『眠れない夜は体を脱いで』(彩瀬まる)_書評という名の読書感想文
公開日:
:
最終更新日:2024/01/07
『眠れない夜は体を脱いで』(彩瀬まる), 作家別(あ行), 彩瀬まる, 書評(な行)
『眠れない夜は体を脱いで』彩瀬 まる 中公文庫 2020年10月25日初版

自分の顔がしっくりこない男子高校生。五十過ぎに始めた合気道で若い男とペアを組むことになった会社員。恋人の元カノの存在に拘泥する女子大生。妻も部下もなぜ自分を不快にさせるのかと苛立つ銀行支店長。彼らは 「手の画像を見せて」 という不思議なネット掲示板に辿り着く・・・・・・・。「私」 という違和感に優しく寄り添う物語。 〈解説〉 吉川トリコ (中公文庫)
本書 『眠れない夜は体を脱いで』 は生まれ持って与えられた器に対する “なんらかのままならさ” にとらわれてしまった人たちの物語である。
その人をその人たらしめるものとは、いったいなんなのだろう。肉体はほんの一部、単なるガワにすぎないのに、他人からはその人のほとんどすべてにされてしまうことが少なくない。その齟齬に苦々しさやもどかしさを抱えながら、どういうわけか他人の痛みにはいくらでも鈍感になれる私たちは、自分以外のだれか (ときには自分自身) にまた同じことをしてしまう。
なりたい自分になれる場所、自分以外のなにかになれる場所、ふだんは抑圧されている自分を解放できる場所としてオンラインの世界を書く一方で、画面の向こうに存在するどこかのだれかの無数の手を、それぞれかけがえのない美しいものとして彩瀬は見事に書き分けてみせる。
てっきりこれは著者のフェティシズムの発露なのかと思ったが (それもあるのだろうが)、その人だけの生と性をオーダーメイドで書こうと心をくだく眼差しにも通ずる。ぴかぴかに磨きあげられた手もケアを怠ったずぼらな手も、丹念にその表情を書き出すことで、私たちの体を、その日々の営みを全力で肯定しているかのようだ。(解説より)
第一話 「小鳥の爪先」 に登場する (主人公の) 和海ほどではないにせよ、小学生や中学生の頃、私は “モテる” 方だったと思います。級長や音楽隊の指揮者に選ばれたのは、それなりに人気があったからでしょう。
大人になり、職場で私は折に触れ “優しい” と言われました。第四話 「鮮やかな熱病」 に登場する銀行の支店長・本藤とは違い 「旧来の社会規範に縛られ、男らしさの呪いにとらわれた日本全国そこら中にいるドメスティックなおじさん」 ではなかったはずです。
私は、私に自信がありました。働き始めてしばらくは、「なりたい自分になれる」 と固く信じていました。
いつからだったのでしょう、それがそうではなくなったのは。思ったほどには成果を上げられず、その原因を、自分ではなく別の誰かの (何かの) せいにして、見て見ぬ振りをし出したのは。他人 (ひと) よりむしろ、自分に優しくなったのは。
この本を読んでみてください係数 85/100

◆彩瀬 まる
1986年千葉県千葉市生まれ。
上智大学文学部卒業。
作品 「花に眩む」「あのひとは蜘蛛を潰せない」「伊藤米店」「骨を彩る」「神さまのケーキを頬ばるまで」「桜の下で待っている」「やがて海へと届く」他多数
関連記事
-
-
『姫君を喰う話/宇能鴻一郎傑作短編集』(宇能鴻一郎)_書評という名の読書感想文
『姫君を喰う話/宇能鴻一郎傑作短編集』宇能 鴻一郎 新潮文庫 2021年8月1日発行
-
-
『九年前の祈り』(小野正嗣)_書評という名の読書感想文
『九年前の祈り』小野 正嗣 講談社 2014年12月15日第一刷 第152回芥川賞受賞作、小野正
-
-
『デルタの悲劇/追悼・浦賀和宏』(浦賀和宏)_書評という名の読書感想文
『デルタの悲劇/追悼・浦賀和宏』浦賀 和宏 角川文庫 2020年7月5日再版 ひと
-
-
『月の上の観覧車』(荻原浩)_書評という名の読書感想文
『月の上の観覧車』荻原 浩 新潮文庫 2014年3月1日発行 本書『月の上の観覧車』は著者5作目
-
-
『君が手にするはずだった黄金について』(小川哲)_書評という名の読書感想文
『君が手にするはずだった黄金について』小川 哲 新潮社 2023年10月20日 発行 いま最
-
-
『にぎやかな湾に背負われた船』(小野正嗣)_書評という名の読書感想文
『にぎやかな湾に背負われた船』小野 正嗣 朝日新聞社 2002年7月1日第一刷 「浦」 の駐在だっ
-
-
『ユージニア』(恩田陸)_思った以上にややこしい。容易くない。
『ユージニア』恩田 陸 角川文庫 2018年10月30日17版 [あらすじ]北陸・K
-
-
『ナキメサマ』(阿泉来堂)_書評という名の読書感想文
『ナキメサマ』阿泉 来堂 角川ホラー文庫 2020年12月25日初版 最後まで読ん
-
-
『ナオミとカナコ』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文
『ナオミとカナコ』奥田 英朗 幻冬舎文庫 2017年4月15日初版 望まない職場で憂鬱な日々を送る
-
-
『晩夏 少年短篇集』(井上靖)_書評という名の読書感想文
『晩夏 少年短篇集』井上 靖 中公文庫 2020年12月25日初版 たわいない遊び