『新装版 人殺し』(明野照葉)_書評という名の読書感想文
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『新装版 人殺し』(明野照葉), 作家別(あ行), 明野照葉, 書評(は行)
『新装版 人殺し』明野 照葉 ハルキ文庫 2021年8月18日新装版第1刷
本郷に住むフリーライターの野本泰史は、近所の洋食屋 「琥珀亭」 に足繁く通っている。独身の泰史は、最近店の手伝いをはじめた弓恵というはかなげな女性に、次第に惹かれていく。だがそれを感じた琥珀亭主人夫婦に、あの女性はあなたにふさわしくない、と忠告される・・・・・・・。純粋で美しい 「愛」 が、恐ろしい 「憎しみ」 へと墜ちていくとき、あなたは? - 傑作長編サスペンス 『ひとごろし』 を改題、装いも新たに登場。あなたの全身は総毛立ち、心は凍り付く! (ハルキ文庫)
2003年 東京都文京区本郷
目が合っているのに合っていない。黒目のなかで、視点がよそに逸れている。それが最初、野本泰史が水内弓恵に対して抱いた印象だった。
初対面だから、むろんその時は歳までは尋ねなかった。ただ、自分と同じ世代だろうという感じはした。『琥珀亭』 ではじめて出逢った時から半年が過ぎ、互いにひとつずつ歳をとったから、今年弓恵は三十七歳。三十四歳になった泰史より、三つ歳上ということになる。
ほっそりとしたからだつきをしていて、若く見えるといえば若く見える。ただ、彼女には、相手にそうしたことを考えさせない不透明な空気がある気がした。存在そのものがどこか霞んでいて、現実感に欠けている。
「変なこと訊くようだけど」
用事があって、弓恵が店を休んでいる日のことだった。泰史は 『琥珀亭』 の美恵子から、突然のように切りだされた。
「ノモッちゃん、もしかして弓恵さんとつき合ってる?」
月に二度かそこら夕食をともにしていることは事実だが、果たしてそれがつき合っているといえるかどうかは疑問だった。三十を過ぎた男と女だ。本来つき合っているという言葉の内には、当然べつの要素が含まれているだろう。
「今のところ、何の明確な意志もないんだけど」 泰史は言った。「まあ、こっちも三十四年生きているからね、いろいろあったのは一緒といえば一緒だし」 あえて笑い飛ばそうとするような泰史に、美恵子が珍しく焦れたような表情を見せた。
困惑げに黙り込んだ美恵子に代わって、今度は寛行が話をしはじめた。弓恵には、過去に結婚歴がある。子供を産んだ経験もある・・・・・・・。
「お子さん、亡くなったのよ。ご主人とも、どうもそれが原因で離婚ということになったみたい。夫婦ともに、子供を失った痛手を乗り越えられなかったんでしょうね」
弓恵はいまだにその傷を癒しきれずにいる、と美恵子は語る。人と関わることが怖い、と弓恵自身が美恵子に漏らしたこともあったらしい。愛することも怖い。出逢えば必ず別れの時がくる。生き別れであれ死に別れであれ、もはや別れを味わうことに、自分の神経は堪えられない - 。(本文より抜粋)
この時、琥珀亭の主人夫婦が泰史を思い、是非にも伝えたかったのは - 弓恵はマズい、間違っても弓恵とだけはつき合うな - ということでした。
実は、子供を亡くし離婚したこととは別に、弓恵は過去にある重大な犯罪を犯しています。無事に刑期を終え、社会復帰を果たすべく、請われて琥珀亭主人夫婦が彼女を雇い入れたのでした。
最初、泰史は何も知りません。知らない内に男女の仲になり、やがて抜き差しならない事態を招くことになります。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆明野 照葉
1959年東京都中野区生まれ。
東京女子大学文理学部社会学科卒業。
作品 「雨女」「輪RINKAI廻」「闇の音」「棲家」「魔性」「誰?」「新装版 汝の名」他多数
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