『夢に抱かれて見る闇は』(岡部えつ)_書評という名の読書感想文

『夢に抱かれて見る闇は』岡部 えつ 角川ホラー文庫 2018年5月25日初版


夢に抱かれて見る闇は (角川ホラー文庫)

男を初めて部屋に上げるときは、かなりの勇気がいる。もしこの男に、見えてしまったら。もうすぐ40歳の真千子の部屋には、かつての恋人の骸骨が立っている。暗闇の中、知り合ったばかりの男の愛撫に感じたのは・・・・・・・(「枯骨の恋」)。職場のパワハラで自殺した同僚。実家を訪れた千穂が知った、若い死者に対する奇妙な風習とは(「アブレバチ」)。第3回 『幽』 怪談文学賞受賞作 が待望の文庫化。女たちの怖くてエロティックで美しい物語。(角川ホラー文庫)

底なし沼のような闇を跨ぎ、裸の腰を落として腹の力を抜くと、じゅうじゅうと湿った音がして、黄金色の飛沫がきらきら輝きながら落ちていく。

きみょうちょうらいおさきさま
そのおんからだにくぎうてば
かみはいんてんつきやぶり
しもはならくのそこまでも
ひびきわたりておそろしや
わすることなきえんきれば
かぜふくごとくぬけるなり
なむあみだぶつ なむあみだぶつ

縁切り厠ができたのには、訳がある。ずっと昔、まだここいらが村だった頃、この家に、お咲さんという人がお嫁に来た。気立ても器量もよくて、かわいい子供も三人丈夫に産んで、評判のお嫁さんだったんだが、かわいそうなことに夫が乱暴者で、お咲さんはずいぶんいじめられて、泣かない日はなかった。姑さんが心配して息子をたしなめても、話を聞くような男ではなかったから、みんなびくびく暮らしていたそうだ。

お咲さんは毎日泣いて泣いて泣き過ぎて、きっと頭が空っぽになってしまったんだね、かわいそうに、一番下の子供の乳が離れたとたん、あの厠で首をくくって、ぶら下がってしまった。

姑さんはえらく気を落として、自分も死のうとしたが、孫が不憫で堪えた。そして、孫たちの新しい母親を探してまわった。その甲斐あって新しいお嫁さんが来てくれたんだが、このお嫁さん、嫁入りからひと月もしないで姿が見えなくなった。息子もまだ乱暴なことなどしちゃいないのに、どうしたことかと村中で探したが、見つからない。とうとうあきらめて、また違うお嫁さんをもらった。するとそのお嫁さんも、ぷいっと姿を消してしまった。こりぁおかしい。神隠しかお咲の祟りかと、村は大騒ぎになった。

四番目のお嫁さんをもらうときには大変で、嫁がいなくなったらこれこれの賠償をすると、証文を書いてやっともらった。そこまでしてもらった嫁だ、今度はわたしが絶対に守ると言って、姑さんはお嫁さんの行くところはどこへでもついて回った。風呂も一緒に入った。

それでもただひとつ、ついていけない場所があった。分かるだろう、便所だよ。

ある日、お嫁さんが厠へ行くというので、いつものように姑さんもついて出て、厠の戸口で見張りをしていた。すると、中からお嫁さんの悲鳴が聞こえる。急いで戸を開けようとしたが、どうしたことか開かない。姑さんは慌てて裏に回り、壁をよじ登って窓を覗いた。すると、便所の穴からお嫁さんの白い手が、ひらひらと暴れながら飲み込まれていくのが見えたそうだ。

すぐに村の男衆が呼ばれて、便所の中を調べた。すると糞だめの中に、三人のお嫁さんが沈んでいたそうだ。姑さんはそれを見て、次の日に死んでしまった。よほどたまげて命を縮めたんだろう。

四人の女房と母親に死なれてしまった男はすっかり気が塞いで、それからはもうお嫁さんをもらわなかった。嘘のように気を入れ替えて、一生懸命畑仕事をして娘たちを育てあげたそうだ。三人娘は母親のお咲に似て、そりゃあきれいに育った。年頃になって、長女のところに婿が来ると、待ってましたとばかりに下の二人にもいい縁談が来て、とんとん拍子に片づいた。

しかしいいことばかりは続かないもので、娘たちの幸せを見届けたとたん、父親は病気にかかって死に、まもなく長女の婿が同じ病で死んだ。続いて次女が、嫁ぎ先から返されてきた。子ができなかったからだ。(本文より)

断っておきますが、この「縁切り厠」は、昔話ではありません。今ではもうほとんど見かけなくなった「外便所」が、普段は決して使われないままに、しかし時にある「目的」のもとに - 具体的には厠に一晩籠りある願いをかなえるために - 今も使われています。長い引用は、その由来を、祖母が幼い孫娘に言い伝えている場面を紹介しています。祖母はその厠のことを、「汚い心で汚い願いをかけるところ」なんだと言います。

※これは比較的スタンダードな方。安心してください。こんな話ばかりではありません。

 

この本を読んでみてください係数 80/100


夢に抱かれて見る闇は (角川ホラー文庫)

◆岡部 えつ
1964年大阪府豊中市生まれ。群馬県前橋市育ち。

作品 2008年、第3回『幽』怪談文学賞短編部門〈大賞〉を受賞、翌年、受賞作を表題とした短編集『枯骨の恋』でデビュー(文庫化にあたり本書『夢に抱かれて見る闇は』と改題)。他に「残花繚乱」「新宿遊女奇譚」「生き直し」など

関連記事

『昨夜のカレー、明日のパン』(木皿泉)_書評という名の読書感想文

『昨夜のカレー、明日のパン』木皿 泉 河出文庫 2016年2月20日25刷 昨夜のカレー、明

記事を読む

『夜は終わらない』上下 (星野智幸)_書評という名の読書感想文

『夜は終わらない』上下 星野 智幸 講談社文庫 2018年2月15日第一刷 夜は終わらない(上

記事を読む

『山中静夫氏の尊厳死』(南木佳士)_書評という名の読書感想文

『山中静夫氏の尊厳死』南木 佳士 文春文庫 2019年7月15日第2刷 山中静夫氏の尊厳死

記事を読む

『彼女は存在しない』(浦賀和宏)_書評という名の読書感想文

『彼女は存在しない』浦賀 和宏 幻冬舎文庫 2003年10月10日初版 彼女は存在しない (幻

記事を読む

『ある一日』(いしいしんじ)_書評という名の読書感想文

『ある一日』いしい しんじ 新潮文庫 2014年8月1日発行 ある一日  

記事を読む

『くちなし』(彩瀬まる)_愛なんて言葉がなければよかったのに。

『くちなし』彩瀬 まる 文春文庫 2020年4月10日第1刷 くちなし (文春文庫)

記事を読む

『ifの悲劇』(浦賀和宏)_書評という名の読書感想文

『ifの悲劇』浦賀 和宏 角川文庫 2017年4月25日初版 ifの悲劇 (角川文庫) 小説

記事を読む

『四とそれ以上の国』(いしいしんじ)_書評という名の読書感想文

『四とそれ以上の国』いしい しんじ 文春文庫 2012年4月10日第一刷 四とそれ以上の国 (

記事を読む

『悪い恋人』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『悪い恋人』井上 荒野 朝日文庫 2018年7月30日第一刷 悪い恋人 (朝日文庫) 恋

記事を読む

『ふじこさん』(大島真寿美)_書評という名の読書感想文

『ふじこさん』大島 真寿美 講談社文庫 2019年2月15日第1刷 ふじこさん (講談社文庫

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『JR品川駅高輪口』(柳美里)_書評という名の読書感想文

『JR品川駅高輪口』柳 美里 河出文庫 2021年2月20日新装版初

『死者のための音楽』(山白朝子)_書評という名の読書感想文

『死者のための音楽』山白 朝子 角川文庫 2013年11月25日初版

『騙る』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『騙る』黒川 博行 文藝春秋 2020年12月15日第1刷 騙

『ケーキの切れない非行少年たち』(宮口幸治)_書評という名の読書感想文

『ケーキの切れない非行少年たち』宮口 幸治 新潮新書 2020年9月

『ひとでちゃんに殺される』(片岡翔)_書評という名の読書感想文 

『ひとでちゃんに殺される』片岡 翔 新潮文庫 2021年2月1日発行

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑