『窓の魚』(西加奈子)_書評という名の読書感想文

『窓の魚』西 加奈子 新潮文庫 2011年1月1日発行


窓の魚 (新潮文庫)

 

温泉宿で一夜をすごす、2組の恋人たち。静かなナツ、優しいアキオ、可愛いハルナ、無関心なトウヤマ。裸の体で、秘密の心を抱える彼らはそれぞれに深刻な欠落を隠し合っていた。決して交わることなく、お互いを求め合う4人。そして翌朝、宿には一体の死体が残される--恋という得体の知れない感情を、これまでにないほど奥深く、冷静な筆致でとらえた、新たな恋愛小説の臨界点。(「BOOK」データベースより)

賑やかすぎるくらいの関西弁や、大らかさと純朴さを絵に描いたような天然キャラクターがすっかり鳴りを潜め、どちらかと言うとやや暗く、静かなトーンで物語は進行します。この小説は、西加奈子の新たな境地を示唆するような作品です。

舞台は、鄙びた一軒の温泉宿。この温泉宿の内風呂が、面白い造りになっています。風呂の大きな窓から庭園が見えるのですが、湯船がそのままガラス越しに庭園の池に面しており、湯船よりも、池の水面が高くなっています。それ故に、時々、池で泳ぐ錦鯉の影がゆらりと動くのが分かります。

赤や白や、黒や黄色。じっと見ていると、鯉と一緒に風呂に入っているみたいな、妙な気分になります。この池と色鮮やかな錦鯉。それともうひとつ、姿を見せない猫。それらは、この小説の重要なモチーフです。
・・・・・・・・・・
登場するのは〈ナツ〉と〈アキオ〉、〈ハルナ〉と〈トウヤマ〉の2組のカップル。それと、一人の女の死体です。まず、この謎の死体の話から始めることにします。

発見したのは宿の従業員で、死体は風呂に面した池に浮かんでいます。池にかかる橋の、水中に立っている柱に宿の浴衣がひっかかっており、その下に女の死体はありました。そのときの様子を、従業員はこんな風に語ります。

大きな錦鯉に囲まれて、白い肌さらして、池に浮かんでいる様っていうのが、一幅の絵のようでした。綺麗な人だったんでしょうよ、年がいくつか分からない、不思議な感じの顔つきでしたよ。

こう、裾がひらひらと揺れてね、池の緑が反射して、周りを赤や黄色や白の、大きな鯉に囲まれてね。生きていたときより、数倍、綺麗に見えたんじゃないですかね。死んじまってるっていうのに、顔はどこかうっすら桃色をしてたね、ふわと広がった様子が、ああそう、まるで、牡丹の花のようでした。

そして、その日、聞き慣れない猫の鳴き声を聞いたと言います。しかし、どこを探しても猫の姿は分らない。その癖、声だけははっきりと聞こえる。庭の給水塔の辺りにも、納屋にも、露天の方にも猫は見当たらない。それだけが唯一変わったことだと言います。
・・・・・・・・・・
(物語の途中で暗示されもするのですが)死んだ女の正体は、最後まで明かされることなく曖昧なままです。宿泊客なのですが、宿帳に書かれていた住所も名前もでたらめで、外傷はなく、何か毒物が胃の中から検出されたということ以外、何も分りません。

さらに分からないのは、この小説における女の存在そのものです。

小説は、ナツ、トウヤマ、ハルナ、アキオの4つの章で区切られ、それぞれが一人称で自分を語るというスタイルで進行します。そして、その章と章の合間で、4人とは関わりのない、もうひとつの物語が挿入されています。

池で死んだ女を起点として、たまたま泊り合わせた別の客、死体を発見した旅館の従業員、旅館の女将などの「部外者」が、ここでも一人称の語りを始めます。
・・・・・・・・・・
主役たるべき4人の若者は、ありていに言えば皆現代風の、どこにでもいるような人物です。4人それぞれが分かり易いように多少デフォルメされていますが、特段おかしな人間ではありません。

一見今どきのお気軽なカップルに見える4人ですが、実は互いのことを心から愛しているとは到底言えない関係です。ハルナとトウヤマは、すでに両方が相手のことを好きではないことを承知していますし、アキオのナツに対する想いはことさら歪です。

そもそも彼らは、自分が最も忌み嫌う自分自身の内実をひた隠しにしたままで人を愛し、人に愛されたいと願っています。そして、そうである自分のことも十分理解しているのですが、打ち砕く手立てがなく、今はまだ仮面を被ったままの姿です。

温泉宿の池で錦鯉に塗れて死んでいた女は、4人の若者とどんな関係なのか。果たして、関係があるのか、ないのか。正直なところ、よくは分りません。但し、謎の女の存在がこの小説に得難い余韻を与えていることは、誰もが認めるはずだと思います。

※ 余談ですが、小説に登場する温泉宿は、おそらく修善寺温泉の新井旅館がモデルになっていると思います。知ってる人は知っている、風呂から鯉が見える、かなり有名な旅館です。

 

この本を読んでみてください係数 80/100


窓の魚 (新潮文庫)

◆西 加奈子
1977年イラン、テヘラン生まれ。エジプト、大阪府堺市育ち。
関西大学法学部卒業。

作品 「あおい」「さくら」「きいろいゾウ」「通天閣」「円卓」「漁港の肉子ちゃん」「きりこについて」「ふくわらい」「サラバ!」他

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『麦本三歩の好きなもの 第一集』(住野よる)_書評という名の読書感想文

『麦本三歩の好きなもの 第一集』住野 よる 幻冬舎文庫 2021年1月15日初版 麦本三歩の

記事を読む

『マザコン』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『マザコン』角田 光代 集英社文庫 2010年11月25日第一刷 マザコン (集英社文庫)

記事を読む

『惑いの森』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『惑いの森』中村 文則 文春文庫 2018年1月10日第一刷 惑いの森 (文春文庫) 毎夜、

記事を読む

『ハラサキ』(野城亮)_書評という名の読書感想文

『ハラサキ』野城 亮 角川ホラー文庫 2017年10月25日初版 ハラサキ (角川ホラー文庫)

記事を読む

『くちびるに歌を』(中田永一)_書評という名の読書感想文

『くちびるに歌を』中田 永一 小学館文庫 2013年12月11日初版 くちびるに歌を (小学館

記事を読む

『舞台』(西加奈子)_書評という名の読書感想文

『舞台』西 加奈子 講談社文庫 2017年1月13日第一刷 舞台 (講談社文庫) 太宰治『人

記事を読む

『45°ここだけの話』(長野まゆみ)_書評という名の読書感想文

『45° ここだけの話』長野 まゆみ 講談社文庫 2019年8月9日第1刷 45° ここだ

記事を読む

『迷宮』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『迷宮』中村 文則 新潮文庫 2015年4月1日発行 迷宮 (新潮文庫)  

記事を読む

『ダブル』(永井するみ)_極上のサスペンスは日常から生まれる

『ダブル』永井 するみ 双葉文庫 2020年2月15日第1刷 ダブル<新装版> (双葉文庫)

記事を読む

『妻が椎茸だったころ』(中島京子)_書評という名の読書感想文

『妻が椎茸だったころ』中島 京子 講談社文庫 2016年12月15日第一刷 妻が椎茸だったころ

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『ウィステリアと三人の女たち』(川上未映子)_書評という名の読書感想文

『ウィステリアと三人の女たち』川上 未映子 新潮文庫 2021年5月

『私の友達7人の中に、殺人鬼がいます。』(日向奈くらら)_書評という名の読書感想文

『私の友達7人の中に、殺人鬼がいます。』日向奈 くらら 角川ホラー文

『ペインレス あなたの愛を殺して 下』(天童荒太)_書評という名の読書感想文

『ペインレス あなたの愛を殺して 下』天童 荒太 新潮文庫 2021

『おもかげ』(浅田次郎)_書評という名の読書感想文

『おもかげ』浅田 次郎 講談社文庫 2021年2月17日第4刷発行

『ぼくがきみを殺すまで』(あさのあつこ)_書評という名の読書感想文

『ぼくがきみを殺すまで』あさの あつこ 朝日文庫 2021年3月30

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑