『大きな鳥にさらわれないよう』(川上弘美)_書評という名の読書感想文
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『大きな鳥にさらわれないよう』(川上弘美), 作家別(か行), 川上弘美, 書評(あ行)
『大きな鳥にさらわれないよう』川上 弘美 講談社文庫 2019年10月16日第1刷
遠く遥かな未来、滅亡の危機に瀕した人類は、「母」 のもと小さなグループに分かれて暮らしていた。異なるグループの人間が交雑したときに、、新しい遺伝子を持つ人間 - いわば進化する可能性のある人間の誕生を願って。彼らは、進化を期待し、それによって種の存続を目指したのだった。 しかし、それは、本当に人類が選びとった世界だったのだろうか? 絶望的ながら、どこかなつかしく牧歌的な未来世界。かすかな光を希求する人間の行く末を暗示した川上弘美の 「新しい神話」。泉鏡花文学賞受賞作。
彼女はいつもわたしに言うのである。あなたたち人類よ、これからもよい旅を、と。(講談社)
解説 岸本佐知子 (翻訳家)
『大きな鳥にさらわれないよう』 の最初を飾る 「形見」 は、もともと 『変愛小説集日本作家編』 のために書かれた。私が編者となって、大好きな作家のみなさんに 「変な愛を書いてください」 とお願いし、書き下ろしていただいた短編小説を集めたアンソロジーだ。
送られてきた川上さんの 「形見」 を読んで、私はうめいた。さらさらとして、淡い。それでいて、相反するいくつもの感覚を強くかき立てられた。遠い未来なのになつかしい。ユートピアのようでもありその逆のようでもある。絶望のような希望。「形見」 をアンソロジーの最初に置くことに、一瞬の迷いもなかった。この中には、始まりと終わりの両方がある気がしたからだ。
今日は湯浴みにゆきましょう、と行子さんが言ったので、みんなでしたくをした。
「形見」 の書き出しはとても静かだ。柔らかく重なる 「ゆ」 の音、雪のように淡くはかなげな語り。女たちは白い薄物をはおり、川にゆったりと身を沈めながらゆるゆると話す。だが、その穏やかな語り口からかいま見えてくるのは、何千年後かの遠い未来、今とはまるでちがう命の形をもつようになった人類の姿だ。
子供はふつうの生殖によってではなく 「工場」 で作られる。親子、夫婦、きょうだい、すべての絆がゆるやかで、生や死への執着も薄い。大陸すらも形を変え、国という概念も消滅している。物語全体に、滅びと、死と、寂しさの気配がただよう。
- ある物語では、舞台はアジアのどこかのようであり、無数の女に対して男がたったの十数人しかいない。べつの物語では、人々はアメリカの田舎町のような場所で、一見いまとそう変わりない暮らしを営んでいる。ある物語では人々はみな数字の名前をもち、目が三つで、鼻がない。かと思うとべつの物語では、まるで植物のように緑色の皮膚をもち合成代謝をする人々が登場する。
なぜ人々はこんなにも形態の違うべつべつの社会で暮らすのか。「見守り」 とは。「母たち」 とは。やがて明らかになるのは、人類がたどってきた滅びの歴史だ。
何度かのカタストロフとインパクトの末に人類が極端に数を減らし、ついには地球の生態系の最上位者としての地位を失ったこと。そして今のこの世界が、ある大きな意図のもとに創り出された一つのシステムによって運営されていること。
かくして、湯浴みからゆるゆると立ち上がったこの物語は、数千年のスパンで人類の過去と未来を描き、人間とは何か、生命とは何かを問いなおす、壮大なスケールのガチSFとしての姿をあらわす。(P408 ~ 410/一部略)
※このあと、岸本氏は 「文字の力だけで見たこともない場所や時間に体ごと飛ばされてしまう経験をするたびに、私は感動で打ちのめされ、そして少し怖くなる。こんな世界が丸ごと頭の中から出てくるなんて、作家とはなんてすごい、恐ろしい生き物なんだろうと思う」 と綴っています。
読んで、理解できるかどうかはわかりません。読むには相応の忍耐が必要です。頭をまっさらにし、覚悟を以て挑まなければなりません。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆川上 弘美
1958年東京都生まれ。
お茶の水女子大学理学部卒業。
作品 「神様」「溺レる」「蛇を踏む」「真鶴」「ざらざら」「センセイの鞄」「天頂より少し下って」「水声」「どこから行っても遠い町」他多数
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