『おもかげ』(浅田次郎)_書評という名の読書感想文
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『おもかげ』(浅田次郎), 作家別(あ行), 書評(あ行), 浅田次郎
『おもかげ』浅田 次郎 講談社文庫 2021年2月17日第4刷発行
孤独の中で育ち、温かな家庭を築き、定年の日の帰りに地下鉄で倒れた男。切なすぎる愛と奇跡の物語。
エリート会社員として定年まで勤め上げた竹脇は、送迎会の帰りに地下鉄で倒れ意識を失う。家族や友が次々に見舞いに訪れる中、竹脇の心は外へとさまよい出し、忘れていたさまざまな記憶が呼び起こされる。孤独な幼少期、幼くして亡くした息子、そして・・・・・・・。涙なくして読めない至高の最終章。著者会心の傑作。(講談社文庫)
たまにではありますが、最近私は、浅田次郎の本を読みたいと思うようになりました。何があったわけではありません。歳のせいではないかと思っています。
国立一期の大学を卒業し、大手の商社に就職した竹脇正一は、44年の勤務の後、関連会社の役員として定年を迎えます。送別会が催されたのは12月16日で、彼の65回目の誕生日の翌日、すなわち定年退職日の翌々日のことでした。
後輩たちに送り出された帰り途、彼は - タクシーを使えばよかったものを、敢えて乗った - 地下鉄の車内で倒れてしまいます。意識不明の重体となり、たくさんのチューブに繋がれて、生死の境を彷徨うことになります。
その病床でのつかの間、彼は思いもしない体験をします。夢か幻か、忘れていた記憶が鮮明に甦り、体ごと前の時代へ戻ることになります。
さて。
人の一生というのは、見た目 (外から他人が見た) だけではわかりません。今現在が何不自由のない暮らしであったとしても、過去がどうだっかはわかりません。生きてみて、どんな感慨を持ったかは人それぞれで、結局当人にしか知り得ないことだと思います。
生まれてきたのが運命で、自分ではどうしようもないことがありました。難なく就職できたのは、つまりは、時代のおかげだったのかもしれません。恨みに思うことは山ほどありました。毎日が精一杯で、顧みる余裕もなく年を取り、悔いばかりが残るあれやこれやは・・・・・・・・
彼と彼の妻・節子の場合が、そうでした。
僕は親を知らなかった。節子には幼いころに両親が離婚して、なおかつそれぞれが再婚してしまったという事情があった。だが、たがいに身の上話をした記憶はない。不要な詮索をしなかったのだと思う。
節子の戸籍は複雑だがわかりやすかった。ずいぶん前に生母が除籍され、すぐに継母が入籍し、三人の弟妹が生まれていた。そのうえ生母まで再婚して子供をもうけたのなら、節子の居場所はどこにもないはずだった。それに引きかえ、僕の戸籍は至ってシンプルだった。いったいどこに、これほど空白だらけの戸籍謄本があるだろう。
本籍地は養護施設の所在地である。次の欄には、「棄児発見調書」 なるものの提出された日付が記載されている。つまりどこの誰ともわからぬ僕は、その調書に順って新しい戸籍を持った。昭和26年12月15日という誕生日は推定である。父母の名は空欄。続柄には 「長男」 とあるが、根拠はあるまい。(本文より/一部割愛)
「竹脇正一」 という名前は、施設に引き取られた後、半ば思いつきで付けられたものでした。彼は自分の出自の何一つも知りません。竹脇にとってとりわけ切実だったのは、自分を棄てた母のことでした。一番憎いはずの母を、結局は、彼は誰より欲しています。
そして、もう一つ。夫婦は、最初の子どもを幼い頃に亡くしています。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆浅田 次郎
1951年東京都中野区生まれ。
中央大学杉並高等学校卒業。
作品 「地下鉄に乗って」「鉄道員」「壬生義士伝」「お腹召しませ」「中原の虹」「帰郷」「獅子吼」他多数
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