『毒母ですが、なにか』(山口恵以子)_書評という名の読書感想文

『毒母ですが、なにか』山口 恵以子 新潮文庫 2020年9月1日発行

16歳で両親が事故死し孤児となったりつ子は、絶縁状態だった父の生家・財閥の玉垣家に引き取られる。贅沢な生活を送りながらも常に 〈よそ者〉 でしかない孤独感を紛らわすかのように勉強に励み、東大に合格。卒業後は名家の御曹司と結婚し、双子を出産する。すべてを手に入れたりつ子が次に欲したのは、子どもたちの成功だった - 。永遠にわかりあえない母娘を克明に描き出す圧巻の長編! (新潮文庫)

舞台が昭和なだけに、ちょっと古い感じがしなくもありません。でも大丈夫。読むうち段々と、そんなことは気にならなくなります。そして圧巻の最終盤の、思いもしない顛末に “あっと驚く” ことになります。

精神科医であり、筑波大学教授の斎藤環先生の見立てはこうです。(解説より)

高校一年で両親を脱線事故で亡くしたりつ子は、父親の実家である富裕な玉垣家に引き取られた。上流社会の生活になじめず孤立したりつ子は、周囲の娘たちのように学習院に進学することを避けるべく必死で受験勉強に励み、東大に合格。しかし就職の段階で女子を阻むガラスの天井に突き当たり、方針変更、美貌を武器に婚活に勤しみ、名家大鷹家の長男、迪彦を射止める。そんなりつ子が双子を授かった。倫太郎と星良である。はじめは受験のことなど考えていなかったりつ子は、周囲からお受験の熾烈さを聞かされて、子どもたちを塾に通わせるようになる。しかし、娘の星良は小学校受験にことごとく失敗し、りつ子にとっては屈辱的なことに、公立小学校に通うはめになる。婚家から侮られる屈辱に耐えかねて、彼女は周囲の連中を見返してやることを決意する。

- と、ここまで書いて先生は、りつ子という女性をこう規定します。

そう、りつ子の生存原理はきわめてシンプルだ。中流階級の出自に対する引け目と、だからといって周囲から侮られるのは我慢できないという高いプライド。この原理ゆえに猛烈な努力で東大には入学できたし、結婚も思い通りになった。しかし娘の星良は、そうはならなかった。彼女からすればひどくできの悪い娘のせいで、りつ子の人生の軌道は少しずつ狂いはじめる。

- 改めて書いておきましょう。16歳を境にりつ子の人生はがらりと変わるのですが、それは、以前の彼女の生活が甚だしく辛かったとか苦しかったということではありません。玉垣家とは大きく趣は異なるものの、相応に豊かで幸せな日々を送っていたのです。

動機はさておき、持って生まれた美貌を武器に、りつ子は理想の夫を射止めることに成功します。夫・迪彦は名家の御曹司らしく品が良く穏やかな性格で、彼女のことを心から愛しています。りつ子もまた、誰よりも迪彦を慕っています。

多少の齟齬はあったにせよ、りつ子は人並み以上の暮らしを手に入れたのでした。その上、何を望むというのでしょう? 何がりつ子をそこまで駆り立てたのでしょう。

りつ子が娘の星良にしたことは、星良にとってはすべてが “地獄” でした。その内容と顛末は書かずにおきますが、母が願う娘の幸福と、娘が描く自分の将来がこれほどまでに食い違うのは、一体どこに原因があるのでしょう?

最後に、再び斎藤先生のことば。

このように母はしばしば、まったく無自覚に、それこそ 「良かれと思って」 娘を支配しようとする。りつ子は星良を抑圧し、献身し、同一化する。いずれも母による支配の典型的なやり方だ。(中略) 母はしばしば娘の身体を借りて自身の欲望を満たそうとするため、自己愛と献身と支配の区別がきわめて曖昧になりやすい。だから私はいつも強調している。「あなたのためを思っては、例外なく呪いの言葉なのだ、と。

※りつ子ほどではないにせよ、私の周りにも彼女によく似た人物がいます。おそらく、当人には一切悪気がありません。「良かれと思い」、「ためを思って」 することが、往々にして、自分のためであることに気付こうともしません。

この本を読んでみてください係数 80/100

◆山口 恵以子
1958年東京都生まれ。
早稲田大学文学部卒業。

作品 「邪剣始末」「月下上海」「食堂のおばちゃん」「婚活食堂」シリーズ、「恋形見」等

関連記事

『僕はロボットごしの君に恋をする』(山田悠介)_幾つであろうと仕方ない。切ないものは切ない。

『僕はロボットごしの君に恋をする』山田 悠介 河出文庫 2020年4月30日初版

記事を読む

『アズミ・ハルコは行方不明』(山内マリコ)_書評という名の読書感想文

『アズミ・ハルコは行方不明』山内 マリコ 幻冬舎文庫 2015年10月20日初版 グラフィテ

記事を読む

『少女架刑 吉村昭自選初期短篇集Ⅰ』(吉村昭)_書評という名の読書感想文

『少女架刑 吉村昭自選初期短篇集Ⅰ』吉村 昭 中公文庫 2024年8月30日 5刷発行

記事を読む

『終の住処』(磯崎憲一郎)_書評という名の読書感想文

『終の住処』磯崎 憲一郎 新潮社 2009年7月25日発行 妻はそれきり11年、口をきかなかった

記事を読む

『検事の本懐』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

『検事の本懐』柚月 裕子 角川文庫 2018年9月5日3刷 ガレージや車が燃やされ

記事を読む

『満願』(米澤穂信)_書評という名の読書感想文

『満願』米澤 穂信 新潮社 2014年3月20日発行 米澤穂信の『満願』をようやく読みました。な

記事を読む

『欺す衆生』(月村了衛)_書評という名の読書感想文

『欺す衆生』月村 了衛 新潮文庫 2022年3月1日発行 詐欺の天才が闇の帝王に成

記事を読む

『時穴みみか』(藤野千夜)_書評という名の読書感想文

『時穴みみか』藤野 千夜 双葉文庫 2024年3月16日 第1刷発行 平成生まれの少女がある

記事を読む

『ここは退屈迎えに来て』(山内マリコ)_書評という名の読書感想文

『ここは退屈迎えに来て』山内 マリコ 幻冬舎文庫 2014年4月10日初版 そばにいても離れて

記事を読む

『ツ、イ、ラ、ク』(姫野カオルコ)_書評という名の読書感想文

『ツ、イ、ラ、ク』姫野 カオルコ 角川文庫 2007年2月25日初版 地方。小さな町。閉鎖的なあの

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『僕の女を探しているんだ』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『僕の女を探しているんだ』井上 荒野 新潮文庫 2026年1月1日

『この本を盗む者は』(深緑野分)_書評という名の読書感想文

『この本を盗む者は』深緑 野分 角川文庫 2025年11月5日 8版

『いつも彼らはどこかに』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『いつも彼らはどこかに』小川 洋子 新潮文庫 2025年11月25日

『新しい花が咲く/ぼんぼん彩句』(宮部みゆき)_書評という名の読書感想文

『新しい花が咲く/ぼんぼん彩句』宮部 みゆき 新潮文庫 2025年1

『スピーチ』(まさきとしか)_書評という名の読書感想文

『スピーチ』まさき としか 幻冬舎 2025年9月25日 第1刷発行

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑