『夏の裁断』(島本理生)_書評という名の読書感想文
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『夏の裁断』(島本理生), 作家別(さ行), 島本理生, 書評(な行)
『夏の裁断』島本 理生 文春文庫 2018年7月10日第一刷
小説家の千紘は、編集者の柴田に翻弄され苦しんだ末、ある日、パーティー会場で彼の手にフォークを突き立てる。休養のため、祖父の残した鎌倉の古民家で、蔵書を裁断し「自炊」をする。四季それぞれに現れる男たちとの交流を通し、抱えた苦悩から解放され、変化していく女性を描く。書き下ろし三篇を加えた文庫オリジナル。(文春文庫) ※「自炊」 とは、書籍を 「デジタル化」 することをいいます。
直木賞受賞、おめでとうございます。てっきり “芥川賞の人” だと思っていたら、あっちもこっちもで、えらく才能があるらしい。知りませんでした。で、
ああ、この世にはまだこんなに人を傷つける方法があったのか
- 帯にこんな文章があります。つい買ったはいいものの、思った以上に “エグい” 話が書いてあります。
読むと「どこまでが作者の実体験なんだろう」 と、ゲスい想像を何度もしたくなります。そして何より作者の書かずにおけない心境を思うと、(小説ほどではないにせよ) 如何ばかりか不器用な人なんだろうと。
夏の裁断 (第153回 芥川賞候補作)
物語のはじめ、帯の文章はこんな場面で語られます。
過去に忌むべき性経験があり、今年30歳になる女性作家の萱野千紘は、2年前、編集者の柴田と知り合い、一方的に恋に落ち、およそ恋とは違う柴田のあしらいに、今は失意のうちにいます。
千紘にとって柴田は、言うなれば「悪魔のような」存在で、そんな男でありながら、千紘は柴田を忘れることができません。
誘われると、言われたなりについて行く。先が無いのを知りながら、したいようにされ、期待する度裏切られ、あげく何もなかったようなふりをする。聞くべきことを聞けもせず、千紘は、柴田の本心がどこにあるかを掴めずにいます。
ある日の、カラオケ店での一幕。
彼は吸いかけの煙草をこちらに差し出すと、吸う、と聞いた。受け取って吸い込む。風邪気味だったせいか喉の奥を小さな虫が這っているような痛痒さを覚えた。それでもなにかを許された気持ちになって安堵しかけた。
だけど乱暴に肩を抱かれて固まる。怖くてねじれたように心臓がきしむのを切なさと脳が錯覚したようにお腹の底だけが火照る。指に挟んだ煙草の灰がサンダルを履いた素足に落ちて、チリッと痛んだ。
閉じたまま発火していくのは熱くて苦しくて、私は柴田さんを見上げて頼んだ。
「キス、してほしいです」 彼は突然白けたように腕をほどくと、そっぽを向いた。間違えた、と青ざめながらも引っ込みがつかなくなってシャツの袖をつかんだ瞬間、後頭部を摑まれていた。なにが起きたのかすぐには分からなかった。気が付くと私は、彼のズボン越しの股の間に顔を埋めたまま身動きが取れなくなっていた。後頭部を押さえつけられたまま、つむじのほうでリモコンを操作して選曲する電子音が響いた。
柴田さん動けないです、と声を絞り出す。すみません、ごめんなさい。もう言いません。だけど返事はない。ああ、この世にはまだこんなに人を傷つける方法があったのか、と死んでいくような気持ちで思った。これ見たことがある、とも。
じゃれついて飛びかかってきた犬や猫のしつけだ。(P16.17)
こんなのは、ほんの序の口。このあと千紘の心はさらに乱れて、それはもうなし崩しとしか言いようのない場面へと物語は連なってゆきます。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆島本 理生
1983年東京都板橋区生まれ。
立教大学文学部中退。
作品 「シルエット」「リトル・バイ・リトル」「生まれる森」「一千一秒の日々」「大きな熊が来る前に、おやすみ。」「あなたの呼吸が止まるまで」「ファーストラブ」他多数
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