『眠れない夜は体を脱いで』(彩瀬まる)_書評という名の読書感想文

『眠れない夜は体を脱いで』彩瀬 まる 中公文庫 2020年10月25日初版

自分の顔がしっくりこない男子高校生。五十過ぎに始めた合気道で若い男とペアを組むことになった会社員。恋人の元カノの存在に拘泥する女子大生。妻も部下もなぜ自分を不快にさせるのかと苛立つ銀行支店長。彼らは 「手の画像を見せて」 という不思議なネット掲示板に辿り着く・・・・・・・。「私」 という違和感に優しく寄り添う物語。 〈解説〉 吉川トリコ (中公文庫)

本書眠れない夜は体を脱いでは生まれ持って与えられた器に対する “なんらかのままならさ” にとらわれてしまった人たちの物語である。

その人をその人たらしめるものとは、いったいなんなのだろう。肉体はほんの一部、単なるガワにすぎないのに、他人からはその人のほとんどすべてにされてしまうことが少なくない。その齟齬に苦々しさやもどかしさを抱えながら、どういうわけか他人の痛みにはいくらでも鈍感になれる私たちは、自分以外のだれか ときには自分自身にまた同じことをしてしまう。

なりたい自分になれる場所、自分以外のなにかになれる場所、ふだんは抑圧されている自分を解放できる場所としてオンラインの世界を書く一方で、画面の向こうに存在するどこかのだれかの無数の手を、それぞれかけがえのない美しいものとして彩瀬は見事に書き分けてみせる。

てっきりこれは著者のフェティシズムの発露なのかと思ったがそれもあるのだろうが、その人だけの生と性をオーダーメイドで書こうと心をくだく眼差しにも通ずる。ぴかぴかに磨きあげられた手もケアを怠ったずぼらな手も、丹念にその表情を書き出すことで、私たちの体を、その日々の営みを全力で肯定しているかのようだ。(解説より)

第一話 「小鳥の爪先」 に登場する (主人公の) 和海ほどではないにせよ、小学生や中学生の頃、私は “モテる” 方だったと思います。級長や音楽隊の指揮者に選ばれたのは、それなりに人気があったからでしょう。

大人になり、職場で私は折に触れ “優しい” と言われました。第四話 「鮮やかな熱病」 に登場する銀行の支店長・本藤とは違い 「旧来の社会規範に縛られ、男らしさの呪いにとらわれた日本全国そこら中にいるドメスティックなおじさん」 ではなかったはずです。

私は、私に自信がありました。働き始めてしばらくは、「なりたい自分になれる」 と固く信じていました。

いつからだったのでしょう、それがそうではなくなったのは。思ったほどには成果を上げられず、その原因を、自分ではなく別の誰かの (何かの) せいにして、見て見ぬ振りをし出したのは。他人 (ひと) よりむしろ、自分に優しくなったのは。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆彩瀬 まる
1986年千葉県千葉市生まれ。
上智大学文学部卒業。

作品 「花に眩む」「あのひとは蜘蛛を潰せない」「伊藤米店」「骨を彩る」「神さまのケーキを頬ばるまで」「桜の下で待っている」「やがて海へと届く」他多数

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