『ニムロッド』(上田岳弘)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/07 『ニムロッド』(上田岳弘), 上田岳弘, 作家別(あ行), 書評(な行)

『ニムロッド』上田 岳弘 講談社文庫 2021年2月16日第1刷

仮想通貨をネット空間で 「採掘」 する僕・中本哲史。深く大きなトラウマを抱えた外資系証券会社勤務の恋人・田久保紀子。小説家への夢に挫折し鬱傾向にある同僚・ニムロッドこと荷室仁。やがて僕たちは、個であることをやめ、全能になって世界に溶ける。「すべては取り換え可能であった」 という答えを残して。(講談社文庫)

切なすぎる虚無と倦怠 - 第160回芥川賞受賞作、上田岳弘の 『ニムロッド』 を読みました。予想していたことではありますが、(並みの人間では) 思いもつかないことが書いてあります。諦めず、挫けずに読んでください。

『ニムロッド』 は、表面的なプロットに関するかぎり、ほぼ三人だけの登場人物からなるシンプルこのうえもない小説である。仮想通貨の一種であるビットコインの 「採掘」 に専念する 「僕」 がおり、その恋人の 「田久保紀子」 がおり、会社での 「僕」 の先輩で、鬱症状を病んだのがきっかけで名古屋に転勤することになった 「荷室仁」 がいる。ただし、「ニムロッド」 を自称するその荷室氏が 「僕」 に送りつづける 「駄目な飛行機コレクション」 の紹介と、「ニムロッド」 が書いているという想定の小説テクストとが随時挿入されることで、本作は一筋縄では行かない重層的な構造を持つことになる。

もともと 「ニムロッド」 は旧約聖書中の登場人物で、ユダヤ人の伝承が記された 『ユダヤ古代誌』 ではバベルの塔の建設を命じた王とされている。「ニムロッド」 はそのバベルの塔に似た高塔を自分の小説に登場させる。そこでの登場人物 「ニムロッド」 は 「人間の王」 を僭称し、自分の塔の屋上に 「駄目な飛行機たち」 を駐機させている。飛ばない、飛べない、飛びつづけられない飛行機に執着し、それをあえてコレクションしている。「ニムロッド」 の振る舞いには、超越性のトポスに対する上田岳弘のアイロニカルに屈折した意識が投影されているとも言える。(解説より)

中本哲史が働いているのは、東京と名古屋の二拠点で法人向けにサーバーの保守サービスを提供している、契約社員を合わせて五十人程の会社でした。ある日、彼は 「社長の気まぐれでできたような」 課の課長を命じられます。

中本哲史は自分一人の課を 「採掘課」 と名付けます。彼の仕事は 「金を掘る」 ことでした。金を掘る、と言っても金(ゴールド) ではありません。掘るのは仮想通貨の 「ビットコイン」 でした。

この世界には定められた量のビットコインが埋蔵されていて、誰でもそれを採掘 (マイニング) することができる。今や世界中の人々がビットコインに投資をしていて、乱高下しつつもその価値は上がり続けている。(P18)

ビットコインが埋まっているのは地面とは別のところだ。いや、厳密に言えば、埋まっているわけではなく、その存在を保証する取引台帳があるだけだ。例えばAさんが10BTC持っていて、Bさんが5BTC持っているとする。そしてAさんがBさんに5BTC譲渡するとする。それらのやり取りを細大漏らさず台帳に記載したら、帳簿上はAさんが5BTCを保有していて、Bさんが10BTC保有していることになる。要は、誰がいくら保有しているかが書いてあるだけなのだけど、その状態を 〈存在する〉 と皆で合意すれば、ビットコインは確かに 〈存在する〉 ということになる。(P28)

ビットコインは、台帳へのデータの追記をアルゴリズムに参加したPCの計算力を借りて行う。無償ではない。計算したPCには、その報酬として新たに発行したビットコインが贈られる。台帳によって存在が保証されるビットコインの、その存在そのものを担保することに力を貸すことで報酬が支払われ、そのことがまた参加者にビットコインの価値を感じさせるのだ。うまい、虚無から何かを取り出している! さらにうまいのは、新規に発行されるビットコインの上限が定められていることだ。新規のビットコインは現在も刻々と発行されているが、発行のペースが徐々に遅くなっていくようになっているらしい。上限が定められている以上、いつかはそこに辿り着く。アキレスと亀の寓話のように、永久にゴールに辿り着かない設定にすることも可能だったはずだ。だけど、ビットコインの創設者は埋蔵量を明確に規定し、採掘が完了するタイミングをかなり正確に割り出すことを可能にしている。それが2140年ということだ。(P29)

中本哲史は当初、「掘る」 ことで月に30万円程の売り上げを稼ぎ出します。ところがその後はジリ貧で、僅かずつではありますが、儲けは少なくなっていきます。

さて、こんな話の合間合間に挟まって、バリバリのキャリアウーマンの恋人・田久保紀子とのつかの間の逢瀬があり、ニムロッドこと荷室仁からの奇妙なメールが届きます。それが 「駄目な飛行機コレクション」 の紹介文でした。

荷室仁はバベルの塔に似た高塔を舞台にした小説を書いています。田久保紀子はニムロッドから中本哲史に送られてきた 「駄目な飛行機コレクション」 を読みたいと言い、三人はそれぞれに、PCとiPhone 8 越しに出会うことになります。

この本を読んでみてください係数  80/100

◆上田 岳弘
1979年兵庫県明石市生まれ。
早稲田大学法学部卒業。

作品 「太陽・惑星」「異郷の友人」「塔と重力」「私の恋人」等

関連記事

『愛すること、理解すること、愛されること』(李龍徳)_書評という名の読書感想文

『愛すること、理解すること、愛されること』李 龍徳 河出書房新社 2018年8月30日初版 謎の死

記事を読む

『希望が死んだ夜に』(天祢涼)_書評という名の読書感想文

『希望が死んだ夜に』天祢 涼 文春文庫 2023年9月1日第7刷 - 『あの子の殺

記事を読む

『ロゴスの市』(乙川優三郎)_書評という名の読書感想文

『ロゴスの市』乙川 優三郎 徳間書店 2015年11月30日初版 至福の読書時間を約束します。乙川

記事を読む

『寡黙な死骸 みだらな弔い』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『寡黙な死骸 みだらな弔い』小川 洋子 中公文庫 2003年3月25日初版 息子を亡くした女が洋菓

記事を読む

『ぼくがきみを殺すまで』(あさのあつこ)_書評という名の読書感想文

『ぼくがきみを殺すまで』あさの あつこ 朝日文庫 2021年3月30日第1刷 ベル

記事を読む

『生皮/あるセクシャルハラスメントの光景』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『生皮/あるセクシャルハラスメントの光景』井上 荒野 朝日新聞出版 2022年4月30日第1刷

記事を読む

『長いお別れ』(中島京子)_書評という名の読書感想文

『長いお別れ』中島 京子 文春文庫 2018年3月10日第一刷 中央公論文芸賞、日本医療小説大賞

記事を読む

『ニシノユキヒコの恋と冒険』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『ニシノユキヒコの恋と冒険』川上 弘美 新潮文庫 2006年8月1日発行 ニシノくん、幸彦、西野君

記事を読む

『推し、燃ゆ』(宇佐見りん)_書評という名の読書感想文

『推し、燃ゆ』宇佐見 りん 河出書房新社 2021年3月15日40刷発行 推しが、

記事を読む

『薄情』(絲山秋子)_書評という名の読書感想文

『薄情』絲山 秋子 河出文庫 2018年7月20日初版 地方都市に暮らす宇田川静生は、他者への深入

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『血腐れ』(矢樹純)_書評という名の読書感想文

『血腐れ』矢樹 純 新潮文庫 2024年11月1日 発行 戦慄

『チェレンコフの眠り』(一條次郎)_書評という名の読書感想文

『チェレンコフの眠り』一條 次郎 新潮文庫 2024年11月1日 発

『ハング 〈ジウ〉サーガ5 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ハング 〈ジウ〉サーガ5 』誉田 哲也 中公文庫 2024年10月

『Phantom/ファントム』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文 

『Phantom/ファントム』羽田 圭介 文春文庫 2024年9月1

『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(谷川俊太郎)_書評という名の読書感想文 (再録)

『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』谷川 俊太郎 青土社 1

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑