『起終点駅/ターミナル』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/14 『起終点駅/ターミナル』(桜木紫乃), 作家別(さ行), 書評(か行), 桜木紫乃

『起終点駅/ターミナル』桜木 紫乃 小学館文庫 2015年3月11日初版

今年の秋に映画になるらしい。佐藤浩市が演じるのは、弁護士の鷲田完治。ヒロインの椎名敦子役は、本田翼(小説では30歳ですが、映画では25歳の設定らしい)。完治がかつて同棲し、長い年月を経て再会する篠田冴子役が尾野真千子という配役です。

それぞれが抱える孤独、法廷では裁きようがない心の罪、それらは人を何処へ連れて行くのか。どんな手段で、彼らは自分に始末をつけようとするのでしょうか。
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舞台は釧路、季節は夏らしい夏もないままに迎えた9月、法廷横の廊下から見える太平洋は、陽を浴びて波の一枚一枚が光っています。

鷲田完治は、60歳を過ぎた、国選弁護しか引き受けない「変わり者」の弁護士です。35歳のときに裁判官を辞職した後、釧路で法律事務所を開いて30年が経とうとしています。事務所は小さな平屋で、相談に訪れる人間は滅多にいません。

釧路地方裁判所の刑事事件法廷、椎名敦子30歳の覚醒剤使用事件は、鷲田法律事務所の9月に入って最初の仕事でした。被告人である敦子の態度に反省の色はなく、執行猶予がつくことを予め知っていて裁判を小馬鹿にしている、というのが完治が抱いた印象でした。

判決は予想通り執行猶予付きで結審しますが、裁判の後敦子が完治の事務所へやって来たのは予想外の出来事でした。捜して欲しい人がいる、と言う敦子ですが、完治にその気はありません。国選の弁護しか受けないのは、完治が自分に課した最低限の縛りです。

敦子が捜しているのは、大庭誠という男。大庭は、覚醒剤を盗んで警察に追われる身です。完治は、地元の小さな組事務所の二代目・大下一龍からそのことを聞いて知っていました。大庭は大下組のチンピラです。一龍も大庭を捜していたのです。
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裁判所での不愛想な態度は、じつは大庭を守る敦子の方便かも知れない、そう思うと、次第に彼女を邪険に扱えなくなる完治です。大量に作ったザンギを食べて行けと誘ったのは完治でした。なぜそんなことを言ったのか、自分の気持ちが分からないでいる完治です。

敦子の目をみて、完治は遠い日の篠田冴子を想い出します。冴子は同じ大学の2期下、完治を学生運動から抜け出させてくれた女性でした。2人は同棲を始めるのですが、完治が司法試験に合格すると同時に、彼女は理由も告げずにこつ然と完治の前から姿を消します。

2人が再会するのは、完治が旭川地方裁判所の右陪席時代のことです。完治は34歳、32歳になった冴子は結城冴子と名前を変えています。冴子は覚醒剤取締法違反で逮捕され、完治が執行猶予付きの判決を下します。これを期に、留萌での2人の逢瀬は半年間続きます。

留萌駅のホームから冴子が身を投げたのは、一緒に暮らすために街を出ようと列車を待っているときでした。他人のふりをして、一車両分離れて別々に乗ろうとしていた列車に、冴子は飛び込んだのでした。

冴子の自殺が、完治の大きな分岐点となります。以前目の前から突然姿を消してしまった時、自分は本当に最後まで冴子を捜し出そうとしたのか。一緒に暮らそうと言ったのは自分の勝手だけではなかったのか。完治は、同じ女を心の中で二度捨てた、と思います。

妻、子供、裁判官の仕事、生活-かつて完治の手の中にあった確かなもの、それらを放棄した結果が釧路での30年でした。裁判官を辞めて弁護士になったのは、偏に生活費と養育費を送金するためでした。今の完治は丸腰で、ただ泳ぎ疲れるのを待っているだけです。
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短い話ですが、人は元来孤独であること、孤独であるが故にまた人を想う気持ちを断ち切れない、そんな心情が鮮やかに描かれている短編です。

それにしても、桜木紫乃が書く寂寥感やうらぶれた空気は、北海道ならではの風土とよく馴染みます。釧路や留萌、厚岸、はるか遠く道東に位置する町の字面を追うだけでも、内地とは別ものの特別な抒情が沸き立ちます。
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完治は、厚岸近くの小さな浜にある敦子の実家を目指しています。免許がない敦子に、連れて行って欲しいと頼まれたからでした。海から内陸に入り、狭い坂道を上がると厚岸湾が遠くに見えます。崖から転落しそうな道の片側に、ぽつりぽつりと家があります。

中学を出てから15年帰っていないという敦子の実家は、腰丈ほどもある草に埋もれた、家というより小屋で、みごとなまでの廃屋でした。

※この短編集に収められている作品
「かたちないもの」「海鳥の行方」「起終点駅」「スクラップ・ロード」「たたかいにやぶれて咲けよ」「潮風の家」

この本を読んでみてください係数  85/100


◆桜木 紫乃
1965年北海道釧路市生まれ。
高校卒業後裁判所のタイピストとして勤務。
24歳で結婚、専業主婦となり2人目の子供を出産直後に小説を書き始める。
ゴールデンボンバーの熱烈なファンであり、ストリップのファンでもある。

作品 「氷平線」「凍原」「ラブレス」「ワン・モア」「ホテルローヤル」「硝子の葦」「誰もいない夜に咲く」「無垢の領域」「蛇行する月」「星々たち」「ブルース」など

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