『物語が、始まる』(川上弘美)_書評という名の読書感想文
公開日:
:
最終更新日:2024/01/08
『物語が、始まる』(川上弘美), 作家別(か行), 川上弘美, 書評(ま行)
『物語が、始まる』川上 弘美 中公文庫 2012年4月20日9刷
いつもの暮らしのそこここに、ひっそり開いた異世界への扉 - 公園の砂場で拾った 〈雛型〉 との不思議なラブ・ストーリーを描く表題作ほか、奇妙で、ユーモラスで、どこか哀しい、四つの幻想譚。芥川賞作家の初めての短篇集。(中公文庫)
(解説より) 穂村弘さんの、楽しい、そしてとても共感できる文章を紹介しようと思います。
「雛型を手に入れた」 という冒頭の一文に、どきんとした。
「何の雛型かというと、いろいろ言い方はあるが、簡単に言ってしまえば、男の雛型である」 で、胸のどきどきは高まった。
そこへ追い打ちをかけるように、「生きている」。
うわっと思って本を伏せた。
ゆき子と三郎 - ゆき子は雛型を三郎と名付けます - の物語の中には、人形愛や母子愛や自己愛がぐちゃぐちゃに詰まっている。そしてそんなにぐちゃぐちゃになっていても、やはりそれは純愛なのだった。
「たぶん、あれが私たちのもっとも幸せな時間だったのかもしれない、と思う場面がある」 という一文に胸が締め付けられる。
私は思わず友達に電話をかけた。
「『物語が、始まる』 読んだ? 」
「川上さんの? 」
「うん」
「読んだよ~、三郎の話、せつないね~」
「うん、うん」
「あたし、泣いたよ」
「うん、うん、うん」
満足した私は肯きながら電話を切った。
そして次の作品を読み始めた。「トカゲ」 である。
この話には、女と子供と座敷トカゲしか出てこない。そして話の舞台は昼間のマンションだ。それなのにこの濃密ないやらしさはどうだ。
ラストシーンで行われている行為は、冷静に指を折って考えてみると、同性愛の近親相姦の獣姦の乱交のラマーズ呼吸法の黒ミサの生け贄儀式ではないか。しかもその快感は蛇の生殺しならぬトカゲの生殺しのようにいつまでも終わらない。読み終わった私の頭はすっかり痺れていた。
私は思わず友達に電話をかけた。
「『トカゲ』 読んだ? 」
「川上さんの? 」
「うん」
「読んだよ~、座敷トカゲ、面白いね~」
「めちゃくちゃエッチじゃないか」
「え、川上さんのこと? 」
「うん」
「そんなことないよ。だって川上さん、学校の先生だったんだよ」
「エッチな先生だっているだろう」
「だって理科の先生だよ」
「理科・・・・・・・」
「うん、炎色反応とか細胞分裂とか」
よくわからなくなった私は電話を切った。「トカゲ」 はエッチじゃないのか、興奮した私の方がエッチなのか、混乱しながら再び本を開いた。
次は 「婆」 である。(続く)
川上弘美が書いたものなら、私はもはや、少々のことでは驚かなくなりました。さすがに慣れました。人の形をした、ただの雛型が感情を持ち、口をきくようになり、生身の人間に恋をしたとしても。体長が1メートを超える、座敷犬ならぬ “座敷トカゲ” がいたとしても、それがなんだというのでしょう。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆川上 弘美
1958年東京都生まれ。
お茶の水女子大学理学部卒業。
作品 「神様」「溺レる」「蛇を踏む」「真鶴」「ざらざら」「センセイの鞄」「天頂より少し下って」「水声」「どこから行っても遠い町」「大きな鳥にさらわれないよう」他多数
関連記事
-
『なめらかで熱くて甘苦しくて』(川上弘美)_書評という名の読書感想文
『なめらかで熱くて甘苦しくて』川上 弘美 新潮文庫 2015年8月1日発行 少女の想像の中の奇
-
『マザコン』(角田光代)_書評という名の読書感想文
『マザコン』角田 光代 集英社文庫 2010年11月25日第一刷 この小説は、大人になった息子や
-
『虚談』(京極夏彦)_この現実はすべて虚構だ/書評という名の読書感想文
『虚談』京極 夏彦 角川文庫 2021年10月25日初版 *表紙の画をよく見てくださ
-
『自覚/隠蔽捜査5.5』(今野敏)_書評という名の読書感想文
『自覚/隠蔽捜査5.5』今野 敏 新潮文庫 2017年5月1日発行 以前ほどではないにせよ、時々
-
『忌中』(車谷長吉)_書評という名の読書感想文
『忌中』車谷 長吉 文芸春秋 2003年11月15日第一刷 5月17日、妻の父が86歳で息を
-
『すみなれたからだで』(窪美澄)_書評という名の読書感想文
『すみなれたからだで』窪 美澄 河出文庫 2020年7月20日初版 無様に。だけど
-
『八日目の蝉』(角田光代)_書評という名の読書感想文
『八日目の蝉』角田 光代 中央公論新社 2007年3月25日初版 この小説は、不倫相手の夫婦
-
『真鶴』(川上弘美)_書評という名の読書感想文
『真鶴』川上 弘美 文春文庫 2009年10月10日第一刷 12年前に夫の礼は失踪した、「真鶴」
-
『物語のおわり』(湊かなえ)_書評という名の読書感想文
『物語のおわり』湊 かなえ 朝日文庫 2018年1月30日第一刷 妊娠三ヶ月で癌が発覚した女性、父親
-
『村でいちばんの首吊りの木』(辻真先)_書評という名の読書感想文
『村でいちばんの首吊りの木』 辻 真先 実業之日本社文庫 2023年8月15日 初版第1刷発行