『空海』(高村薫)_書評という名の読書感想文

『空海』高村 薫 新潮社 2015年9月30日発行


空海

 

空海は二人いた - そうとでも考えなければ説明がつかない・・・。わが国の形而上学の基礎を築き治水事業の指揮まで執った男。外国語を自在に操り、実学をも掌中に収め、万巻の先端情報を母国にもたらした男。1200年のむかし一人の人間に、それら凡てを可能にしたもの。それは後進国ゆえの使命感かはたまた天の導きか。カリスマの足跡を辿りその脳内ドラマを追う作家の眼。カメラ映像70点とともに21世紀を生きる日本人の精神の奥底を浚う。(「BOOK」データベースより)

今回のように実在した人物の評伝ともなれば、ある程度は予定の範囲なのでしょう。それにしても(と言うべきか、いつものようにと言うべきか)、巻末にある膨大な参考文献や数多の取材対象者を見るにつけ、なぜ「高村薫」であったのかが分かろうというものです。

京都新聞に連載が始まった頃、読むには読んでいたのですが、朝一番の起きぬけにはどうにもキツくて、いつの間にやら眺める程度でやり過ごしていました。しかし、いずれ単行本になったときには、きっと買ってしまうんだろうなという妙な確信がありました。

断っておきますが、私は熱心な仏教徒でもありませんし、「空海」に特別な思い入れがあるわけでもありません。歳を取った分、前と比べて「お寺」や「僧侶(住職)」が身近になったということはあります。学生時代、思いつくまま京都の寺社仏閣を巡ったりもしました。

しかし、だからといって、今更ながらに「真言密教」の何ぞやを学ぼうとしたわけでもなく、ただ大のファンの高村薫が書いた本だから欲しいと思っただけなのです。読まない(読めない)かも知れないけれど手元に置いておきたい、そんな気持ちで買いました。
・・・・・・・・・・
では、今なぜ「空海」なのか - と言いますと、そもそもは共同通信社が企画した紀行もので、それが為に、高村薫は「21世紀の空海の肖像を探る」ための旅に出ます。

行った先を列挙すると - 高野山、四国の大滝嶽(徳島県)から室戸岬(高知県)の手前に位置する御厨人窟(みくろど)-(遣唐使時代を間に挟んで)- 比叡山延暦寺、京都の高雄山寺(神護寺)、同じく京都の東寺、果ては四国を縦横する遍路道にまで及びます。

それぞれに空海縁の地であり、色鮮やかな数多くの写真が添えられています。それが嬉しく、より想像を掻き立てられたりもします。ぜひ見て欲しいのは、御厨人窟側から撮られた、すぐ目の前にある「空」と「海」の写真 - 空海は、ここで「空海」になります。

ただ、高村薫が訪れた多くの地にあって、「空海」とは直接関係のない場所があります。まず冒頭で語られるのが、2011年3月に発生した東日本大震災の被災地。そして最後が、熊本県にあるハンセン病患者のための国立療養所「菊池恵楓園」です。

東日本大震災に先立つこと16年、阪神淡路大震災は1995年1月に発生しました。時に高村薫は自宅にいて地震と遭遇し、それを機に、それまでの人生が文字通り根底から変わったと言います。いかなる信心にも無縁だった人間が突然、仏を想ったと書いています。

人間の意思を超えたもの、言葉で言い当てることのできないものに真に直面し、そのことを身体に刻んだのだと言います。以来、仏とは何かと考え続け、今回の企画を受けるに際して、今日本で最も深い祈りに満ちているだろう東北の被災地を訪ねようと思い立ちます。

最後、かつてのハンセン病患者の療養所での話は胸に詰まって苦しくなります。いかにもこの人らしい終わり方で、私は以前に涙して読んだ名作、ドリアン助川の『あん』という小説を思い出したりもしました。
・・・・・・・・・・
話を元に戻します。さて、「空海」という人物について、みなさんはどれほどのことをご存じなのでしょう。名前だけなら、おそらく日本人の誰もが知っています。しかし、いざ「空海」について語れと言われて、すらすら語れる人というのはどれくらいいるのでしょうか。

失礼を承知で言うと、例えば「弘法大師」と「空海」の区別が付かないであるとか、「コウボウも筆の誤り」という諺の「コウボウ」を漢字で書くと、「弘法」とは書けない人がいるかも知れません。否、きっといるはずです。皆が皆とも物知りなわけではありません。

知ってる人は当たり前に知っていますが、知らない人も大勢いるのです。私は高野山にも、延暦寺にも行ったことがありません。さほど行きたいとも思わない。でも、なぜ自分の家が浄土真宗の檀家で、隣の家が天台宗なのかを不思議に思ったりはするのです。

親父が亡くなってから、仕方がないのでお寺の行事へ行くようになります。親父がいるころ家でよく聞いた、日常勤行集にある「正信偈和讃」などを人まねに唱えていると、ある瞬間ツボに嵌まって「真空」みたいな状態になることがあります。

それがもしかすると「祈り」・・なのかも知れないなどと、一応分かったように考えてはみるのですが、何せ基礎知識が足りません。本来なら「親鸞」をこそ学ばねばならないところなのですが、残念ながら、まだそこまでの気持ちにはなれないでいます。

※ 「弘法大師」とは、正しくは「空海」が醍醐天皇から授かった諡号(「しごう」と読みます。送り名のこと)で、「空海」が亡くなって87年目にして与えられた、いわば「称号」のようなもの。「弘法も筆の誤り」は、「空海」が類い稀な書の名人だったことから生まれた諺です。

 

この本を読んでみてください係数  85/100


空海

 

◆高村 薫
1953年大阪市東住吉区生まれ。
同志社高等学校から国際基督教大学(ICU)へ進学、専攻はフランス文学。

作品 「マークスの山」「照柿」「太陽を曳く馬」「李歐」「リヴィエラを撃て」「黄金を抱いて翔べ」「わが手に拳銃を」「新リア王」「太陽を曳く馬」「晴子情歌」「半眼訥訥」など多数

関連記事

『後妻業』黒川博行_書評という名の読書感想文(その1)

『後妻業』(その1) 黒川 博行 文芸春秋 2014年8月30日第一刷 後妻業 &nbs

記事を読む

『カソウスキの行方』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『カソウスキの行方』津村 記久子 講談社文庫 2012年1月17日第一刷 カソウスキの行方 (

記事を読む

『恋』(小池真理子)_書評という名の読書感想文

『恋』小池 真理子 新潮文庫 2017年4月25日11刷 恋 (新潮文庫) 1972年冬。全

記事を読む

『浮遊霊ブラジル』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『浮遊霊ブラジル』津村 記久子 文芸春秋 2016年10月20日第一刷 浮遊霊ブラジル

記事を読む

『彼女の人生は間違いじゃない』(廣木隆一)_書評という名の読書感想文

『彼女の人生は間違いじゃない』廣木 隆一 河出文庫 2017年7月20日初版 彼女の人生は間違

記事を読む

『暗い越流』(若竹七海)_書評という名の読書感想文

『暗い越流』若竹 七海 光文社文庫 2016年10月20日初版 暗い越流 (光文社文庫) 5

記事を読む

『キッドナッパーズ』(門井慶喜)_書評という名の読書感想文

『キッドナッパーズ』門井 慶喜 文春文庫 2019年1月10日第一刷 キッドナッパーズ (文

記事を読む

『国道沿いのファミレス』(畑野智美)_書評という名の読書感想文

『国道沿いのファミレス』畑野 智美 集英社文庫 2013年5月25日第一刷 国道沿いのファミレ

記事を読む

『忌中』(車谷長吉)_書評という名の読書感想文

『忌中』車谷 長吉 文芸春秋 2003年11月15日第一刷 忌中   5

記事を読む

『ことり』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『ことり』小川 洋子 朝日文庫 2016年1月30日第一刷 ことり (朝日文庫) &nb

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『新装版 人殺し』(明野照葉)_書評という名の読書感想文

『新装版 人殺し』明野 照葉 ハルキ文庫 2021年8月18日新装版

『三千円の使いかた』(原田ひ香)_書評という名の読書感想文

『三千円の使いかた』原田 ひ香 中公文庫 2021年8月25日初版

『トリニティ』(窪美澄)_書評という名の読書感想文

『トリニティ』窪 美澄 新潮文庫 2021年9月1日発行 トリ

『エリザベスの友達』(村田喜代子)_書評という名の読書感想文

『エリザベスの友達』村田 喜代子 新潮文庫 2021年9月1日発行

『殺人カルテ 臨床心理士・月島繭子』(大石圭)_書評という名の読書感想文

『殺人カルテ 臨床心理士・月島繭子』大石 圭 光文社文庫 2021年

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑