『茄子の輝き』(滝口悠生)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/11
『茄子の輝き』(滝口悠生), 作家別(た行), 書評(な行), 滝口悠生
『茄子の輝き』滝口 悠生 新潮社 2017年6月30日発行
離婚と大地震。倒産と転職。そんなできごとも、無数の愛おしい場面とつながっている。旅先の妻の表情。震災後の不安な日々。職場の千絵ちゃんの愛らしさ - 。次第に輪郭を失いながら、なお熱を発し続ける一つ一つの記憶の、かけがえのない輝き。覚えていることと忘れてしまったことをめぐる6篇の連作に、ある秋の休日の街と人々を鮮やかに切りとる「文化」を併録。芥川賞作家による受賞後初の小説集。(「BOOK」データベースより)
一見希薄な生活の水底にある、丹念で精細な世界。その光景は、同じ希薄さを生きる私たちを確かに救済する。- 帯に、津村記久子のこんな言葉があります。
読み出して早々に感じるのは、これは一体 「何を読まされているのだろう」 「何が始まろうとしているのだろう」 ということです。
これといったややこしいことが書いてあるわけではありません。むしろ瑣末な出来事に多くが割かれ、度々に、何が為に書いてあるのかわからなくなります。文脈は纏まらず、時を跨いで行きつ戻りつします。
思うに、市瀬という男の在りようこそがとりとめない。と、そういうことかもしれません。
何か意味があるようなことと、まるで意味など無いような出来事。覚えていることと、忘れてしまったこと。それら全部を綯い交ぜに、市瀬は、およそどうでもいいような話のためにいやに多くのページを費やします。 ※第一章 「お茶の時間」 は必読!!
一見無駄に思える話と話の間に、かつて妻だった伊知子との暮らしぶりが語られ、離婚したあとの職場で知り合った人々のことや、とくに 「千絵ちゃん」 についてのある種異常なまでの 「思い入れ」 が語られたりします。
市瀬は大学時代に知り合った伊知子と同棲し、その後結婚。しかし、わずか3年で離婚しています。伊知子は理由を言わず家を出て行きます。市瀬はそれを質そうとしません。伊知子の行方は知れず、市瀬は今も理由がわからずにいます。
彼はそのうち高田馬場駅近くの古いビルの4階にあるカルタ企画という、業務用機器の取り扱い説明書を制作する会社に就職します。しかし、2011年、震災の影響で会社が傾きカルタ企画を退職。駒込の玩具会社に転職し、さらには池袋にある出版社に職を変えます。
第一話 「お茶の時間」 では、市瀬の、カルタ企画での3年目のある一時期が語られます。第二話 「わすれない顔」 は、結婚した年に妻と島根に出かけた、市瀬と伊知子の貧乏旅行の思い出が綴られます。
第三話 「高田馬場の馬鹿」 と第四話 「茄子の輝き」 では、日記をもとに、市瀬は、妻と過ごした過去の時間を、カルタ企画で共に働いた社員のそれぞれを、そしてとくに 「千絵ちゃん」 とのあれやこれやを思い出します。
※千絵ちゃんは、市瀬の1年遅れでカルタ企画に入社した25歳の女性です。会津出身の、おかっぱ頭で丸顔の、少し天然な感じがする人物です。彼女にはバンド活動をしている同棲中の恋人がいます。
市瀬は千絵ちゃんに強く惹かれます。但し、市瀬のそれは恋愛感情とは違い、体の関係などは論外で、彼女の存在それ自体が愛しいのだといいます。彼女の一々の言動を例に挙げ、彼女がいるからこそ、ここ (カルタ企画) にいるのだといいます。
離婚の直後、市瀬の毎日に垂れこめていた妻の不在は、千絵ちゃんにより一掃されます。そしてその状態は、千絵ちゃんがいなくなったあとも変わることはありません。(千絵ちゃんはカルタ企画を辞めたあと、彼の実家がある島根県の出雲へと引っ越して行きます)
私は妻を忘れたのか、妻の不在を忘れたのか。忘れたのではなくて、ただそれらすべてが薄れたのか。そしてまた、肝心の千絵ちゃんは会社を辞めたあとどこでどうしているのだったか。そういったことが何もはっきりせぬまま、なんら代替しえないのにまるでその代わりであるかのように、書く行為が、そしてそれに費やされた歳月が、たしかに何かを埋めている。(「書く行為」 とは、市瀬が千絵ちゃんと知り合った頃からはじめた 「日記」 のことを指しています)
第五話 「街々、女たち」- 34歳になった市瀬は、千絵ちゃんとは別の、あるひとりの女性と出会います。最終話 「今日の記念」 で市瀬はその女性と再会し、彼女が緒乃という名前であるのを知ります。ここまで読んで、(ようやくにして) これが市瀬の、緩やかな 「再生」 の物語であるのがわかります。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆滝口 悠生
1982年東京都八丈町生まれ。埼玉県入間市出身。
早稲田大学第二文学部入学。(約3年で中退)
作品 「寝相」「愛と人生」「ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス」「死んでいない者」など
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