『ほかに誰がいる』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

『ほかに誰がいる』朝倉 かすみ 幻冬舎文庫 2011年7月25日5版

ほかに誰がいる (幻冬舎文庫)

あのひとのことを考えると、わたしの呼吸はため息に変わる。十六歳だった。
あのひとに出会うまで十六年もかかってしまったという気持ちは、後悔に少し似ている。
眠れない夜よりも長いわたしのため息は、いつか、あのひとに届くのだろうか。

 わたしは鳩の鳴き声を聞いていた。雨の降る日は、旧い校舎の廊下の壁から鳩の鳴き声が聞こえてくる。ひとの近づく気配を感じ、わたしは壁から耳を離した。向こうから、四、五人の集団が歩いてくる。笑っているなかに、懐かしい顔があった。なぜ、懐かしいのかわからなかった。すれちがったあとで振り返ると、二日前のできごとがまぶたの裏をすぎていく。
 わたしはプラットフォームへの階段を駆け上がっていた。空がぶれながら大きくなった。車ひだのスカートが腿にまとわりつき、埃のにおいも立ってきて、どちらもひどくわずらわしかった。乗るはずの電車の出発時間が迫っている。改札時間は終わったばかりだったので、まだ、間に合うかもしれなかった。視界の右すみに山吹色の電車が入ってきた。もう、動き始めている。わたしの足が遅くなった。轟音をひびかせ、加速する電車を横目で見ながら、最後の数段をゆっくりとのぼっていった。プラットフォームにでたら、ひとりの乗客がせりだして見えた。最後尾。乗降口。ガラスにこめかみをあてているひとがいる。目が合った、と、思ったら、電車が走り去った。風を吹き上げ、わたしの前髪をあおっていた。
 あのひとだった。あのひとも振り返っていた。目で驚き、目で笑い、かぶりを振って、首をもどした。その横顔がわたしの胸に残っている。からだが前に傾いて、床が湿った音を立てた。手の甲をひたいにあてて、うつむいた。斜めに目を上げると、向かいがわに窓がある。六月の夕方だった。空はまだ明るかったが、遠くのほうに深い青がひそんでいた。ぼやけて見えるのは、わたしの目に水の膜が張っているせいだ。まばたきをしたら、涙が落ちた。(本文より)

- そして物語がはじまってゆきます。高校一年生のえりは、同じ高校に通う同級生に恋をしたのでした。

相手の名前は、賀集玲子といいます。えりは、自分と同じ女性に恋をしたのでした。それは突然訪れた、”ひと目惚れ” だったのでしょう。えりの、玲子に向けた恋情は並大抵のものではありません。

最初思うのは、女性同士の、これは同性愛を扱った話ではないだろうかと。それが読むうち段々と、まるで違う話だというのがわかってきます。

えりは、玲子と同じ肌色になるために、わざわざ自分の白い肌を灼こうと躍起になります。えりは玲子と、”ふたごのように” なりたいのでした。強く願えば叶うと思い 「賀集玲子。賀集玲子」 と、恋しい人の名前を一心に、ひたすらノートに書き連ねるのでした。

えりの願うところは、限りなく玲子と一体化することでした。その一念で、そのための努力をえりは惜しみません。そうなるために、彼女は自分の全精力を傾注します。

そんなえりの思いを、玲子は半ば理解しており、半ば理解できずにいました。それはある意味当然で、玲子はえりのことを “普通に” 親友だと思っていただけのことでした。

何の問題もないように思えた二人の関係は、えりの一方的な思い込みで、次第次第に違うものへと変化してゆきます。その挙げ句、やがてえりの人生を根底から覆す事態を招くことになります。ただの偶然が、偶然では済まない帰結へとえりを駆り立ててゆきます。

十六歳だった。あのひとに出会うまで十六年もかかってしまったという気持ちは、後悔に少し似ている - 」 本城えりが電車の窓越しに、賀集玲子の姿を見初めたのは、高校一年のことだった。玲子に憧れ、近づき、ひとつになりたいと願うえり。その強すぎる思いは彼女自身の人生を破滅へと向かわせてゆく。読み始めたら止まらない、衝撃作。(幻冬舎文庫)

この本を読んでみてください係数 80/100

ほかに誰がいる (幻冬舎文庫)

◆朝倉 かすみ
1960年北海道小樽市生まれ。
北海道武蔵女子短期大学教養学科卒業。

作品 「肝、焼ける」「田村はまだか」「夏目家順路」「玩具の言い分」「ロコモーション」「恋に焦がれて吉田の上京」「静かにしなさい、でないと」「満潮」「平場の月」他

関連記事

『犯罪小説集』(吉田修一)_書評という名の読書感想文

『犯罪小説集』吉田 修一 角川文庫 2018年11月25日初版 犯罪小説集 (角川文庫)

記事を読む

『ふたりぐらし』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『ふたりぐらし』桜木 紫乃 新潮文庫 2021年3月1日発行 ふたりぐらし(新潮文庫)

記事を読む

『間宵の母』(歌野晶午)_書評という名の読書感想文

『間宵の母』歌野 晶午 双葉文庫 2022年9月11日第1刷発行 恐怖のあまり笑いが

記事を読む

『偏愛読書館/つかみどころのない話』(林雄司)_書評という名の読書感想文

『偏愛読書館/つかみどころのない話』林 雄司 本の話WEB 2016年5月12日配信 http:/

記事を読む

『震える天秤』(染井為人)_書評という名の読書感想文

『震える天秤』染井 為人 角川文庫 2022年8月25日初版発行 10万部突破 『悪

記事を読む

『貴婦人Aの蘇生』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『貴婦人Aの蘇生』小川 洋子 朝日文庫 2005年12月30日第一刷 貴婦人Aの蘇生 (朝日文

記事を読む

『乙女の家』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

『乙女の家』朝倉 かすみ 新潮文庫 2017年9月1日発行 乙女の家 (新潮文庫) 内縁関係

記事を読む

『砕かれた鍵』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文

『砕かれた鍵』逢坂 剛 集英社 1992年6月25日第一刷 砕かれた鍵 (百舌シリーズ) (集

記事を読む

『犬』(赤松利市)_第22回大藪春彦賞受賞作

『犬』赤松 利市 徳間書店 2019年9月30日初刷 犬 (文芸書) 大阪でニューハー

記事を読む

『日輪の遺産/新装版』(浅田次郎)_書評という名の読書感想文

『日輪の遺産/新装版』浅田 次郎 講談社文庫 2021年10月15日第1刷 日輪の遺産 新装

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『くもをさがす』(西加奈子)_書評という名の読書感想文

『くもをさがす』西 加奈子 河出書房新社 2023年4月30日初版発

『悪口と幸せ』(姫野カオルコ)_書評という名の読書感想文

『悪口と幸せ』姫野 カオルコ 光文社 2023年3月30日第1刷発行

『昔はおれと同い年だった田中さんとの友情』(椰月美智子)_書評という名の読書感想文

『昔はおれと同い年だった田中さんとの友情』椰月 美智子 双葉文庫 2

『せんせい。』(重松清)_書評という名の読書感想文

『せんせい。』重松 清 新潮文庫 2023年3月25日13刷

『怪物』(脚本 坂元裕二 監督 是枝裕和 著 佐野晶)_書評という名の読書感想文

『怪物』脚本 坂元裕二 監督 是枝裕和 著 佐野晶 宝島社文庫 20

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑