『アカペラ/新装版』(山本文緒)_書評という名の読書感想文

『アカペラ/新装版』山本 文緒 新潮文庫 2020年9月30日5刷

人生がきらきらしないように、
明日に期待しすぎないように、
生きているあなたのために。
静かに心を温める3つの物語

身勝手な両親を尻目に、前向きに育った中学三年生のタマコ。だが、大好きな祖父が老人ホームに入れられそうになり、彼女は祖父との “駆け落ち” を決意する。一方、タマコを心配する若い担任教師は、二人に振り回されて - 。奇妙で優しい表題作のほか、ダメな男の二十年ぶりの帰郷を描く 「ソリチュード」、独身の中年姉弟の絆を見つめた 「ネロリ」 を収録。温かさと切なさに満ちた傑作小説集。(新潮文庫)

※以下の文章に - 「ソリチュード」 は、2007年、復帰作として書いた - とあるのは、一編目の 「アカペラ」 執筆後、著者が’病気のため約6年間、小説を書くのを休んでいたためです。

「ソリチュード」 は、2007年、復帰作として書いた。
千葉県の銚子へ、一泊二日の取材旅行に連れて行って頂き書いたものだ。私はあまり取材旅行に出かけることはないのだが (行かないわけではなく、個人旅行としてこっそり行く)、このときは何故か編集の方と一緒に行きたいという気持ちになった。

町のあちこちににょきにょき立つ風車も、泊まった温泉も、原稿には反映されなかったが長閑な銚子電鉄も、何を見ても新鮮で瑞々しかった。しかしこの取材で一番の思い出は、編集者が運転するレンタカーが豪雨の中、キャベツ畑に脱輪してつっこみ、レッカー車が来るまでの数時間、立ち往生して途方に暮れたことだった。

この話を読み返すと、ぬかるみにはまった車と、ずぶぬれになって泥だらけで震えた、あの夕暮れの時間を思い出す。最初は大笑いで、そのうちだんだん深刻になってゆき、やっと助けてもらえた時の物凄い安堵。その気持ちのグラデーションをたぶん私は一生忘れない。助かってよかった。(文庫版あとがきより)

ダメな男の二十年ぶりの帰郷を描くソリチュード
主人公の春一は、今年三十八歳。訳あって高校卒業間際に家を飛び出し、千葉から東京へ。その後あれこれあったものの東京に住み続け、気付けば二十年、実家に帰らぬままになっています。ようやく帰ると決めたのは、父が死んだと知ったからでした。

さて、では春一の二十年にも及ぶ駄目さの程度はといいますと、本人曰く、
誰も彼もがそれを知っていて、許さなかったり許してくれたり、冷笑を浴びせかけたり黙って去っていったり、殴りかかってきたりそれにつけこんできたりしたけれど、おれの駄目さはビタ一文治らなかった。」 - となります。

いかばかりか抽象的ではありますが、その一々について、読むとなるほどその通りであるのがわかります。

彼は決して怠け者ではありません。それなりに働いてはいますし、人に迷惑をかけているわけでもありません。多少優柔不断ではありますが、そこは自分でも十分自覚しています。

春一は基本優しい心の持ち主で、その上かなりなイケメンであるらしい。そしておそらくは、万事においてその両方が災いの源であるような、中々に厄介な人物であるわけです。恨まれず、(女性は特に) 好意的ではありますが、彼にとってはそれが時に大きな負担となって、たまらず逃げ出してしまいたくなるのでした。

その時々の彼の心情を象徴するような場面があります。自分に置き換え、想像してみてください。※具体的に何があってそんな心情に至ったのかは、ぜひ本文で。

自転車に乗って国道を走り、近道をするため農道へと折れた。ここは風の強い町だ。特に冬は海から突風が吹きつける。耳がちぎれそうに冷え切り、首に巻いていたマフラーが風で飛ばされそうになって片手で押さえた。

おれは派手に転んだ。畑に体が放り出された、と思ったら、そこは畑にしてはずいぶんと固い物が沢山転がっていて、何やら異臭がする。痛みを堪えて起きあがりあたりを見渡すと、そこが産業廃棄物置き場になっていることに気が付いた。

どちらにしても左半身が泥まみれになった。うんざりした。うんざりしないように、投げ出さないように、踏みとどまってきた。時間が過ぎるのを待てば、やがて事態は良くなるはずだと自分に言い聞かせてきた。(P123)

この本を読んでみてください係数  85/100

◆山本 文緒
1962年神奈川県生まれ。2021年10月13日(58歳)没。
神奈川大学経済学部卒業。

作品 「恋愛中毒」「プラナリア」「群青の夜の羽毛布」「眠れるラプンツェル」「紙婚式」「結婚願望」「落花流水」「ブルーもしくはブルー」「自転しながら公転する」他多数

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