『献灯使』(多和田葉子)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2022/06/15 『献灯使』(多和田葉子), 作家別(た行), 多和田葉子, 書評(か行)

『献灯使』多和田 葉子 講談社文庫 2017年8月9日第一刷


献灯使 (講談社文庫)

大災厄に見舞われ、外来語も自動車もインターネットもなくなり鎖国状態の日本。老人は百歳を過ぎても健康だが子どもは学校に通う体力もない。義郎は身体が弱い曾孫の無名が心配でならない。無名は「献灯使」として日本から旅立つ運命に。大きな反響を呼んだ表題作など、震災後文学の頂点とも言える全5編を収録。(講談社文庫)

時の状況はこうです。

暮らす環境を一変させるほど激甚で不可逆的なカタストロフィが起きているらしい。忌々しい出来事から数十年経ったと思われる時点で、体があまり自由に動かない少年無名(むめい)と、百歳を超えたがまだ死ねないでいるその曾祖父で保護者義郎の物語は繰り広げられている。(解説より)

曾孫に食べさせる果物を手に入れようと躍起になり、老人たちは市場から市場へと亡霊のように彷徨っている。世はインフレで、あげく一部の果物と野菜には全国均一の定価が付いてあり、オレンジが一個一万円で売られている。

本州は季候が乱暴で気まぐれな性格になったせいで農業がやりづらくなっており、それでも東北地方はまだましで、「新種雑穀」 と呼ばれる栄養価の高い穀物の生産で潤っており、量が減ったとはいえ、従来の米や麦も相変わらず出荷されている。

問題が多いのは本州でも茨木から京都にかけての地帯で、8月に粉雪が降ったり、2月に熱風が多量の砂を運んで来たり、夏に雨が3ヶ月も降らず風景が茶色くなったり、急に熱帯低気圧による豪雨が降って地下鉄の駅の構内が水浸しになったりもする。

干ばつや暴風豪雨に追い立てられるようにして、本州から沖縄へ多くの男女が移住するようになる。(北海道とは違い) 沖縄は本州からの移民を無制限に受け入れる方針だったのだが、(仕事を求め) 男性労働者ばかりが増えるに及び、

結果、沖縄の農場で働きたい者は夫婦で申請しなければならなくなる。女性の独り者、あるいは男女とも同性愛の夫婦はそのまま応募できるが、男性の独身者は応募できなくなる。仕事がないと移住は叶わず、農場より他にはほとんど働く場所がなくなってしまう。

無名の曾祖父の義郎は、かつて自分が孫に教えたことは間違いだったと認めるしかないと考えている。義郎は、「東京の一等地に土地があれば将来その価値が下がるということはありえない、不動産ほど信用できるものはない」 と固く信じていたのだった。ところが、

今や、一等地を含む東京二十三区全体が、「長く住んでいると複合的な危険にさらされる地区」 に指定され、土地や家は貨幣に換算できるような種類の価値をまるで失くしていた。すぐにどうこうというわけではないながら、長い間その環境にさらされていると複合的に悪影響が出る確率が高い土地だと言われ、都心を離れ、多くは奥多摩から長野にかけての地域へ移り住むようになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夜那谷はいつからか、大人に対する話し方と子どもに対する話し方を区別しなくなっている。世界地図を広げて海の向こうの国の話をしてやると、子どもたちは露に濡れた葡萄のような瞳を向けて、飽きることなく耳を傾けた。その中から一番 「献灯使」 にふさわしい子を選び出さなくてはならない。

毎日たくさんの小学生を観察できる環境にいる夜那谷は、それが自分の使命だと思っている。無名に白羽の矢を立ててはいるのだが、これからどんな風に成長していくのか数年見守ってからでなければ最終的な判断は下せないと考えている。

その頃、実のところは、すでに無名の体調は著しく悪化している。激しい頭痛に襲われ、それに耐えようと必死で腕を動かしたりしてはいるものの、まわりの目にはそれが見えないようで、無名はそれが不思議で仕方ない。

孤立感に伴って視界がかすんできたので、焦点をあわせようと眉間に皺を寄せて世界地図を睨んだ。これはどう見ても僕自身の肖像画だ。アンデス山脈が外側に向かって弧を描き、また内側に向かう曲線が、僕の右の腰から足首にかけての骨の曲線にぴったりだ。

上半身の骨は頂点に向かって内側に彎曲し、左から上昇してくる山脈とベーリング海で出逢う。骨は全部曲がっている。曲げるつもりはないのだけれど、すでに曲がっていて、もしこれが痛みというものであるとしたら、それは初めから理由もなくあったものだ。

無名はそのときそう思い、やがて15歳になり、15歳になった無名は、もはや歩けなくなっている。

※「これは今年一番の難解な本だと思う」 という感想がありました。心して読んでください。

この本を読んでみてください係数 85/100


献灯使 (講談社文庫)

◆多和田 葉子
1960年東京都生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。ハンブルク大学修士課程修了。チューリッヒ大学博士課程修了。ベルリン在住。

作品 「かかとを失くして」「犬婿入り」「ヒナギクのお茶の場合」「球形時間」「容疑者の夜行列車」「尼僧とキューピッドの弓」「雪の練習生」「雲をつかむ話」他多数

関連記事

『谷崎潤一郎犯罪小説集』(谷崎潤一郎)_書評という名の読書感想文

『谷崎潤一郎犯罪小説集』谷崎 潤一郎 集英社文庫 2007年12月20日第一刷 谷崎潤一郎犯罪

記事を読む

『小説 ドラマ恐怖新聞』(原作:つのだじろう 脚本:高山直也 シリーズ構成:乙一 ノベライズ:八坂圭)_書評という名の読書感想文

『小説 ドラマ恐怖新聞』原作:つのだじろう 脚本:高山直也 シリーズ構成:乙一 ノベライズ:八坂圭

記事を読む

『GO』(金城一紀)_書評という名の読書感想文 

『GO』 金城 一紀  講談社 2000年3月31日第一刷 @1,400 GO 金城一紀が好

記事を読む

『合理的にあり得ない』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

『合理的にあり得ない』柚月 裕子 講談社文庫 2020年5月15日第1刷 合理的にあり得ない

記事を読む

『まともな家の子供はいない』津村記久子_書評という名の読書感想文

『まともな家の子供はいない』 津村 記久子 筑摩書房 2011年8月10日初版 まともな家の子

記事を読む

『海馬の尻尾』(荻原浩)_書評という名の読書感想文

『海馬の尻尾』荻原 浩 光文社文庫 2020年8月20日初版 海馬の尻尾 (光文社文庫)

記事を読む

『ピンザの島』(ドリアン助川)_書評という名の読書感想文

『ピンザの島』ドリアン 助川 ポプラ文庫 2016年6月5日第一刷 ピンザの島 &nbs

記事を読む

『人間失格』(太宰治)_書評という名の読書感想文

『人間失格』太宰 治 新潮文庫 2019年4月25日202刷 人間失格 (新潮文庫)

記事を読む

『グラニテ』(永井するみ)_書評という名の読書感想文

『グラニテ』永井 するみ 集英社文庫 2018年2月25日第一刷 グラニテ (集英社文庫)

記事を読む

『回遊人』(吉村萬壱)_書評という名の読書感想文

『回遊人』吉村 萬壱 徳間書店 2017年9月30日初刷 回遊人 (文芸書) 妻か、妻の友人

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。

『ポラリスが降り注ぐ夜』(李琴峰)_書評という名の読書感想文

『ポラリスが降り注ぐ夜』李 琴峰 ちくま文庫 2022年6月10日第

『カインの傲慢/刑事犬養隼人』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『カインの傲慢/刑事犬養隼人』中山 七里 角川文庫 2022年6月2

『カゲロボ』(木皿泉)_書評という名の読書感想文

『カゲロボ』木皿 泉 新潮文庫 2022年6月1日発行

『あたしたち、海へ』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『あたしたち、海へ』井上 荒野 新潮文庫 2022年6月1日発行

『白昼夢の森の少女』(恒川光太郎)_書評という名の読書感想文

『白昼夢の森の少女』恒川 光太郎 角川ホラー文庫 2022年5月25

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑