『ツタよ、ツタ』(大島真寿美)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/09
『ツタよ、ツタ』(大島真寿美), 作家別(あ行), 大島真寿美, 書評(た行)
『ツタよ、ツタ』大島 真寿美 小学館文庫 2019年12月11日初版
(注) 小説では、芙沙子を 「千紗子」 と、ツルを 「ツタ」 としています。
さて、この 『ツタよ、ツタ』 物語の種となったのは、じつは、沖縄文学で 「幻の作家」 と呼びならわされている久志芙沙子 (久志ツル 1903 ~ 1986) だった。(後略)
琉球・沖縄の長い歴史において、初めて 「読む女、書く女」 が誕生するのは、明治の近代教育を待たなければならない。有史いらい口承の伝統に生きていた沖縄女性に、儒教的 「女子不学」 のくびきが解かれ、初めて文字の習得が許されたのである。口承の神歌 (オモロ) を綿々と伝承しつづけ、それゆえに声の文化を充溢させてきた沖縄女性が、琉球語に代わる日本語と文字を初めて手にしたことになる。口承から書承への時代変遷の中で、久志芙沙子は文筆に憧れた第一世代といえよう。
「幻の作家」 と呼ばれるいわれは、1932年 (昭和7) にさかのぼる。その年の 『婦人公論』 6月号に、「久志富佐子」 のペンネームで小説 「滅びゆく琉球女の手記 - 地球の隅つこに押しやられた民族の嘆きをきいて頂きたい」 が掲載された。しかも 『朝日新聞』 に掲載された広告には、「滅びゆく琉球女の手記」 が白抜き文字の派手なレイアウトになっていて、否応なく目についた。
掲載号が発売されるや、広津和郎の 「さまよえる琉球人」 筆禍事件 (1926) の記憶がよみがえった 「京浜沖縄県学生会」 から、いきなり芙沙子は糾弾された。
主人公の女性の視点を通して描かれていたのは、疲弊した琉球の現状や、琉球の出自を隠して立身出世した叔父、そして故郷に残された老母たちの困窮である。うち棄てられた女たちに 「琉球の現実」 が象徴されている描き方であるが、その現実をこそ文学に結晶化しようと心を注ぐ芙沙子の視点と、就職や結婚の妨げとなる 「恥」 であるから蓋をすべきであると考える学生らの視点との、衝突であった。
糾弾さえなかったら、原稿用紙4、50枚に書きためられた作品は、『婦人公論』 誌上に連載され、初の沖縄女性作家の誕生となるはずだった。しかし編集長は更迭され、連載は打ち切られ、原稿は紛失した。初回掲載のわずか数ページだけで、私たちは幻の作品の残り香をかぐしかない。これが、久志芙沙子の 「筆禍事件」 であり、「幻の作家」 となった経緯である。(勝方=稲福恵子/早稲田大学名誉教授 解説より抜粋)
「かう故郷のことを洗ひざらひ書き立てられては、甚だ迷惑の至りだから黙ってゐろ (中略) 謝罪しろ」 と迫られて、芙沙子が黙っていたわけではありません。小説が掲載された翌月の 『婦人公論』 に、実に釋明文らしからぬ 「釋明文」 を載せたのでした。
差別の被害を糾弾したつもりの学生たちが、差別の加害者に転じている点を、芙沙子は衝いたのだ。わずか二ページの、釋明ならざる 「釋明文」 だが、沖縄文学の泰斗・岡本恵徳をして 「久志芙沙子が、このように明晰に提示した論理の内実に、いま沖縄にすむぼくたちが、なにほどのものをつけ加えたか」 (『沖縄文学の地平』 岡本恵徳/著) と唸らせて、彼女の存在を沖縄文学史に燦然と輝かせることになった。(同解説より)
波瀾万丈を絵に描いたようなツタの人生は、当然ながら、その大方が彼女が意図してしたものではありません。思わぬ成り行きでなった代用教員にはじまり、言われるままにした結婚と異国での生活、愛する我が子との別れ、思いがけない恋愛・・・・・・・。
昭和七年。いよいよツタは、婦人雑誌に投稿した短編小説が評価され掲載されるに至るのですが、思いもよらず、同郷の人々から激しい抗議を浴びることになります。
結果、思いのままを綴った短編がひとつ。その短編に向けた抗議に対する釋明文がひとつ。たったふたつの文章で、ツタは後年、「幻の女流作家」 と呼ばれるようになります。
※ツタがはじめ考えたのは、徒然に思う自分の感情を、言葉に代えて書き残すということでした。感じたことを感じたままに、忘れぬよう正確に書き留める。そうすることで、彼女は何かしら心の安寧を得ることができたのでした。雑誌の原稿募集を見つけ応募しようと思い付いたのは、最初の夫と別れると、ツタが決めた後のことです。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆大島 真寿美
1962年愛知県名古屋市生まれ。
南山短期大学人間関係科卒業。
作品 「宙の家」「ピエタ」「チョコリエッタ」「虹色天気雨」「ビターシュガー」「ふじこさん」「あなたの本当の人生は」「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」他多数
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