『嵐のピクニック』(本谷有希子)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/13 『嵐のピクニック』(本谷有希子), 作家別(ま行), 書評(あ行), 本谷有希子

『嵐のピクニック』本谷 有希子 講談社文庫 2015年5月15日第一刷

第7回(2013年)大江健三郎賞受賞作 

「アウトサイド」-[優しいピアノ教師が見せた一瞬の狂気]
ある日、「私」がいつものようにお菓子の油がついたままのギトギトした指で、耳障りな音を鳴らしていたら、先生が立ち上がって小さな筆箱から1本の鉛筆を取り出した。

先生は「あっちゃんは鍵盤を触るとき、手首がどうしても下がってしまうからね」と言って、その鉛筆の先端を鍵盤に触れている私の手首のすぐ下まで近づけた。ぎょっとしたけど、あまりにも自然で何も聞けなかった。

音を外しそうになると、芯が微かに血管の近くに食い込むので、震えそうになる指を懸命に隠した。先生は一体どんなつもりでその新しいレッスンを思いついたのか、他の子にもこんなことをしているのか、その気になれば私の手首にその芯を突き立てることができるか、聞きたいことは山ほどあった。
・・・・・・・・・・
そんなことがあって、私は9年間で初めて真剣にピアノを弾く気になります。友達のサツキとの馴れ合いの遊びが一気につまらなくなり、本気を出した私はあれだけ進まなかったのに、あっという間に、すごい勢いで、課題曲なら196曲は弾けるようになります。

ところが、もうすぐ200曲目をマスターしようかという頃に、先生は教室をやめてしまいます。旦那さんと離婚することになったのです。実は、先生が自宅で教室を開いていたのは、痴呆で寝たきりのお義母さんの介護をするためでした。

先生はどうしても子供にピアノを教えたかったのですが、自宅に知らない人間が出入りすることのストレスを旦那さんから責められ続け、思春期だった娘まで先生に辛くあたるようになります。思えば、私の手首に鉛筆を突き立てたのはこの頃のことでした・・・・

- とまあ、ここまではあると言えばある話。ちょっと不気味ではありますが、取り立てて言うほどのことではありません。やにわに気色ばむのは実はこのあとのことで、これぞ本谷有希子の本領と言える、いささかブラックにしてシュールな結末が待ち受けています。

お義母さんの痴呆がいよいよひどくなり、長年の介護に疲れ切った先生は、ある晩とうとう、グランドピアノの中に小さなお義母さんを入れると蓋をして閉じ込め、半日ものあいだ放置します。蓋の上にはバイエルなどのテキストが重しとして載せてあったそうです。

先生がいなくなったあとも、娘の才能を信じた母親はもっと月謝が高くてしっかりした別の教室に私を通わせることにしたのですが、意欲を失った私は練習しなくなり、指はあっという間に動かなくなり、楽譜も読めなくなります。

へ音記号を見るだけで吐きそうになり、学校でおもしろくないことがあるたびに、私も先生と同じようにお前らをピアノの中にぶち込んでやろうか、と心の中で毒づくようになります。

教室から追い出され、ヤケになった私は、サツキに紹介してもらった男の子と付き合って、一切の勉強をせずに受験を迎え、県で一番馬鹿な高校にも入れず、17のときに子供ができます。サツキは運命的に出会った旦那に借金と隠し子が発覚して、なんであんなやつを好きになったのか分からないと会うたびに言います。

この前、お腹の子供が私をピアノの中に閉じ込めるところを想像したあと、自分もお腹に子供を閉じ込めていることに気付きます。

サツキだって何かに閉じ込められている - 誰だって自分が今、ピアノの中なのか外なのか分からないまま生きているのだろう - というふうに終わっています。どうです? もしも感じるものがあるなら、ぜひ他の作品も読んでみてください。あと12個もあって、大江健三郎氏直々の解説まで付いています。

この本を読んでみてください係数  80/100


◆本谷 有希子
1979年石川県生まれ。
石川県立金沢錦丘高等学校卒業。ENBUゼミナール演劇科に入学。

作品 「ぬるい毒」「自分を好きになる方法」「異類婚姻譚」「江利子と絶対」「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」「生きているだけで、愛。」「グ、ア、ム」他

関連記事

『赤い部屋異聞』(法月綸太郎)_書評という名の読書感想文

『赤い部屋異聞』法月 綸太郎 角川文庫 2023年5月25日初版発行 ミステリ界随

記事を読む

『殺人鬼フジコの衝動』(真梨幸子)_書評という名の読書感想文

『殺人鬼フジコの衝動』真梨 幸子 徳間文庫 2011年5月15日初版 小学5年生、11歳の少

記事を読む

『出身成分』(松岡圭祐)_書評という名の読書感想文

『出身成分』松岡 圭祐 角川文庫 2022年1月25日初版 貴方が北朝鮮に生まれて

記事を読む

『風に舞いあがるビニールシート』(森絵都)_書評という名の読書感想文

『風に舞いあがるビニールシート』森 絵都 文春文庫 2009年4月10日第一刷 第135回直木賞受

記事を読む

『溺レる』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『溺レる』川上 弘美 文芸春秋 1999年8月10日第一刷 読んだ感想がうまく言葉にできない

記事を読む

『職業としての小説家』(村上春樹)_書評という名の読書感想文

『職業としての小説家』村上 春樹 新潮文庫 2016年10月1日発行 第二回(章)「小説家になっ

記事を読む

『海の見える理髪店』(荻原浩)_書評という名の読書感想文

『海の見える理髪店』荻原 浩 集英社文庫 2019年5月25日第1刷 第155回直木

記事を読む

『しろいろの街の、その骨の体温の』(村田沙耶香)_書評という名の読書感想文

『しろいろの街の、その骨の体温の』村田 沙耶香 朝日文庫 2015年7月30日第一刷 クラスでは目

記事を読む

『犬のかたちをしているもの』(高瀬隼子)_書評という名の読書感想文

『犬のかたちをしているもの』高瀬 隼子 集英社文庫 2022年9月17日第2刷 「

記事を読む

『走れ! タカハシ』(村上龍)_書評という名の読書感想文

『走れ! タカハシ』村上龍 講談社 1986年5月20日第一刷 あとがきに本人も書いているの

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『ケモノの城』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ケモノの城』誉田 哲也 双葉文庫 2021年4月20日 第15刷発

『嗤う淑女 二人 』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『嗤う淑女 二人 』中山 七里 実業之日本社文庫 2024年7月20

『闇祓 Yami-Hara』(辻村深月)_書評という名の読書感想文

『闇祓 Yami-Hara』辻村 深月 角川文庫 2024年6月25

『地雷グリコ』(青崎有吾)_書評という名の読書感想文 

『地雷グリコ』青崎 有吾 角川書店 2024年6月20日 8版発行

『アルジャーノンに花束を/新版』(ダニエル・キイス)_書評という名の読書感想文

『アルジャーノンに花束を/新版』ダニエル・キイス 小尾芙佐訳 ハヤカ

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑