『拳に聞け! 』(塩田武士)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/10 『拳に聞け! 』(塩田武士), 作家別(さ行), 塩田武士, 書評(か行)

『拳に聞け! 』塩田 武士 双葉文庫 2018年7月13日第一刷

舞台は大阪。三十半ばで便利屋のアルバイトをしている池上省吾は、高島優香という女性と知り合い、弱小ボクシングジム「新田ジム」を借家から立ち退かせることになる。優香はそこに、定食屋を開きたいというのだ。しかし「新田ジム」では、ジム会長・新田貞次郎の息子の勇気が、プロボクサーになろうとしていた。新田家とかかわるうちに、ジムに協力するようになる省吾。相撲取りのような迫原勉や、ヤンキーの立山輝義もジムに加わった。さらに、なぜか優香までが新田家で暮らし始め、ジムは賑やかになっていく。(小説推理2015年10月号掲載のブックレビューより抜粋)

さびれた商店街にあるのが、この物語の舞台となる「新田ジム」。会長の新田貞次郎は46歳。彼には美枝子という妻がおり、勇気という一人息子がいます。今年18歳になる勇気はジム唯一の練習生。父・貞次郎の希望の星でもありました。彼は世界チャンピオンを目指しています。

「新田ジム」は借家で、そこを立ち退かせるために乗り込んだのが元お笑い芸人の省吾。彼は現在、同じ高校出身の後輩・額田満が社長の「便利屋」でアルバイトをしています。コンビを解消し、半ば夢を諦めた状態の省吾は、その頃、拠り所なく日々を送っています。

高島優香は、省吾に「新田ジム」の立ち退きを依頼したにも関わらず、あろうことかジムに住み着いて、やがて貞次郎の妻・美枝子が勤める惣菜屋で一緒に働くようになります。時に謎めいた行動をするものの、次第次第に、優香は新田家にとり家族のような存在になっていきます。

他に、行きかがり上ジムの練習生になった「ベン」こと迫原勉や立山輝義がいます。迫原は重度の肥満、立山は見かけ倒しの典型的なヤンキーで、とてもプロにはなれません。

※ちなみに、彼らにも立派な(!?)リングネームがあります。迫原は「ピコレット勉」、輝義が「リバーサイド立山」。優香と省吾と共に、二人がわざわざ京都の由緒ある神社に出向き、宮司が二人に付けた名前がこれ)

「新田ジム」の向かいにある練りもの屋の親父、通称「ネリケン」と呼ばれる人物や、勇気が着るガウンの刺繍職人、山崎のおじいちゃんも面白い。ただ単に端役として登場するのではなく、物語にきっちりと花を添えます。

さて、肝心要の人物はというと、省吾とは別に、やはり貞次郎の息子・勇気ということになります。勇気はつぶれかけたボクシングジムの会長の息子にして、貞次郎にとり唯一の希望の星です。訳あってボクシングをはじめたのは遅かったものの、彼には父譲りの素質があり、センスがあります。

※父・貞次郎は、元日本バンタム級一位のプロボクサー。「イーグル新田」のリングネームでデビューし、東洋太平洋のベルトを賭けた一戦をドローでタイトル奪取に失敗し引退。プロ通算三十戦二十三勝五敗二分けの戦績を残しています。

勇気は真面目で素直な好青年ではありますが、(いざボクシングとなると)それが仇となります。如何にも優し過ぎるのでした。猛々しいほどの迫力がありません。堅実な試合運びではあるものの、如何にも地味で、(見る者を魅了する) 華がありません。

案の定、プロテストを経てデビュー後何戦かは勝利を収めるのですが、事は匆々うまくはいきません。やがて、勇気は大きな壁にぶつかります。

※笑いあり、ペーソスあり、人生ありの人情劇 - まとめると、そういう話なのだろうと。とにかく一度読んでみてください。(もちろんそうではない方もですが)特に、関西の方にとっては、為になります。交わされる会話の随所に学ぶべき「ボケとつっこみ」が書いてあります。

たとえば  大手ボクシングジムの会長(かなり強面のエラそうなオッサン)との「ボーリング対決」のあとに、ちょっとマズい空気になる場面。そこへ、当事者ではない便利屋の社長、額田満がいきなり割り込んできてする会話がこれです。

「一つ提案があるんですけどね」
この場で最もボクシングから遠い人間が、渦中にしゃしゃり出てきた。額田満だ。
「あんた誰やねん? 」
「ビル・ゲイツの遠縁のもんです」
「えらい距離ありそうやな」

どうです? 関西では普通に怒ると面白くも何ともない。会長のオッサンの、とぼけた「返し」こそが傑作なのです。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆塩田 武士
1979年兵庫県生まれ。
関西学院大学社会学部卒業。

作品 「盤上のアルファ」「女神のタクト」「ともにがんばりましょう」「崩壊」「盤上に散る」「雪の香り」「氷の仮面」「罪の声」など

関連記事

『ただいまが、聞きたくて』(坂井希久子)_書評という名の読書感想文

『ただいまが、聞きたくて』坂井 希久子 角川文庫 2017年3月25日発行 埼玉県大宮の一軒家に暮

記事を読む

『ギブ・ミー・ア・チャンス』(荻原浩)_書評という名の読書感想文

『ギブ・ミー・ア・チャンス』荻原 浩 文春文庫 2018年10月10日第1刷 若年

記事を読む

『個人教授』(佐藤正午)_書評という名の読書感想文

『個人教授』佐藤 正午 角川文庫 2014年3月25日初版 桜の花が咲くころ、休職中の新聞記者であ

記事を読む

『きりこについて』(西加奈子)_書評という名の読書感想文

『きりこについて』西 加奈子 角川書店 2011年10月25日初版 きりこという、それはそれ

記事を読む

『御不浄バトル』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文

『御不浄バトル』羽田 圭介 集英社文庫 2015年10月25日第一刷 僕が入社したのは、悪徳ブ

記事を読む

『ビタミンF』(重松清)_書評という名の読書感想文

『ビタミンF』重松 清 新潮社 2000年8月20日発行 炭水化物やタンパク質やカルシウムのよ

記事を読む

『この世の喜びよ』(井戸川射子)_書評という名の読書感想文

『この世の喜びよ』井戸川 射子 講談社文庫 2024年10月16日 第1刷発行 第168回芥

記事を読む

『草祭』(恒川光太郎)_書評という名の読書感想文

『草祭』恒川 光太郎 新潮文庫 2011年5月1日 発行 たとえば、苔むして古びた

記事を読む

『幸福な遊戯』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『幸福な遊戯』角田 光代 角川文庫 2019年6月20日14版 ハルオと立人と私。

記事を読む

『回転木馬のデッド・ヒート』(村上春樹)_書評という名の読書感想文

『回転木馬のデッド・ヒート』村上 春樹 講談社 1985年10月15日第一刷 村上春樹が30

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『セルフィの死』(本谷有希子)_書評という名の読書感想文

『セルフィの死』本谷 有希子 新潮社 2024年12月20日 発行

『鑑定人 氏家京太郎』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『鑑定人 氏家京太郎』中山 七里 宝島社 2025年2月15日 第1

『教誨師』 (堀川惠子)_書評という名の読書感想文

『教誨師』 堀川 惠子 講談社文庫 2025年2月10日 第8刷発行

『死神の精度』(伊坂幸太郎)_書評という名の読書感想文

『死神の精度』伊坂 幸太郎 文春文庫 2025年2月10日 新装版第

『それでも日々はつづくから』(燃え殻)_書評という名の読書感想文

『それでも日々はつづくから』燃え殻 新潮文庫 2025年2月1日 発

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑