『庭』(小山田浩子)_書評という名の読書感想文

『庭』小山田 浩子 新潮文庫 2021年1月1日発行

庭(新潮文庫)

夫。どじょう。クモ。すぐそばにいる見知らぬ生き物。芥川賞作家の比類なき15編。

私は夫と離婚をする。そのことを両親に報告せねばならない。実家へ向かう路線バスのなかで、老人たちがさかんに言い交わす 「うらぎゅう」。聞き覚えのない単語だったが、父も母も祖父もそれをよく知っているようだ - 。彼岸花。どじょう。クモ。娘。蟹。ささやかな日常が不条理をまといながら変形するとき、私の輪郭もまた揺らぎ始める。自然と人間の不可思議が渾然一体となって現れる15編。(新潮文庫)

うらぎゅう
祖父は無言で自転車を漕いだ。まばらな家々の窓はどれも暗かった。祖父の脚の動かし方が急にぎくしゃくし、私はとっさに祖父の肩を握りしめた。すぐそこに骨があった。祖父はやや息を荒げながら漕ぐのを止めた。脇をバスが追い越していった。隣県ナンバーがちらっと見えた。

「大丈夫? 」「こっからお前漕げ。道まっすぐだ」 私はサドルに腰を下ろした。サドルはまったく温まっていなかった。後ろに乗った祖父は、あの薄い肩からは想像できないほど重かった。自転車を漕ぐのも久しぶりの私はよろめいた。辺りは薄く煙っていた。ぱちぱちという火の音が聞こえた。私は自転車を漕ぎ続けた。

祖父は急に 「ワイはな、別にどっちでもかまん」 と言った。「え? 」「ワイは別に、お前がどうしようとかまんかったんだ。戻ってきても、こんでも、子を産んでも、産まんでも、どうでもかまん、ワイには先がないからな。でもお前の父さん母さんはワイとは違うでな」 返事をしようとしたが、重たい、くぐもったような匂いのする煙を吸いこんでうまく声が出せなかった。「おい、もう着くぞ。あの家だ」

赤い幟が立った、ごく普通の民家の前だった。幟に白く 『本日うら灸』 と染め抜かれていた。辺りに人がたくさんいる気配を感じた。私は長い行列の末尾についた。無数の老人が着ぶくれて庭中をうねるように並んでいた。所々に若い女性や、蒼白い顔の青年が混じっていた。テディベアを妙に重たげに抱えている中年女性がいた。ビニール袋に小さな丸いものをたくさん入れている老人がいた。ピンクのアルバムを持った老夫婦がいた。

庭に放し飼いされているらしい小さな犬が人々の間を駆けまわり、くるくると回転してはゴウゴウと吠えた。体中から湯気を立てている。私は隣に立つ祖父を見た。祖父は向こうの山を眺めていた。山の端から空が白みつつある。山はまだ黒い影だった。

「お祖父ちゃん、どうして私を連れて来たの」 私は祖父に囁いた。祖父は顔を遠くに向けたまま言った。「おい、信心は、心持ちぞ ・・・・・・ いくら父さんと母さんが思うておっても、うらでもって頼んでも、最後は本人の心持ちだ。お前はほんで、都市へ出て、何がしたいんな」「え? 」「離婚して、何が欲しいんな。ほれだけだ。ほれがあるなら、何も言うことないで」 遠くを見ていた祖父がこちらを見た。目が黄色く濁っているのが夜目にも見えた。

行列がぞろりと前に進んだ。何人かずつ民家の中に入っていった。窓や障子が外されていて、揺らぐような白い煙が空に立ち昇っていた。火の形がちらちらと見えた。室内で火を焚いているらしい。犬が私の足元に寄って来て靴を嗅ぎ、脛の辺りを嗅ぎ、コートの裾を嗅いでから顔を見上げて吠えた。いつの間にか祖父はいなくなっていた。(本文より)

同じ作家の吉田知子氏曰く、彼女 (小山田浩子) が書く小説は -

世間にも読者にも何ら迎合していない。中途半端でない。こんな小説を書く人はいない。世界中にいない。誰の人生にもなんの役にも立ちはしない。何も教えてくれない。愉快、爽快、充実、人生の機微、全然無関係。現実と同じ、日常と同じ。筋など、話などないのだ。今脱いだばかりの下着。生温かく、ふるふると震えている。いつでもどこかで、ばあさんたちは唾を飛ばして気味の悪い世間話をしている。結論や人生観などはただの雑音に過ぎない。何が何やらわからなくても日は過ぎる。(解説より)

うら灸は、密かに願いを込めて気を送る、古くから村に伝わる儀式のようなものでしょうか。ただ (「私」 が言うように) 私をうらぎゅうへ連れて行った祖父の気持ちがわかりません。わかるのは、祖父は案外気の優しい年寄りだということです。

※無理にも何かを汲み取ろうとする姿勢がよくありません。書いてあることは書いてあるままに、勝手にあれこれ斟酌しないことです。この手の本は、それに尽きます。

この本を読んでみてください係数 85/100

庭(新潮文庫)

◆小山田 浩子
1983年広島県広島市佐伯区生まれ。
広島大学文学部日本文学語学講座卒業。

作品 「工場」「穴」他

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