『魚神(いおがみ)』(千早茜)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/13 『魚神(いおがみ)』(千早茜), 作家別(た行), 千早茜, 書評(あ行)

『魚神(いおがみ)』千早 茜 集英社文庫 2012年1月25日第一刷

かつて一大遊郭が栄えた、閉ざされた島。独自の文化が息づく島で、美貌の姉弟・白亜とスケキヨは互いのみを拠りどころに生きてきた。しかし年頃になったふたりは離れ離れに売られてしまう。月日が流れ、島随一の遊女となった白亜は、スケキヨの気配を感じながらも再会を果たせずにいた。強く惹きあうがゆえに拒絶を恐れて近づけない姉弟。互いを求めるふたりの運命が島の雷魚伝説と交錯し・・・・。(集英社文庫解説より)

第21回小説すばる新人賞ならびに第37回泉鏡花文学賞受賞作品です。
物語はこんなふうにして始まります - 主人公の白亜とスケキヨは、物心ついた時にはすでに島にいて、以来、一度も島を出たことがありません。

2人は、かたちある感情をほとんど持ち合わせていません。ただ互いの名を呼び合うことでのみ、自分自身の存在を見出しています。白亜はスケキヨという単語の中に、スケキヨは白亜という単語の中に、怒りや驚き、哀しみ、喜び、日々獲得していくありとあらゆる想いを込めて互いの名を呼び合います。

婆(ばば)はそんな2人を仲の良い姉弟と、皮肉っぽく笑いながら言います。婆は捨てられていた2人を拾った人です。しかし、2人には捨てられた記憶も拾われた記憶もありません。生まれた記憶がないのと同じで、実のところ姉弟であるかどうかも定かではありません。
・・・・・・・・・・
島にはこんな伝説があります - 昔、この島には島が沈んでしまいそうなくらい大きくて豪華な一大遊郭があり、夜も昼もその華やかさは失われることがなく、人々は薄汚れた灰色の世界に浮かび上がる幻想的なその島を「陽炎島」と呼んだそうです。

陽炎島にはありとあらゆる煌びやかなもの、珍しいもの、いかがわしいものが集められています。そこに惹かれ集まった人々は滑稽で卑猥で残酷で乱雑な夢に酔い、むせかえる熱気と恍惚が島全体を包み、時間の流れまでをも変えてしまうような空気が漂っています。

その遊郭に誰もが息を呑むくらい凄艶な一人の遊女がおり、名を白亜といいます。その美しさに、人間はおろか島の裏側の洞窟に棲む雷魚までもが心を奪われます。雷魚は、この辺りの主です。

ある晩、雷魚は水面に人間の十倍はありそうな大きな頭をぽっかりと出して白亜の名前を呼びます。遊女達は悲鳴をあげ、男達は武器を構えます。しかし、白亜だけがそれを制して恐れることなく欄干に出て行きます。雷魚に向かって、名前を呼んだ理由を訊ねます。

すると雷魚は、「白亜よ。長らく私はお前を慕っていた。だが、我らは棲家も形も異なる生き物。故に、今日まで私はお前の前に現れようと思うことはなかった。だが、今宵、水の底から出てきたのにはわけがある」と言います。

島があまりに贅を凝らすのに、水の神が煙たがっているのだといいます。島の熱気で水の流れが乱れるがゆえに、島を沈め、島の全ての人間を葬るようにお告げがあったというのです。

災いの予兆のように、水の中からは雨虎が現れ、嘴の赤い美しい鳥・商羊が舞い飛びます。明日より一日も止むことなく瘴雨が降り注ぎ、人々は死に絶え、島は沈んでしまう - そうなる前に、雷魚は白亜に「私に喰われて欲しい」と言います。

それは単に死ぬのではなく、奪った命は好きに形を変えることが許されているので、もしお前に好いた男がいないのならば、どんな朝の光よりも美しい鰭を持つ大きな魚に変えてやろうというのです。

白亜は、結局のところ雷魚の申し出を断ってしまいます。今はしがない遊女の身ではあるけれど、いつかはこの足で、妾だけの景色を見つけたいと言います。白亜の優しくも意志のこもった声に、しばらく考えた後、やがて雷魚は静かに水の中に消えてゆきます。
・・・・・・・・・・
さて、伝説の美女と同じ名を持つ白亜は、大人になるにつれ、伝説上の白亜に勝るとも劣らないほどの美貌に育ちます。白亜がそうならスケキヨもまた然り、すべすべした陶器のような肌は生来のもので、男ならざる美しい顔立ちをしています。

しかし、白亜と同様に中身はまるで人形のように空っぽで、拾われたときの2人はおよそ生身の人間らしくありません。成長するにつれ、やっと互いが違う人間だと気付き、少しずつ言葉を交わすようになります。そうして、やっとのこと感情というものを知ることになります。

他に、スケキヨを助ける渡し守の蓼原。遊郭街とは別にある島の無法地帯・裏華町を牛耳る剃刀のような鋭い印象の男、蓮沼。白亜がいる楼閣の主、胆振野(いぶりの)や白亜を慕う若い遊女の新笠などが登場します。

婆に売られ、陰間となって行方知れずになったスケキヨを、白亜は必死になって探します。見つけ出して救おうとしますが、事はそう簡単には運びません。スケキヨにはスケキヨの心ならずもの決心があり、白亜は白亜で、何ごとかを覚悟しています。

この本を読んでみてください係数  85/100


◆千早 茜
1979年北海道江別市生まれ。
立命館大学文学部人文総合インスティテュート卒業。

作品 「おとぎのかけら 新釈西洋童話集」「からまる」「森の家」「桜の首飾り」「あとかた」「眠りの庭」「男ともだち」など

関連記事

『青い鳥』(重松清)_書評という名の読書感想文

『青い鳥』重松 清 新潮文庫 2021年6月15日22刷 先生が選ぶ最泣の一冊 1

記事を読む

『おいしいごはんが食べられますように』(高瀬隼子)_書評という名の読書感想文

『おいしいごはんが食べられますように』高瀬 隼子 講談社 2022年8月5日第8刷

記事を読む

『あなたの燃える左手で』(朝比奈秋)_書評という名の読書感想文

『あなたの燃える左手で』朝比奈 秋 河出書房新社 2023年12月10日 4刷発行 この手の

記事を読む

『指の骨』(高橋弘希)_書評という名の読書感想文

『指の骨』高橋 弘希 新潮文庫 2017年8月1日発行 太平洋戦争中、激戦地となった南洋の島で、野

記事を読む

『作家的覚書』(高村薫)_書評という名の読書感想文

『作家的覚書』高村 薫 岩波新書 2017年4月20日第一刷 「図書」誌上での好評連載を中心に編む

記事を読む

『 A 』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『 A 』中村 文則 河出文庫 2017年5月20日初版 「一度の過ちもせずに、君は人生を終えられ

記事を読む

『いちばん悲しい』(まさきとしか)_書評という名の読書感想文

『いちばん悲しい』まさき としか 光文社文庫 2019年10月20日初版 ある大雨

記事を読む

『カラヴィンカ』(遠田潤子)_書評という名の読書感想文

『カラヴィンカ』遠田 潤子 角川文庫 2017年10月25日初版 売れないギタリストの多聞は、音楽

記事を読む

『悪寒』(伊岡瞬)_啓文堂書店文庫大賞ほか全国書店で続々第1位

『悪寒』伊岡 瞬 集英社文庫 2019年10月22日第6刷 男は愚かである。ある登

記事を読む

『赤目四十八瀧心中未遂』(車谷長吉)_書評という名の読書感想文

『赤目四十八瀧心中未遂』車谷 長吉 文芸春秋 1998年1月10日第一刷 時々この人の本を読

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『オーブランの少女』(深緑野分)_書評という名の読書感想文

『オーブランの少女』深緑 野分 創元推理文庫 2019年6月21日

『揺籠のアディポクル』(市川憂人)_書評という名の読書感想文

『揺籠のアディポクル』市川 憂人 講談社文庫 2024年3月15日

『海神 (わだつみ)』(染井為人)_書評という名の読書感想文

『海神 (わだつみ)』染井 為人 光文社文庫 2024年2月20日

『百年と一日』(柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『百年と一日』柴崎 友香 ちくま文庫 2024年3月10日 第1刷発

『燕は戻ってこない』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『燕は戻ってこない』桐野 夏生 集英社文庫 2024年3月25日 第

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑