『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』(白石一文)_書評という名の読書感想文

『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』 白石 一文 講談社 2009年1月26日第一刷

どちらかと言えば、読み難い。

分かっていながら、それでも気になって買ってしまう。

私にとってこの人の本はそんな本です。

小説の核心ではないのですが、途中で著者自身がふと漏らす「本音」らしきフレーズが鋭くて小気味いいのです。

そういう文章を見つけただけでも、本を買った甲斐があると言うもの。書いてある趣旨については賛否両論、好き嫌いもあるでしょうが、私は単細胞なので素直になるほどと頷き、オレにはこんなにうまく書けんわなぁと感心してしまいます。

例えば、上巻の45ページから始まる「僕の年収」という部分。

ここで白石一文は「所得格差」についての見解を述べています。

その中にボストン・レッドソックスへ移籍したときの松坂大輔の話が出てきます。

(本文より抜粋)
松坂投手の契約金は6年間で総額5,200万ドル、日本円で61億円。年俸換算で10億1,666万円になる。

一方、松坂と同じ26歳の肉体労働者の平均年収は300万円前後で、実にその差は339倍である。

これはもはや人間の天分、能力、運などの個人差や時間差を無視した理解しがたい数値で、どんな説明を受けても納得できるものではない。

たった26年生きただけで、同じ人間に339倍もの差が付いてしまうなんてまるで馬鹿みたいだ。

・・・・・・・・・・・

この作品には、松坂の話以外にも小説の本筋からは少々脱線ぎみの「寄り道」が意識的にいくつも配置されています。

中には「マスターベーション」とか「名器の家系」とか女性の読者にはちょっと読みづらそうな箇所も出てきたりします。

と思いきや、経済学者のミルトン・フリードマンのロングインタビューがそのまま書かれてあったり、プリンストン大学教授ポール・グルーグマンの著書『格差はつくられた』からの長

い引用文を読まされたりします。

一々面白いし為にもなるのですが、反面一体自分は今何を読んでいるのか訳が分からなくなってくることがあります。

これは果たして小説なのか、小説の名を借りた経済書、いや哲学なのかエッセイか。

・・・・・・・・・・・

主人公は雑誌の編集長で、話は仕事や人事、家庭と情事、抗がん治療を続けている自分自身のことなど広範囲で、それらが交錯して語られていきます。

哲学的な思索と会話、仕事上の立場を平然と利用したモデルとの関係や性描写のリアリティーが混合する、まさに白石ワールドです。

しかしながら私に限って言うと、「寄り道」の刺激が強かった分、本来の話の印象が霞んでぼやけたものになってしまいました。

願わくば今一度、「寄り道」を一切排除した、新たな『この胸に突き刺さる矢を抜け』という小説を読んでみたいと思うのですが。

失礼なことを書きましたが、この小説は第22回山本周五郎賞受賞作品です。

この本を読んでみてください係数  60/100

◆白石 一文

1958年福岡県福岡市生まれ。

早稲田大学政治経済学部卒業。文芸春秋に入社、週刊誌記者、文芸誌編集に携わる。

父白石一郎は直木賞作家。双子の弟白石文郎も小説家。

作品 「一瞬の光」「不自由な心」「すぐそばの彼方」「僕のなかの壊れていない部分」「心に龍をちりばめて」「ほかならぬ人へ」「神秘」ほか多数

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