『事件』(大岡昇平)_書評という名の読書感想文

『事件』大岡 昇平 創元推理文庫 2017年11月24日初版


事件 (創元推理文庫)

1961年夏、神奈川県の山林で刺殺体が発見される。被害者は地元で飲食店を経営する若い女性。翌日、19歳の少年が殺人及び死体遺棄の容疑で逮捕された。- 最初は、ありふれた殺人のように思われた。しかし、公判が進むにつれて、法廷で意外な事実が明らかになっていく。戦後日本文学の重鎮が圧倒的な筆致で描破して、第31回日本推理作家協会賞に輝いた不朽の裁判小説。(創元推理文庫)

「大学の法学部で学ぼうとする新入生のための必読書」「法を学ぶ人のための入門書」- などと聞くと畏れ多くて読む気がしないという人がいるかもしれません。でも、大丈夫。それだけなら間違っても「日本推理作家協会賞」になんてならない。選ばれるわけがありません。

この作品は、法を学ぶための教本であると共に、ひとつの殺人事件をめぐる裁判の行方を克明に描き出した極上のエンタメ小説、日本文学史上屈指の「裁判小説」なのです。必ずや惹きこまれ、読まずには済ませられなくなります。

昭和36年6月28日。神奈川県高座郡金田町。小さな田舎町でのことです。むし暑い梅雨ばれの一日がようやく終わりに近づいた午後の5時頃、その山裾の細い道を、上田宏が自転車を押して下りて来た場面から、この物語は始まります。

7月2日。「その山裾の細い道」の南に拡がる山林の中から、女性の刺殺体が発見されます。被害者は地元で飲食店を経営していた坂井ハツ子という人物。翌日、警察は自動車工場で働く19歳の少年、上田宏を殺人及び死体遺棄の容疑で逮捕します - 。

被害者は一人、死因はナイフによる刺殺、そして逮捕された上田宏はありのままに全てを自白している - どこにもありそうな、なんら複雑とは思えないこの「事件」のあらましが、著者の手により、がらりと景色を変えます。

被告人・上田宏に示された検察側の主張は、終始一貫して「殺人並に死体遺棄」容疑。対して弁護側の主張は、「殺人はもとより、傷害致死、過失致死の責任も負わすべきではなく、本件は単純なる事故であり、被告人は死体遺棄についてのみ有罪であると思料する」- というもの。

最終的に如何なる判決をもって結審するかもさることながら、読むべきは、裁判の過程とそれに関わる人々の圧倒的なリアリティ。精確かつ克明な描写は、ややもすれば本当にあった事件の、実際に行われた裁判のドキュメンタリーではないのかと、そんな気さえしてきます。

検察官と弁護人の、微に入り細を穿つ丁々発止のやりとり。息をもつかせぬ緊張感。審議を取り持つ裁判官の巧みな手腕と相まって、さながらそれを見つめる傍聴人にでもなったような気がしてきます。

そうと信じて疑いようのなかった「事件」が、いつしか、まるで違えた状況に色を変えていきます。被告人・上田宏の自白とは裏腹に、

少年は本当に人を殺したのか - と。

 

この本を読んでみてください係数  85/100


事件 (創元推理文庫)

◆大岡 昇平
1909年東京都生まれ。88年没。
京都帝国大学卒業。

作品 「野火」「中原中也」「俘虜記」「武蔵野夫人」「レイテ戦記」他多数

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