『おはなしして子ちゃん』(藤野可織)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/11
『おはなしして子ちゃん』(藤野可織), 作家別(は行), 書評(あ行), 藤野可織
『おはなしして子ちゃん』藤野 可織 講談社文庫 2017年6月15日第一刷
理科準備室に並べられたホルマリン漬けの瓶。ただの無駄な存在に見えた標本のひとつが、けれども「私」には意外と使えた。クラスの噂や自慢話の聞き役として、私に激しくお話をせがむのだから(「おはなしして子ちゃん」)。ユーモラスでアンチデトックス、才能あふれる芥川賞作家が紡ぐ類まれな物語世界、全十編。(講談社文庫)
こんな話は滅多とない - というか、何がもとでこんな話を思い付くのか。普通(の人)はまず書かないし、書けるとも思えない、あれこれ想像すると変になりそうな、そんな 「ぶっ飛んだ」 話ばかりが書いてあります。
第三話 「アイデンティティ」 を少しだけ。
「猿です」
「鮭です」
「いいえ、人魚です」 と、それは言った。
「ううん、さいごのが正しいよな」 と助六が言った。「ほれ、もいっぺん言ってみな。おめえはいったいなんだ?」
「猿です」
「鮭です」
「いいえ、人魚です」 と、それは繰り返した。三者三様の主張は、すべて同じ口から出た。口はひとつだし、その口は本来猿のものだった。
※これは、助六が仕上げた(猿と鮭とを縫い合わせた)人魚が、その出来栄えの拙さから自分が何者かをうまく理解できずに、繰り返し彼から「人魚である」ことの自覚を促されている場面です。ちなみに弥吉が作る人魚は、聞くと即座に自分は人魚だと答えてみせます。
助六と弥吉は、「人魚工場」で働いています。そもそも人魚などというものは存在しないのですが、存在しないからこそありがたがられるわけで、みなは精を出して人魚を作っています。
原材料は、おもに猿と鮭で、猿は腹を真っ二つにされ、軒先に吊るされて徹底的に干されます。鮭は顔面を切り落とされ、これも別の軒先に吊るされて徹底的に干されます。
どちらも木のように乾いたところで工場に運び込まれ、木綿の糸でぶつぶつと縫い合わされます。そこここの作業台では、板敷きの床に直接あぐらをかいた職人たちが、「ほら、人魚だ」「そら、人魚だ」とやっています。こうして人魚たちは生まれます。しかし、それははじめから死んでいる人魚たちなのです。
かれらはこの先、異国に売られて行く運命にあります。細工が済むと、人魚は柿渋の壺にとっぷりと浸けられます。柿渋が馴染むにつれて全体の身が引き締まり、猿部と鮭部をつなぐ糸がぎゅっと食い込んで、境目の処理はほとんど目立たなくなります。
顔は伝説の怪物にふさわしく、厳めしくおぞましく、思索的なものへと変化を遂げます。人魚たちは、(はなから人魚みたいに) かつて生きていた頃、力強く身をくねらせ、荒波を尾で叩いて泳ぎまわったことを思い出すまでになっています。
助六と、助六が作った人魚とのやり取りがしばらく続き、そのうちすっかり柿渋が乾き、やがて出荷の日を迎えます。
助六は、丁寧にそれを天井から取り外します。それは、綿を敷いた桐の箱に寝かされます。他の人魚たちもまた桐箱に詰められてゆきます。
「向こうに行ったらな、ギヤマンの入れ物に入れてもらうといいぞ」
「鼻が高くて脚の長えガキどもを怖がらせてやれよ」
「でけえ興行主に当るとな、なんとこの世をぐるりと一周できるそうだよ。てえしたもんだ」
職人たちは蓋を閉める前にそんなふうに人魚たちに語りかけたが、人魚たちはそっちのけでうっとりとなつかしい海を夢見ていた。人魚たちは、すでに海の気配を感じ取っていた。刃のように光る海の表面と、その奥底で自分たちを待つ生きた人魚たちを ・・・・・・
と、続いてゆきます。はてさて、異国に売られた 「偽の人魚」 の運命やいかに!!! - といったところで、あとはぜひご自身で読んでみてください。
※ギヤマン:(カット)ガラスのこと。本来はポルトガル語でダイヤモンドのことをいいます。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆藤野 可織
1980年京都府京都市生まれ。
同志社大学大学院美学および芸術学専攻博士課程前期修了。
作品 「いやしい鳥」「爪と目」「ファイナルガール」「パトロネ」他
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