『平場の月』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文
公開日:
:
最終更新日:2024/01/09
『平場の月』(朝倉かすみ), 作家別(あ行), 書評(は行), 朝倉かすみ
『平場の月』朝倉 かすみ 光文社 2018年12月20日初版
五十歳の再会 『平場の月』 朝倉かすみ
五十歳というとまだまだ若い。でも、自分の人生のこの先に大きな前進があるとも思えない。身体だって衰えてきている。時には死の訪れが近いと感じることだってあるかもしれない。その時に人は、周囲はどんなことを思うのか。
朝倉かすみ 『平場の月』 は、五十歳の男、青砥健将が主人公だ。都内で妻子と暮らしていたが六年前に父親を亡くし、一人残された母の近くで暮らそうと地元の埼玉に中古マンションを購入。その後妻子と別れ、三年前には卒中で倒れた母親の面倒を見るために都内の製本会社から地元の印刷会社に転職。最近になって身体の不調を感じて検査に訪れた病院の売店で、中学時代の同級生、須藤葉子に再会する。どこかどっしりと構えたところのある須藤は、実は青砥がかつて告白してフラれた相手だ。二人で酒を飲む仲となり、現在一人で暮らす彼女に、波瀾万丈の人生を歩んできたことを聞かされる。そして現在、彼女自身も身体の不調を感じ、検査を受けたことも。果たしてその結果は - 。
このまま静かに老いていくのだと思われた日常に訪れた、かつての思いをくすぐる出会い。でもそれは情熱的な恋の再燃とはちょっと違う。一人は病と闘いながら自分の気持ちを密かに整理し、一人はそんな相手を淡々と支える。若い頃の恋愛とはまた違う、人間同士の慈しみが二人の関係を育んでいく。おのれの孤独を引き受けながらも誰かを求める大人の寂しさと優しさが、じわじわと行間から伝わってくる。二人の関係の結末は冒頭ですでに明かされており、だからこそ、読者は彼らの緩やかな歩みの一歩一歩を愛おしく感じるはずだ。思いやりを与え合えた二人の時間が、胸に沁みてくる。(瀧井朝世/光文社 小説宝石 2019年1月号掲載)
この記事を読んだのは、ある日のヤフーニュースでのことです。真っ先に目を奪われたのは、最近は滅多に目にも耳にもしなくなった 「平場」 という言葉でした。そういえばそういう言い方があったのだ - そのとき私は、強くそう思ったのでした。
「小説宝石」 の1月号には、併せて、朝倉かすみが書いたこんな文章が掲載されています。
(前略) 久しぶりの書き下ろしだった。書いているあいだ、小説家になりたいという考えもまだ充分に育っていないまま、ただただ書きたいものを書いていたころをよく思い出した。これはそんなふうに書いた。そんなふうに毎日書けたことが、まことに嬉しかった。
「実感」 を軸にして書こうと目論んだので、派遣バイトに行った。わたしはポンコツな働き手だった。想像していたよりはるかにダメだった。小説家というだけで周りに甘やかされ、ゆるされてきた十何年で、鼻持ちならないタイプの腑抜けになっていたらしく、平場の厳しさがだいぶ身に沁みた。
折しも年老いた両親の介護問題に直面し、現実ってやつや、足元ってやつを見つめざるをえなくなった。
以前 『田村はまだか』 を出版した。四十歳の男女たちを書いた小説だった。十年経って、五十歳の男女を書いたのが 『平場の月』 だ。
恋愛小説である。ひとことでいうと悲恋なのだが、その悲しさは、どうということのない秋の夜を大事なひととふたりで歩いた、ちょうどよくしあわせな日常の記憶が、二度と戻らない事実として心に差し込み、声にならない声が絞り出されるたぐいのものであったらいいと思う。(以下略)
青砥は須藤のことを 「おまえ」 と呼びます。須藤は青砥を、「青砥」と呼び捨てにします。
二人は中学時代の同級生で、かつて 「コクった」「コクられた」 の関係にあります。その時、青砥はみごとにフラれ、その後の長い間、二人はまるで違う人生を送るのですが、実は当時須藤にとって青砥は、むしろ好感を持って見ていた男子の一人ではあったのでした。
問題は須藤の側にこそあったのですが、それはそれとして、互いに順調とは言えない人生を過ごし、あるがままに終えようとする今に至って再び出会ったことで、青砥は若い頃とは違う思いで、須藤と寄り添いたいと願うようになります。
何気に二人が話す様子は、五十歳の男女のものとはとても思えません。話しかける時、あるいは話す途中で須藤が青砥を 「青砥」 と呼び捨てにするのがとても小気味良く感じられます。青砥が須藤を 「おまえ」 と呼ぶのは、中学生の、その頃のままの気持ちに違いありません。須藤の来し方を含め、あの頃を思い出して泣くかもしれません。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆朝倉 かすみ
1960年北海道小樽市生まれ。
北海道武蔵女子短期大学教養学科卒業。
作品 「田村はまだか」「夏目家順路」「深夜零時に鐘が鳴る」「感応連鎖」「肝、焼ける」「玩具の言い分」「ロコモーション」「恋に焦がれて吉田の上京」など
関連記事
-
『くちなし』(彩瀬まる)_愛なんて言葉がなければよかったのに。
『くちなし』彩瀬 まる 文春文庫 2020年4月10日第1刷 別れた男の片腕と暮ら
-
『向日葵の咲かない夏』(道尾秀介)_書評という名の読書感想文
『向日葵の咲かない夏』道尾 秀介 新潮文庫 2019年4月30日59刷 直木賞作家
-
『夏と花火と私の死体』(乙一)_書評という名の読書感想文
『夏と花火と私の死体』乙一 集英社文庫 2000年5月25日第一刷 九歳の夏休み、少女は殺され
-
『ファイナルガール』(藤野可織)_書評という名の読書感想文
『ファイナルガール』藤野 可織 角川文庫 2017年1月25日初版 どこで見初められたのか、私には
-
『NO LIFE KING ノーライフキング』(いとうせいこう)_書評という名の読書感想文
『NO LIFE KING ノーライフキング』いとう せいこう 新潮社 1988年8月10日発行
-
『木になった亜沙』(今村夏子)_圧倒的な疎外感を知れ。
『木になった亜沙』今村 夏子 文藝春秋 2020年4月5日第1刷 誰かに食べさせた
-
『噂の女』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文
『噂の女』奥田 英朗 新潮文庫 2015年6月1日発行 糸井美幸は、噂の女 - 彼女は手練手
-
『名前も呼べない』(伊藤朱里)_書評という名の読書感想文
『名前も呼べない』伊藤 朱里 ちくま文庫 2022年9月10日第1刷 「アンタ本当
-
『八月六日上々天氣』(長野まゆみ)_書評という名の読書感想文
『八月六日上々天氣』長野 まゆみ 河出文庫 2011年7月10日初版 昭和20年8月6日、広島は雲
-
『震える天秤』(染井為人)_書評という名の読書感想文
『震える天秤』染井 為人 角川文庫 2022年8月25日初版発行 10万部突破 『