『なまづま』(堀井拓馬)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/13 『なまづま』(堀井拓馬), 作家別(は行), 堀井拓馬, 書評(な行)

『なまづま』堀井 拓馬 角川ホラー文庫 2011年10月25日初版


激臭を放つ粘液に覆われた醜悪な生物ヌメリヒトモドキ。日本中に蔓延するその生物を研究している私は、それが人間の記憶や感情を習得する能力を持つことを知る。他人とうまく関われない私にとって、世界とつながる唯一の窓口は死んだ妻だった。私は最愛の妻を蘇らせるため、ヌメリヒトモドキの密かな飼育に熱中していく。悲劇的な結末に向かって・・・。選考委員絶賛、若き鬼才の誕生! 第18回日本ホラー小説大賞長編賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

新刊という訳でもないのですが、この前書店に行ったらえらく目立つところに並んでいました。それでなくても『なまづま』という、何だか分からないけれどいかにも怪し気なタイトルと、ゾッとするような顔面アップの表紙が嫌でも目を引きます。

登場するのは謎の生物体で、その名を〈ヌメリヒトモドキ〉と言います。人の形をしているけれど人ではない、ヌメヌメの粘膜と粘液に覆われた、死ぬほど臭い生き物です。この奇想天外な生き物は、こんな風にして登場します。

コンビニを出ると、強いヌメリ臭が鼻粘膜をいやらしく撫でた。その臭いはいつも、ある種の恐怖すら伴って私を攻撃する。(中略)ひくひくとみぞおちの辺りが引きつったように震え、消化され始めた朝食が踵を返して喉を全速力で上がってくる。
なるたけ関係のない別のことを考えながら強く目をつむると、涙腺が沁みてまつ毛が濡れた。酸味の強い嫌悪感の時化が凪ぐのを待ってから、そっと目を開けると、駐車場の隅からヌメリヒトモドキの濡れた青白い姿がぬるり、姿を現わしたのが見えた。

このときの〈ヌメリヒトモドキ〉は、まだハイハイを始めたばかりの赤ん坊よりもつたない動作で這いずるばかりで、異様な長さの手足を無茶苦茶に動かす様は、どちらかといえばまだ虫に近い状態です。ムンクの叫びを模したような単純な造形の顔をしたそいつは、真っ白な眼球で「私」を一瞥してから、コンビニのゴミ箱を漁り始めるのでした。
・・・・・・・・・・
ほんの触りの部分ですが、好きな人には堪えられない幕開けではないですか!? どうせなら、これくらいあり得ない想定の方が面白い。但し、荒唐無稽ばかりではいけません。あり得ないと分かっていながら、あり得る状況を想起させてしまう、そこが肝心なところです。

先のコンビニの話に出て来た「私」が小説の主人公なのですが、この主人公の男性は、あろうことか〈ヌメリヒトモドキ〉に恋をします。人間ではない化け物の〈ヌメリヒトモドキ〉に狂おしいまでの恋をして、その結果自分の身まで滅ぼしてしまう - 憐れな男の狂気の物語、それがこの『なまづま』という小説です。
・・・・・・・・・・
「私」は愛する妻を2年前に亡くし、それと同時に生きる希望のすべてを失くして、もはや自分が死ぬ日を待つだけのように暮らしています。元々他人と関わるのが苦手だった「私」にとって、最愛の妻の死は何よりも辛く悲しいものだったのです。

妻を亡くした後、「私」はある考えに憑りつかれます。それは、どうにかして〈ヌメリヒトモドキ〉を進化させて人に近づけること、つまり妻と瓜二つの〈ヌメリヒトモドキ〉を密かに育て上げるという自らの目論見に憑りつかれてしまうのです。

この「私」が抱くさかしまな妄想とそれを成そうとする行為、それこそが狂気であり、ホラーです。

「私」の目論見は、いっとき成功したかに思えます。幾たびかの更新の末、妻となるべき〈ヌメリヒトモドキ〉はいよいよ人間らしくなり、やがて「私」を認知するまでになり、片言ではあるものの言葉さえ発するようになります。

「ああな、ああな(あなた、あなた)」と「私」を呼んで、「いんよ、いんよ」と言ってはしゃぐ〈ヌメリヒトモドキ〉の妻に歓喜して、思わず「私」は彼女にキスをします。

生魚の鱗を口と鼻いっぱいに含んだような香り。「私」の舌を伝って粘液が口腔に流れ込んでくると、嘔吐中枢が爆発し、胃が震え、抗いようもなく「私」は吐いてしまいます。逆流した諸々が口から鼻から溢れ出すのですが、それでも「私」は貪り続けます。

それほどに、「私」は妻を愛していたのです。

妻が死んでいる間に「私」の中で育った妻への慕情は、「私」自身をどこまで人間らしからぬ場所へと導いて行くのでしょうか。その問いに対する答えは、「私」のまだ知らない、進化を続ける〈ヌメリヒトモドキ〉の妻だけが知っています。

この本を読んでみてください係数 80/100


◆堀井 拓馬
1987年東京都生まれ。
文京学院大学人間学部卒業。

作品 「なまづま」で第18回日本ホラー小説大賞長編賞を受賞。他に「夜波の鳴く夏」など

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