『たそがれどきに見つけたもの』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

『たそがれどきに見つけたもの』朝倉 かすみ 講談社文庫 2019年10月16日第1刷

(第一話) たそがれどきに見つけたもの

海野伊智子と別れたあと、割り算をした。
人生八十年とし、それを四で割ってみた。四は四季の四である。
二十ずつ区切った年齢に春夏秋冬をあてはめた。二十歳までが
、四十までが 。還暦まではとして、それより先をとした。
今年五十のわたしは、秋の真んなかにいた。
ほほう、と感心するように驚いた。そうか、わたしは実りの秋の真んなかにいたのであったか。
腕の振りが大きくなった。颯爽、というふうに夜道を歩く。わりあい暗い夜道である。

夫は高校の同級生。卒業後十数年ぶりに再会し、結婚した。けれどある日、高校時代の友人の口から、かつて好きだった卯月くんの名前が出て - 。

多田くんは高校の同級生だった。そのころから、色が白くて、線が細かった。髪の毛も目の色も茶色っぽくて、全体的に薄いのだった。
太陽にあたらない葉っぱの裏みたいだと、伊智子とこっそり笑い合ったものだ。当時、多田くんの親友で、だいたいいつも一緒にいた卯月くんが、葉っぱのおもてのようなタイプだったので、余計にそう感じたのかもしれないが、わたしはそういうイメージを多田くんに持ちつづけていた。(P11)

朱美が好きだったのは卯月くんでした。ところが、卯月くんは朱美にまるで関心がありません。多田くんが朱美を好きだと知っていたからです。当時、多田くんは一方的に朱美を好きになり、朱美はあくまで 「葉っぱのおもてのような」 卯月くんが好きなのでした。

卯月くんと伊智子の二人に乗せられて、朱美は (不本意ながら) 一度は多田くんと付き合ってはみるのですが、結局うまくいきません。「そういうふうには好きになれないと思う」- 朱美が多田くんにそう告げたのは、二学期の始業式のあとのことでした。

ところが、ところが。

高校生のころは気づかなかったが、三十半ばになってみたら、多田くんは多田くんでようすのいい男性だった。
おとなしげなところは変わっていないが、物腰が柔らかく、口調も性質もおだやかだった。わたしが視線をはずしたときでも、わたしを見ているようだった。そうして視線が合うと、一瞬にして顔がほころび、その表情のままゆっくりと目をふせた。
十七歳だったときに、うとましいと思ったことが、三十四歳になったら好ましいものに反転した。安心感といってよかった。葉っぱの裏のようなひとの隣にいれば、強い日射しをよけられるし、強風にさらされることもないし、雨もしのげる。(P33.34)

なので - 十数年ぶりに再会した翌年、二人は結婚したのでした。
それから十五年が経っています。今年五十になった朱美は春夏秋冬で言うと、まだまだ 「秋」 の真っただ中にいます。

今度は八十を二十四で割った。寿命を一日の時間で割ってみたのだった。余りが出たので、およそ三ということにした。
零時から午前一時を三歳まで、午前一時から二時を六歳まで、と考えていったら、五十歳は、午後四時と午後五時のあいだだった。
わたしが今生きている時間は、一日に喩えると、午後四時半ころのようである。
ほほう、と、またなにかに感心するように驚いてから、歩き始めた。そうか、秋真っ盛りの夕方か。そこにわたしは立っているのか。
いっそ早く昏れてくれ、と思うような部分があった。早く静かな夜になればいいのに。
(P21)

と思いきや、

ごくたまにだが、どうしても卯月くんにひと目会いたい、という衝動に駆られる瞬間が、わたしにはある。どんなことをしてでも卯月くんともう一度話がしたい、と全身で思い詰めるときがあった。葉っぱの裏みたいな夫には、ほとんど不満はないけれど、満足もしていないというような、ぶすぶすと燻るものがわたしのなかにあって、ごくごくたまになのだが、突然炎を上げるのだった。(P43)

わかります? わかりますよね。相応に歳を取ったあなたなら、きっとわかるはずです。「大人の心に寄り添う、切なく優しい短編集」 - 文庫の裏にはそんな惹句が載せてあります。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆朝倉 かすみ
1960年北海道小樽市生まれ。
北海道武蔵女子短期大学教養学科卒業。

作品 「肝、焼ける」「田村はまだか」「夏目家順路」「玩具の言い分」「ロコモーション」「恋に焦がれて吉田の上京」「静かにしなさい、でないと」「満潮」「平場の月」他

関連記事

『きみはだれかのどうでもいい人』(伊藤朱里)_書評という名の読書感想文

『きみはだれかのどうでもいい人』伊藤 朱里 小学館文庫 2021年9月12日初版

記事を読む

『緋色の稜線』(あさのあつこ)_書評という名の読書感想文

『緋色の稜線』あさの あつこ 角川文庫 2020年11月25日初版 ※本書は、201

記事を読む

『夜のピクニック』(恩田陸)_書評という名の読書感想文

『夜のピクニック』恩田 陸 新潮文庫 2006年9月5日発行 高校生活最後を飾るイベント「歩行祭」

記事を読む

『徴産制 (ちょうさんせい)』(田中兆子)_書評という名の読書感想文

『徴産制 (ちょうさんせい)』田中 兆子 新潮文庫 2021年12月1日発行 「女に

記事を読む

『ブラフマンの埋葬』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『ブラフマンの埋葬』小川 洋子 講談社文庫 2017年10月16日第8刷 読めば読

記事を読む

『業苦 忌まわ昔 (弐)』(岩井志麻子)_書評という名の読書感想文

『業苦 忌まわ昔 (弐)』岩井 志麻子 角川ホラー文庫 2020年6月25日初版

記事を読む

『夕映え天使』(浅田次郎)_書評という名の読書感想文

『夕映え天使』浅田 次郎 新潮文庫 2021年12月25日20刷 泣かせの浅田次郎

記事を読む

『ダブル』(永井するみ)_極上のサスペンスは日常から生まれる

『ダブル』永井 するみ 双葉文庫 2020年2月15日第1刷 被害者女性の特異な容

記事を読む

『それを愛とまちがえるから』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『それを愛とまちがえるから』井上 荒野 中公文庫 2016年3月25日初版 ある朝、伽耶は匡にこう

記事を読む

『夏をなくした少年たち』(生馬直樹)_書評という名の読書感想文

『夏をなくした少年たち』生馬 直樹 新潮文庫 2019年8月1日発行 第3回 新潮ミ

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『海神 (わだつみ)』(染井為人)_書評という名の読書感想文

『海神 (わだつみ)』染井 為人 光文社文庫 2024年2月20日

『百年と一日』(柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『百年と一日』柴崎 友香 ちくま文庫 2024年3月10日 第1刷発

『燕は戻ってこない』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『燕は戻ってこない』桐野 夏生 集英社文庫 2024年3月25日 第

『羊は安らかに草を食み』(宇佐美まこと)_書評という名の読書感想文

『羊は安らかに草を食み』宇佐美 まこと 祥伝社文庫 2024年3月2

『逆転美人』(藤崎翔)_書評という名の読書感想文

『逆転美人』藤崎 翔 双葉文庫 2024年2月13日第15刷 発行

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑