘を育てる梨愛。横暴で厳格だった在日一世の父は、親戚にも家族にも疎まれながら死んだ。しかし、通夜では見知らぬ人たちが父の死を悼み、涙を流していた。父はいったい何者だったのか。遺品の中から出てきた古びたノートには想像を絶する半生が記されていた。新しい在日文学の傑作! (文春文庫)
1987年に発生した、北朝鮮の工作員だった女性・金賢姫による 「大韓航空機爆破事件」 を、みなさんはご存知でしょうか。それは韓国ソウルで開催予定のオリンピックを阻止するために、北朝鮮が企てた民間航空機に対する大胆極まりない爆破テロでした。
韓国や北朝鮮について、それまで何の興味もなかっが私が、実行犯である金賢姫に興味を持ち、彼女の祖国の独裁者・金正日に興味を持ったのは、この事件がきっかけでした。
その後、私は仕事で何度も韓国へ行きました。境界線間近で、実際に北朝鮮の地を見たこともあります。金賢姫の手記を読み、脱北者の手記を読みました。やむにやまれず日本にやって来た、あるいは日本という異国で生まれ育った “在日の” 人たちの、手記や小説を読みました。
本書 『海を抱いて月に眠る』 は、娘・梨愛からみた、父・文徳允 (ムンドクユン) および彼と同じ時代を生き抜いた “在日一世” の物語です。
90歳 (実際は85歳) で死んだ在日一世の父・文徳允は大学ノートで20冊にも及ぶ手記を残していました。物語はそんな彼の波瀾万丈な半生を軸に、父・徳允の過去を徐々に知る娘・梨愛の動揺を間に挟みながら進行します。
文徳允と名乗っていた父の本名は李相周。1931年、植民地時代の慶尚南道・三千浦に生まれ、45年の解放後 (日本からいえば敗戦後)、旧制中学の同級生だった姜鎭河、韓東仁の二人とともに、日本に向かう密航船に乗った。だが船は対馬沖で遭難。九死に一生を得た三人は身分証に代わる米穀通帳を手に入れ、以後、相周は通帳にあった5歳上の 「文徳允」 として生きてきたのでした。
いつか必ず故国に帰ると決意しつつも、祖国は南北に分断され、やがて韓国には朴正煕の独裁政権が成立。徳允は韓青 (在日韓国青年同盟) のメンバーとして、密航してきた仲間とともに民主化運動にのめり込んでいきます。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
祖国の民主化闘争に全身全霊をかける夫と、家庭をないがしろにする夫への不信をしだいに募らせていく妻。二人の溝は、息子の鐘明が誕生し、心臓に重い病気を抱えているとわかった頃から、さらに深まっていきます。当時の徳允は、朴政権の下から亡命してきた金大中の支援闘争で駆け回っていましたが、それは韓国政府への反逆を意味します。金大中が滞在中のホテルから拉致された事件の後、徳允らは韓民統 (韓国民主回復統一促進国民会議) を結成するも、その頃からKCIA (韓国中央情報部) の尾行の影がちらつきはじめ・・・・・・・。
(妻の) 容淑はついに夫の説得に乗り出します。〈お腹の子のためにも、もう韓民統での活動はやめてください。国にたてつかないでください。あなたになにかあったら心配です。私たち、路頭に迷ってしまいます〉
運動をとるか、家族をとるか。さあ、どうする徳允! (解説より)
在日二世の妻・容淑には、家族を祖国に残し、艱難辛苦の果てに日本に辿り着き、李相周という本名を捨て、文徳允 (日本名は文山徳允) と名を変えてまで “いつの日が民主化なった祖国へ帰る” という、在日一世の夫・徳允の気持ちが理解できません。
生きるか死ぬかの間際で苦しむ幼い息子を置いて、何が金大中か - そう言う妻に対し、夫・徳允は 「祖国・韓国の正義をとるか、それとも家族をとるか」 で大いに悩むのですが、それより何より、彼は、妻としての、そして女としての容淑に対する配慮が圧倒的に欠如しています。無骨で、(強く心で思っていても) 感謝の言葉ひとつ言えません。
この本を読んでみてください係数 85/100

◆深沢 潮
1966年東京都生まれ。
上智大学文学部卒業。
作品 「ハンサラン 愛する人びと」「伴侶の偏差値」「ランチに行きましょう」「ひとかどの父へ」「あいまい生活」他
関連記事
-
-
『諦めない女』(桂望実)_書評という名の読書感想文
『諦めない女』桂 望実 光文社文庫 2020年10月20日初版 失踪した六歳の少女
-
-
『愛なんて嘘』(白石一文)_書評という名の読書感想文
『愛なんて嘘』白石 一文 新潮文庫 2017年9月1日発行 結婚や恋愛に意味なんて、ない。けれども
-
-
『うつくしい人』(西加奈子)_書評という名の読書感想文
『うつくしい人』西 加奈子 幻冬舎文庫 2011年8月5日初版 他人の目を気にして、びくびくと
-
-
『少年と犬』(馳星周)_書評という名の読書感想文
『少年と犬』馳 星周 文藝春秋 2020年7月25日第4刷 傷つき、悩み、惑う人び
-
-
『あのひと/傑作随想41編』(新潮文庫編集部)_書評という名の読書感想文
『あのひと/傑作随想41編』新潮文庫編集部 新潮文庫 2015年1月1日発行 懐かしい名前が
-
-
『あたしたち、海へ』(井上荒野)_書評という名の読書感想文
『あたしたち、海へ』井上 荒野 新潮文庫 2022年6月1日発行 親友同士が引き裂
-
-
『ある日 失わずにすむもの』(乙川優三郎)_書評という名の読書感想文
『ある日 失わずにすむもの』乙川 優三郎 徳間文庫 2021年12月15日初刷 こ
-
-
『祝山』(加門七海)_書評という名の読書感想文
『祝山』加門 七海 光文社文庫 2007年9月20日初版 ホラー作家・鹿角南のもとに、旧友からメー
-
-
『「いじめ」をめぐる物語』(角田光代ほか)_書評という名の読書感想文
『「いじめ」をめぐる物語』角田 光代ほか 朝日文庫 2018年8月30日第一刷 いじめを受けた側、
-
-
『背中の蜘蛛』(誉田哲也)_第162回 直木賞候補作
『背中の蜘蛛』誉田 哲也 双葉社 2019年10月20日第1刷 池袋署刑事課の課長