『農ガール、農ライフ』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『農ガール、農ライフ』垣谷 美雨 祥伝社文庫 2019年5月20日初版

農ガール、農ライフ (祥伝社文庫)

大丈夫、まだ、笑える - 新しい自分に出会うRe:スタート! 職なし、家なし、彼氏なし - どん底女、農業始めました。一歩踏み出す勇気をくれる、再出発応援小説。

私の人生、私が耕します! 
「結婚を考えている彼女ができたから、部屋を出て行ってくれ」 派遣切りに遭った日、32歳の水沢久美子は同棲相手から突然別れを切り出された。3年前、プロポーズを断ったのは自分だったのに。仕事と彼氏と家を失った久美子は、偶然目にした 「農業女子特集」 というTV番組に釘付けになった。自力で耕した畑から採れた作物で生きる同世代の輝く笑顔。- 農業 (これ) だ! さっそく田舎に引っ越し農業大学に入学、野菜作りのノウハウを習得した久美子は、希望に満ちた農村ライフが待っていると信じていたのだが・・・・・・・(祥伝社文庫)

1.二月中旬
今日、派遣切りに遭った。
吐く息が白い。
凍えるような夕暮れだった。
かじかむ手でバッグを持ち、水沢久美子は家路を急いでいた。こういったつらい日は、真っ先に篠山修の顔が思い浮かぶ。一刻も早く話を聞いてもらいたかった。

同棲してもう六年になる。独身主義というわけではなかったが、今さら結婚というのも面倒で、ずるずるとここまできてしまった。三十二歳になった今では、恋人というよりルームメイトといった感じだ。

修は家にいるだろうか。土曜日に仕事があるのは自分だけなので、今朝家を出るとき、修はまだ寝ていたのだった。玄関ロビーの集合郵便受けを開けると空っぽだった。ということは、修は昼間どこかへ出かけ、既に帰宅しているということだ。(後略)

エレベーターを待っていると、二基あるうちの一基のドアが開き、ベージュのコートを着た若い女性が降りてきた。うつむいた横顔がなにやら深刻そうだ。清楚な雰囲気を漂わせ、艶のある長い髪がきれいだった。

すれ違いざまにいい香りがした。
これはなんという香水だったか。グレープフルーツの香り・・・・・・・。匂いに釣られて振り返ると、揺れるコートの裾から膝丈のピンクのスカートがちらりと見えた。
(本文より)

物語はこんな感じで始まっていきます。(いつも思うのですが、この人が書く小説の書き出しはとてもいい) 端的で読み易く、何気ない日常の一場面を切り取りながら、実は語ろうするものの “根幹” に関わる多くの情報がさらりと提示されています。

話の進展と並行して明かされていく事実と併せ、主人公である水沢久美子 (32歳) の現在状況はというと、以下のようになります。

かつて彼女は然るべき会社の正社員として働いていました。ところがその会社が倒産し、再就職を目指すも正社員としての採用は何としても叶わず、止むに止まれず派遣会社に登録し、心ならずもいくつかの職場を転々として現在に至ります。

大学を卒業し就職した会社が倒産さえしなかったからと、折に触れ、彼女は考えざるを得ません。久美子は “仕事ができない” わけではありません。むしろ優秀でプライドがあり、それゆえ、なおさら今の自分の状況にひどく落ち込んでいるのでした。

篠山修とは同棲して六年になります。二人は大学の同級生で、もちろん特別な思いがあって一緒に暮らし始めたのですが、六年が経ち、二人の関係は微妙に変化しています。いつしか部屋は別々になり、互いが互いを、以前のようには意識しなくなっています。

修は、かつて一度だけ久美子にプロポーズしたことがあります。久美子が勤める会社が倒産した時のことです。そのとき久美子は、修からの申し出を即座に断ったのでした。

倒産して食べていけなくなったから結婚に逃げるなどとは、その頃の久美子にすれば女性の生き方として 「最も軽蔑すべき」 ものでした。挽回するチャンスはいくらでもある。彼女はそう考えていました。(後年、久美子はこれをひどく後悔することになります)

世の中悪い時には悪いことが重なるもので、派遣切りに遭い、しおたれてマンションに帰ってきたそのタイミングで、久美子は “更なる不幸の気配” を嗅ぎ取ったのでした。

エレベーターから降りた若い女性が放つ香水の、グレープフルーツのような香り。その香りが、修が待つ部屋のドアを開けた途端、再び匂ってきたのでした。久美子が 「職なし、家なし、彼氏なし」 の状態になったのは、その出来事からそう遠くない日のことでした。

かくなる上はと、彼女は “農業” で身を立てようと決意します。しかしながら、(当然のことながら) それは並大抵のことではありません。彼女は思いのほか長い戦いを強いられることになります。

この本を読んでみてください係数  85/100

農ガール、農ライフ (祥伝社文庫)

◆垣谷 美雨
1959年兵庫県豊岡市生まれ。
明治大学文学部文学科フランス文学専攻卒業。

作品 「竜巻ガール」「ニュータウンは黄昏れて」「後悔病棟」「女たちの避難所」「老後の資金がありません」「夫の墓には入りません」他多数

関連記事

『理系。』(川村元気)_書評という名の読書感想文

『理系。』川村 元気 文春文庫 2020年9月10日第1刷 理系。 (文春文庫) いか

記事を読む

『どこから行っても遠い町』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『どこから行っても遠い町』川上 弘美 新潮文庫 2013年9月1日発行 どこから行っても遠い町

記事を読む

『ジオラマ』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『ジオラマ』桐野 夏生 新潮エンタテインメント倶楽部 1998年11月20日発行 ジオラマ (

記事を読む

『ちょっと今から仕事やめてくる』(北川恵海)_書評という名の読書感想文

『ちょっと今から仕事やめてくる』北川 恵海 メディアワークス文庫 2015年2月25日初版 ちょ

記事を読む

『嗤う名医』(久坂部羊)_書評という名の読書感想文

『嗤う名医』久坂部 羊 集英社文庫 2016年8月25日第一刷 嗤う名医 (集英社文庫) 脊

記事を読む

『だから荒野』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『だから荒野』桐野 夏生 文春文庫 2016年11月10日第一刷 だから荒野 (文春文庫)

記事を読む

『殺人依存症』(櫛木理宇)_書評という名の読書感想文

『殺人依存症』櫛木 理宇 幻冬舎文庫 2020年10月10日初版 殺人依存症 (幻冬舎文庫)

記事を読む

『三面記事小説』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『三面記事小説』角田 光代 文芸春秋 2007年9月30日第一刷 三面記事小説 (文春文庫)

記事を読む

『妖談』(車谷長吉)_書評という名の読書感想文

『妖談』車谷 長吉 文春文庫 2013年7月10日第一刷 妖談 (文春文庫)  

記事を読む

『夏をなくした少年たち』(生馬直樹)_書評という名の読書感想文

『夏をなくした少年たち』生馬 直樹 新潮文庫 2019年8月1日発行 夏をなくした少年たち

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『嫌な女』(桂望実)_書評という名の読書感想文

『嫌な女』桂 望実 光文社文庫 2013年8月5日6刷 嫌な女

『新装版 汝の名』(明野照葉)_書評という名の読書感想文

『新装版 汝の名』明野 照葉 中公文庫 2020年12月25日改版発

『妻は忘れない』(矢樹純)_書評という名の読書感想文

『妻は忘れない』矢樹 純 新潮文庫 2020年11月1日発行

『本性』(黒木渚)_書評という名の読書感想文

『本性』黒木 渚 講談社文庫 2020年12月15日第1刷 本

『庭』(小山田浩子)_書評という名の読書感想文

『庭』小山田 浩子 新潮文庫 2021年1月1日発行 庭(新潮

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑