『臣女(おみおんな)』(吉村萬壱)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2017/11/17 『臣女(おみおんな)』(吉村萬壱), 作家別(や行), 吉村萬壱, 書評(あ行)

『臣女(おみおんな)』吉村 萬壱 徳間文庫 2016年9月15日初版


臣女 (徳間文庫)

夫の浮気を知った妻は身体が巨大化していった。絶望感と罪悪感に苛まれながら、夫は異形のものと化して行く妻を世間の目から隠して懸命に介護する。しかし、大量の食糧を必要とし、大量の排泄を続ける妻の存在はいつしか隠しきれなくなり、夫はひとつの決断を迫られることに - 。恋愛小説に風穴を空ける作品との評を得、満票にて第22回島清恋愛文学賞を受賞した怪作が待望の文庫化! (徳間文庫)

奈緒美の体は日を追うごとに巨大化していきます。物語のはじめ、彼女の体長は優に三メートルを超えています。部分的に骨が成長するせいで体のバランスは崩れ、右の頬骨だけが盛り上がり、右目が圧迫されて人相までが変わりつつあります。

皮膚は至る所で肉割れし、紅斑や紫斑があちこちに浮き出すのですが、組織の増殖が追い着くとやがて目立たなくなります。しかしすぐに新たな肉割れや内出血が現れます。骨の成長には激しい痛みが伴い、市販の痛み止めでは殆ど効き目がありません。

米は一日に七合炊いても追い着かず、盛んに肉を食べたがり、時々卸問屋で冷凍ブロックを仕入れるのですが、解凍だけでもかなりの手間がかかります。

- とにもかくにも稼がなければならない。そう思う夫・文行は、高校の非常勤講師をしています。それまで常勤だったのを人事で外れ、売れない小説の、僅かばかりの原稿料を頼りにやっとのこと現在の生活を維持しています。

奈緒美が体を起こすと、捲った布団の中からは動物的な体臭が立ち昇ります。膝を立て、両手を突いて中腰の姿勢になると、八畳間は彼女の体で一杯になります。

天井までは二メートルちょっとの高さしかなく、家で奈緒美が直立する事が出来る場所は、玄関土間しか残っていません。襖やガラス戸は全て外してあります。四十センチの足で畳を踏み締め、腕を前後に移動させながら、中腰の姿勢のバランスを確保しています。

風呂場への出入り口は特に狭く、床に手を突いて斜めの姿勢で何とか体を入れ込み、両端に板を渡した湯船の上に腰を下ろします。トイレの便器は小さ過ぎて使い物にならず、湯船の中に入れたポリペールを使っています。

小便は湯船にそのまま垂れ流し、ポリペールが大便を受けとめる結構で、奈緒美はたっぷり十分以上かかって用を足し、漸くにして文行は何度か充実した落下音を耳にします。

時が経ったある日、文行は思います - 奈緒美を隠しているのは奈緒美の望みであったが、もうそんな事は言っておれない段階に達しているのではあるまいか。何より奈緒美の苦しみがこれ以上続けば、自分の方が耐えられない気がした。

人間が巨大化するとはどういう事なのか、そんな事がどうしてよりによって奈緒美の身に起こっているのかというその理由や意味を考え始めると、頭がおかしくなりそうになる。そして、この怪現象に私自身の存在はどの程度関わっているのか、少しでも責任があるのかないのかという事を度々考えては、その度に行き詰った。私は何のために奈緒美を家の中に隠し、苦しめ続けているのかと。

その頃奈緒美は、更に巨人と化しています。文行の記した精査記録には -

身長四メートル三十五センチ。体重不明。足のサイズ八十四センチ。左側頭部に直径十センチの陥没。顔面の右半分に上方への引き攣り。吸気に異臭あり。耳の孔の中に蛆虫様の寄生虫。右腕上腕部が右方向にやや捩れている。手指の彎曲。爪の黒ずみ。全身にわたる骨格の歪み(右半身の骨の成長が左半身より速いため)。皮膚全体に紫斑、粉吹き、湿疹、虫の寄生、掻き傷。性器の肥大。肛門括約筋の緩み。臀部の皮下に黒っぽい寄生虫の影。自力での移動が難しく、糞尿は垂れ流し状態。布団シーツを巻いてオムツにしているが、後処理に多大な労力を要する。日に五回から七回、紫の粘膜に包まれた痰を吐き出す。一回に洗面器半杯ほど。強烈な異臭あり。(但:一部割愛あり)

- とあります。会話は困難でも意思の疎通は図れ、文行の質問に対して頷いたり首を振ったりします。絶えず骨が鳴り、肉は膨れ上がり、その度奈緒美は痛みを抑え込むようなくぐもった呻き声を上げます。

そんな状況にありながら、それでも文行は合間合間に元愛人・敦子を思い出し、携帯画像に残る裸体を眺めては今一度会って抱きたいなどと邪なことを考えています。そうでもしなければ、終わるあてのない妻の介護だけでは身がもたないなどと思ったりもします。

風呂場から聞こえる脱糞の音を掻き消すようにして「食べて出して食べて出して食べて出して食べて出して・・・・」と繰り返し文行は呟きます。生きる事は、なるほど食べて出す事には違いない。誰もがそうしている。そう思いながら、文行はどこかしら納得出来ないでいます。またその一方で、食べる奈緒美を憎む自分を、危ういとも思っています。

 

この本を読んでみてください係数 90/100


臣女 (徳間文庫)

 

◆吉村 萬壱(本名:吉村浩一)
1961年愛媛県松山市生まれ。大阪府大阪市・枚方市育ち。
京都教育大学教育学部第一社会科学科卒業。

作品 「クチュクチュバーン」「バースト・ゾーン」「ヤイトスエッド」「独居45」「ボラード病」「ハリガネムシ」など

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