『大人は泣かないと思っていた』(寺地はるな)_書評という名の読書感想文

『大人は泣かないと思っていた』寺地 はるな 集英社文庫 2021年4月25日第1刷

傷ついた大人たちを優しく包む、始まりの物語

時田翼32歳、農協勤務。九州の田舎町で、大酒呑みの父と二人で暮らしている。趣味は休日の菓子作りだが、父は 「男のくせに」 といつも不機嫌だ。そんな翼の日常が、真夜中の庭に現れた “ゆず泥棒” との出会いで動き出し・・・・・・・(「大人は泣かないと思っていた」)。恋愛や結婚、家族の 「あるべき形」 に傷つけられてきた大人たちが、もう一度、自分の足で歩き出す - 色とりどりの涙が織りなす連作短編集。(集英社文庫)

今私が一番読みたい作家。
田舎で生まれ、田舎で暮らす私には、身に覚えのあることばかりが書いてあります。リアルで、とても他人事とは思えません。

とはいえ、特に変わったことが書いてあるわけではありません。隣家との軋轢や家族のあり方について。偏見まみれの恋愛観や結婚観について。そこにある日常があるがままに、時にコミカルに、包み隠さず正直に描かれています。

市町村合併で 「耳中群肘差村」 から 「耳中市肘差」 へと名称が変わり、翼は耳中市民になった。でも、生活が変わるわけではない。もともとの市民からは小馬鹿にされている。日本全体から見れば小さなエリアなのに、その中で序列をつくりたがる人がいるのだ。

〈俺にとって田舎に住んでいるということは、多少の不便を伴うが、恥ではない。そして 「不便」 とは、買いものをする場所がイオンしかないとか交通の便が悪いとかそういうことではなくて、他人のわけのわからないプライドの保持のために利用される、ということだ。〉 (「大人は泣かないと思っていた」)

架空の地域でありながら、人間関係や噂話を通して生々しい田舎の姿を浮き彫りにしている。翼は職場の酒席でお酌を強要する習慣や気の利かなさを咎める 「お酌警察」 撲滅という野望を胸に秘めている。女性職員にコピーやお茶汲みをさせたりもしない。自分の雑用は自分でやるのが当然と考えている。

派手な髪色と服装、そして 「レモン」 という名から勝手にあらぬ詮索をされ続けてきた小柳レモンは達観している。「自分の尊厳を守る」 ために勤め先のファミリーレストランの店長に頭突きを食らわせた日、噛み締めるようにこう思う。

〈このまちでは噂が広まるのが異様にはやい。広まるのがはやいなら収束するのもはやいかと思いきやそうでもなく、みんないつまでもしつこく覚えている。そして何年経過しても、とっておきのお菓子を味わうように話題にして楽しむ。〉 (「小柳さんと小柳さん」)

自分の人生を他人の娯楽として消費させてたまるか。翼やレモンは、わかっている。意に反することはしない、染まらない。奇妙な目で見られようとも自分の世界を持っている。おかしなことには声を上げ、誠実に生きている。

生まれも育ちも肘差と変わらぬ規模の集落で、おまけに父が農協の職員だった私は、作品全体を通して描かれる 「田舎」 がとても他人事と思えなかった。その地域に罪はない。「田舎」 にしているのは、噂話や中傷でつながる未熟さなのだ。(解説より by こだま)

[目次]
大人は泣かないと思っていた
小柳さんと小柳さん
翼が無いなら跳ぶまでだ
あの子は花を摘まない
妥当じゃない
おれは外套を脱げない
君のために生まれてきたわけじゃない

大人は泣かないと思っていた - このフレーズが出てきたタイミングに、思わず 「上手い!! 」 と呟きました。それと最後の最後。結びの感じが、絶妙です。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆寺地 はるな
1977年佐賀県唐津市生まれ。大阪府在住。
高校卒業後、就職、結婚。35歳から小説を書き始める。

作品 「ビオレタ」「ミナトホテルの裏庭には」「夜が暗いとはかぎらない」「わたしの良い子」「水を縫う」「正しい愛と理想の息子」他

関連記事

『蓮の数式』(遠田潤子)_書評という名の読書感想文

『蓮の数式』遠田 潤子 中公文庫 2018年1月25日初版 35歳のそろばん塾講師・千穂は不妊治療

記事を読む

『徴産制 (ちょうさんせい)』(田中兆子)_書評という名の読書感想文

『徴産制 (ちょうさんせい)』田中 兆子 新潮文庫 2021年12月1日発行 「女に

記事を読む

『うさぎパン』(瀧羽麻子)_書評という名の読書感想文

『うさぎパン』瀧羽 麻子 幻冬舎文庫 2011年2月10日初版 まずは、ざっとしたあらすじを。

記事を読む

『オールド・テロリスト』(村上龍)_書評という名の読書感想文

『オールド・テロリスト』村上 龍 文春文庫 2018年1月10日第一刷 「満州国の人間」を名乗る老

記事を読む

『オロロ畑でつかまえて』(荻原浩)_書評という名の読書感想文

『オロロ畑でつかまえて』 荻原 浩 集英社 1998年1月10日第一刷 萩原浩の代表作と言えば、

記事を読む

『失はれる物語』(乙一)_書評という名の読書感想文

『失はれる物語』乙一 角川文庫 2006年6月25日初版 目覚めると、私は闇の中にいた。交通事故に

記事を読む

『劇団42歳♂』(田中兆子)_書評という名の読書感想文

『劇団42歳♂』田中 兆子 双葉社 2017年7月23日第一刷 大学で劇団を組んでい

記事を読む

『あおい』(西加奈子)_書評という名の読書感想文

『あおい』西 加奈子 小学館文庫 2007年6月11日初版 西加奈子のデビュー作です。「あお

記事を読む

『とにかくうちに帰ります』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『とにかくうちに帰ります』津村 記久子 新潮社 2012年2月25日発行 「家に帰る以上の価

記事を読む

『これからお祈りにいきます』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『これからお祈りにいきます』津村 記久子 角川文庫 2017年1月25日初版 高校生シゲルの町には

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『アイドルだった君へ』(小林早代子)_書評という名の読書感想文

『アイドルだった君へ』小林 早代子 新潮文庫 2025年3月1日 発

『現代生活独習ノート』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『現代生活独習ノート』津村 記久子 講談社文庫 2025年5月15日

『受け手のいない祈り』(朝比奈秋)_書評という名の読書感想文

『受け手のいない祈り』朝比奈 秋 新潮社 2025年3月25日 発行

『蛇行する月 』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『蛇行する月 』桜木 紫乃 双葉文庫 2025年1月27日 第7刷発

『でっちあげ/福岡 「殺人教師」 事件の真相 』(福田ますみ)_書評という名の読書感想文

『でっちあげ/福岡 「殺人教師」 事件の真相 』福田 ますみ 新潮文

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑