『沈黙の町で』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/14 『沈黙の町で』(奥田英朗), 作家別(あ行), 奥田英朗, 書評(あ行)

『沈黙の町で』奥田 英朗 朝日新聞出版 2013年2月28日第一刷

川崎市の多摩川河川敷で、中学1年生の上村遼太君の刺殺体が発見されたのは、2月20日のことでした。事件に関する報道は過熱する一方で、今だに収束する気配がありません。

当初、逮捕された3人の少年たちは事件への関与を否定し、多くを語ろうとしませんでした。客観的事実のほとんどが彼らの犯行を指し示しているにもかかわらず、彼らの態度は頑なでした。少年たちが真実を語り始めたのは、ごく最近になってからのことです。
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【地方の小さな町の中学校で、一人の男子生徒が死んでいるのが発見されます。死因は事故か、それとも事件に巻き込まれたものなのか。捜査が進むにつれ、死んだ生徒がいじめられていたことが判明します。警察は4人の同級生を〈被疑者〉として拘束します。果たして、彼らが同級生を死に追いやった張本人なのでしょうか。】

学校の部室棟の下、コンクリート側溝に頭部を砕かれ死亡していたのは、2年B組の生徒、名倉祐一でした。校内巡回中の国語教師・飯島が祐一を発見する場面からこの物語は始まります。

祐一は、市内に呉服店を経営する資産家の一人息子です。舞台となる桑原市は、今でも田舎の風土が色濃く残る、地縁血縁の縛りが強い町です。関係者はすべて顔見知り、いつ出会うかも知れない距離のなかで暮らしています。地元の学校で発生した事件は、町の事件でもありました。

祐一が亡くなる当日の行動を調べる過程で、警察が目を付けたのが4人の生徒でした。市川健太、坂井瑛介、藤田一輝、金子修斗。祐一を含む5人は同じテニス部で、祐一が亡くなる直前まで行動を共にしていたのです。

当初、祐一は部室に面した屋根から転落したものと思われていたのですが、じつは屋根の隣には銀杏の巨木があり、そこから伸びる枝から落下したことが判明します。男子生徒たちは肝試しと称して、屋根に覆い被さるように茂っている銀杏の枝に飛び移ってはスリルを楽しんでいたのでした。

4人が祐一を煽った、屋根から銀杏の枝に飛び移るのを強要したのではないか、というのが警察の見解です。祐一が亡くなる前、確かに屋根の上には5人がいたのです。しかし、祐一が亡くなったことを4人が知ったのは翌日のことで、当日は祐一だけ残して全員先に帰ったと言います。言い淀みこそするものの、彼らの主張は頑なです。

警察が下した判断は、事件をより深刻化するものでした。瑛介と一輝は逮捕、健太と修斗は児童相談所送りという処分です。少年法の規定により、同じ傷害容疑でも14歳未満は罪に問われません。同級生ながら、誕生月の違いだけで処遇は格段に違うものになります。

4人の〈被疑者〉の中に健太と瑛介がいたことは、教師や生徒を驚かせ、動揺させます。彼らは人望もあり、日頃からいじめる側よりむしろ不正を暴く側の生徒でした。およそ非行とは縁がない2人が、祐一の死に関与しているとは考えられないことでした。

拘束された4人を更に追い詰めたのは、いじめの実態でした。死体検分の際、祐一の背中に無数のどす黒い内出血痕があるのが分かります。痕が残るくらいに捻りあげたものですが、実行した複数の生徒に混ざって、4人もまたそのいじめに加担していたのでした。

そもそも、名倉祐一は異質な生徒でした。祐一のキャラクターを解き明かすのは、非常に難しいと思います。彼は、元から教室でもテニス部でも浮いた存在です。日頃からいじられて蹴られたりしているのですが、それでも後ろからついて行くのをやめません。

服も靴も、テニスラケットも高価なブランド品。飲み物をせびられると、自分からみんなの分を買うようになって、それが日常化しています。テニスは下手で下級生にもバカにされるのですが、陰ではその下級生をいじめたりもしているのです。

健太や瑛介、クラスの仲間も祐一を庇うのですが、素直に感謝するどころかむしろ余計なことをされたように不機嫌な態度を取り続けます。仲間の秘密を、平気で教師にバラしてしまいます。祐一は「空気が読めない奴」、彼に友達と呼べる同級生はいませんでした。

祐一の母・寛子は、息子がいじめられていた理由が分かりません。しかし、寛子にすれば、息子が亡くなったのは紛れもなくいじめのせいです。一人息子を失った寛子の悲しみと怨みは、ひたすら健太たち〈加害者〉へ向かいます。

瑛介の母・百合は、息子が〈逮捕〉されたという事実と、逮捕されなかった生徒がいるという事実を受け入れられずに混乱します。健太の母・恵子は夫の無責任さに失望し、娘の有紀を案じ、家族の危機的状況を一人抱え込んだ思いです。
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祐一が亡くなったときの全容、以前からのいじめの実態が明らかになるのは、物語も随分後半のことですが、奥田英朗が書きたかったのは、決して事件の結末ではありません。最も書きたかったことは、中学生という、じつに半端な年齢の少年少女の生態です。

彼らは純粋で、しかも世間を知りません。彼らには彼らだけが分かち合えるルールがあり、そのルールを守るために大人のように小賢しい手段は使いません。鉄の掟は何をおいても死守すべきであり、守れないのは自分で自分の存在を放棄することなのです。

その掟が疑念を招き、たとえ自分にとって不利な状況を招こうとも、信念を曲げるわけにはいかないのです。残念ながら、教師も警察官も、親でさえ彼らの心に手が届きません。最後まで本心を明かさない彼らに、周囲の大人は右往左往するばかりなのです。

この本を読んでみてください係数 90/100

◆奥田 英朗
1959年岐阜県岐阜市生まれ。
岐阜県立岐山高等学校卒業。プランナー、コピーライター、構成作家を経て小説家。

作品 「ウランバーナの森」「最悪」「邪魔」「東京物語」「空中ブランコ」「イン・ザ・プール」「町長選挙」「ララピポ」「オリンピックの身代金」「ナオミとカナコ」他多数

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