『ナイフ』(重松清)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/13 『ナイフ』(重松清), 作家別(さ行), 書評(な行), 重松清

『ナイフ』重松 清 新潮社 1997年11月20日発行

「悪いんだけど、死んでくれない? 」ある日突然、クラスメイト全員が敵になる。僕たちの世界は、かくも脆いものなのか。ミキはワニがいるはずの池を、ぼんやり眺めた。ダイスケは辛さのあまり、教室で吐いた。子供を守れない不甲斐なさに、父はナイフをぎゅっと握りしめた。失われた小さな幸せはきっと取り戻せる。その闘いは、決して甘くはないけれど。(新潮社解説より)

「いじめ」をテーマにした感涙必須の短編が5編。第14回坪田譲治文学賞受賞作品です。中から一つ、「エビスくん」という作品を紹介したいと思います。
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一学期の道徳の時間、無抵抗を貫いてインドをイギリスから独立させた〈ガンジー〉という偉人の話を習ったとき、先生が「うちのクラスでいうたら、相原みたいなもんやな」と言ったせいで、ひろしはクラスの仲間からガンジーと呼ばれています。

6年生の二学期、ひろしのクラスに転校生がやってきます。名前はエビスくん。体が大きく、背丈はクラスで一番の菊ちゃんより高く、学年一デブの高沢よりひとまわりも太い横幅なのですが、脂肪太りの高沢とは違い如何にもがっしりしています。

隣の席に座ったエビスくん(ひろしは前もって先生からエビスくんの面倒をみてほしいと頼まれています)に「仲良うしょうな、これから」と声をかけるのですが、エビスくんはこっちを見ようともしません。言葉で返事をする気にもならない、そんな感じの仕草です。

翌朝、登校して自分の席につくと、ひろしはいきなり後ろから頭をはたかれます。振り向くと、エビスくんが立っています。「ここ見ろよ。おまえ、ふざけんなよ」と、クラス日誌を鼻先へ突き出します。確かに昨日の日直はひろしで、日誌を書いたのも彼です。

エビスくんは、日誌に書かれてある自分の名前が違うと言って怒ります。見ると「戎」という字を「戒」と間違って書いています。「わざとやったのかよ、てめえ」「なめてんだろう、おれのことよお」エビスくんはそう言いますが、ひろしにはなめる理由がありません。

これが最初の頃の2人の様子。椅子を蹴り倒されたり、日誌の角をおでこにぶつけられたりと、ひろしは散々な目に遭うのですが、最後に、エビスくんは「仲良くなってやるよ、親友な、おれら」と、ひろしに向けて(ひろしにだけ)初めて笑います。

どこが親友やねん - 当然のことひろしはそう思うのですが、そんな中で2人の奇妙な付き合いが始まります。エビスくんはあらゆる機会に、あらゆる手段でひろしに悪さを仕掛けます。クラスのみんなは、誰も助けてくれません。

噂では、エビスくんの家は母子家庭だといいます。父親はやくざで、射殺されたであるとか、刑務所に入っているであるとか、みんなは勝手なことを言いますが、正面切って文句をつけようなどという友だちは一人もいません。

先生は何も知りません。思い余ったひろしは、ひどい目に遭っていることを打ち明けようと職員室の前までは行くのですが、どうしてもドアをノックすることができません。- ノックしてはいけないんだ。絶交するわけにはいかない。僕たちはずっと、親友のままでいなければならない - ひろしは、固く自分にそう命じています。
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ひろしには、5歳違いの妹がいます。早産で生まれた妹・ゆうこの心臓は、太い血管のつながり方が違っていたり、空くはずの穴がふさがったままだったりの難病で、学校へも行けず、長い入院生活を送っています。

7月の終わりには呼吸困難に陥り、誰もが「もうあかん」と覚悟を決めたのですが、そこを何とか乗り切ったあとも8月の旧盆過ぎまでは目の離せない状態で、集中治療室から一般病棟に戻ってきたのはようやく先週のことです。

ゆうこ:エビスってけったいな名前やねえ。ビールみたいやん。
母:そんなことあらへんよ、ゆうちゃん。えらいゲンのええ名前の子ォやない、エベッさんは七福神の一人なんやさかい。

ゆうこ:なあ、お兄ちゃん、エビスくんってエベッさんと関係あるんやろか。ご先祖がエベッさんやから、エビスくんいうのんと違うん? 神様の子ォやったらおもろいのにな・・・なんて、おもろないか、おもろいわけないな、そんなん。

最後にまた「アホらし」と、ゆうこがつまらなさそうに言うのを聞くと、ひろしはたまらない気持ちになります。「アホらし」が連なったすえに「生きていくのがアホらしなったわ」となるのを何より恐れています。

ゆうこ:そんなに言うなら、ほんまに神様の子孫やったら、エビスくんにいっぺんお見舞いに来てもろて。
ひろし:よっしゃ、連れてきたる。約束や、指きりげんまんしよ。

ほとんど何も欲しがらない、わがままも言わない妹が珍しく頼みごとをしたので、ひろしも思わず、しかし、まるで見込みのない約束をしてしまいます。実のところ、エビスくんに向けて頼みごとをするなどということを、ひろしはまだしたことがありません。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆重松 清
1963年岡山県津山市生まれ。
早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。

作品「定年ゴジラ」「カカシの夏休み」「ビタミンF」「十字架」「流星ワゴン」「疾走」「カシオペアの丘で」「あすなろ三三七拍子」「星のかけら」「ゼツメツ少年」他多数

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