『私の頭が正常であったなら』(山白朝子)_書評という名の読書感想文
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『私の頭が正常であったなら』(山白朝子), 作家別(や行), 山白朝子, 書評(わ行)
『私の頭が正常であったなら』山白 朝子 角川文庫 2021年1月25日初版
私の哀しみはどこへゆけばいいのだろう - 切なさの名手が紡ぐ喪失の物語。
最近部屋で、おかしなものを見るようになった夫婦。妻は彼らの視界に入り込むそれを 「幽霊ではないか」 と考え、考察し始める。なぜ自分たちなのか、幽霊はどこにとりついているのか、理系の妻とともに謎を追い始めた主人公は、思わぬ真相に辿りつく。その真相は、おそろしく哀しい反面、子どもを失って日が浅い彼らにとって救いをもたらすものだった - 「世界で一番、みじかい小説」。その他、表題作の 「私の頭が正常であったなら」 や、「トランシーバー」 「首なし鶏、夜をゆく」 「酩酊SF」 など全8篇。それぞれ何かを失った主人公たちが、この世ならざるものとの出会いや交流を通じて、日常から少しずつずれていく・・・・・・・。そのままこちらに帰ってこられなくなる者や、新たな日常に幸せを感じる者、哀しみを受け止め乗り越えていく者など、彼らの視点を通じて様々な悲哀が描かれる、おそろしくも美しい “喪失” の物語。【解説:宮部みゆき】 (KADOKAWAより)
首なし鶏、夜をゆく
父方の祖母の家は山裾の村にあり、周囲に広大な畑と雑木林があるだけの何もない田舎だった。引っ越してきたのは冬の時季で、当時十二歳の僕はクラスになじめず、いつも一人でいた。僕以外にもう一人、教室で孤立している子がいて、それが水野風子だった。
風子の家庭の事情を知ったのは、彼女と親しくなってからだ。両親が交通事故で死んで彼女の人生は一変した。叔母の満代という女がやってきて、ただ一人のこされた彼女をひきとったのだ。満代は風子をいじめた。ろくに食べ物もくれず、風子の血色は悪くなり、笑うことをしなくなった。
学校が終わり、薄暗い曇り空の下、ランドセルを背負って祖母の家まで歩いて帰る。凍てついた砂利道は表面がおろし金のようになっている。雑木林の脇に来たとき、その声が聞こえてきた。
「京太郎。どこなの。京太郎」
枯れ木の入り組んだむこうに、やせっぽっちの人影があった。
「京太郎。ごはんだよ。京太郎ったら」
水野風子だ。薄いピンクのセーターだけではいかにも寒そうな様子である。だれかをさがしているようだ。雑木林を透かして見えるその横顔に、僕は、はっとさせられた。うつむいた状態の彼女しか見たことがなかったから、風子のうつくしい顔立ちに、それまで気づかなかったのだ。風子は僕に気づいておびえるような表情をする。左右の手にそれぞれ、水の入ったコップとぼろぼろの小鍋を持っていた。コップにはなぜかストローがささっている。
「京太郎! 」
僕の足元に何かがいた。白い塊だった。そいつは僕の鼻先までジャンプして、バサバサと翼をうごかす。僕はおどろいてのけぞり、尻もちをついてしまった。白い羽根が何枚か雪のように降っている。
そいつはどうやら鶏のようだった。風子がさがしていた京太郎というのは、こいつのことにちがいない。
「ちがうの! これはちがうの! 」
風子はそう言いながら、僕から守るようにそいつを抱きしめて泣きだす。風子の腕のなかにいるそいつから僕は目が離せなかった。その異様な姿に恐怖する。しかし悲鳴をこらえることができたのは、そういう状態の鶏が存在しうることを本で読んだことがあったおかげだ。
京太郎と呼ばれた鶏は、翼をうごかし、二本の足をぐりぐりとやりながら、白い羽根をちらしている。しかし、あるべきはずのものが見当たらない。鶏冠、嘴、目、つまり首から上の一切が存在しなかったのである。
※鶏の首を刎ねたのは、叔母の満代の仕業でした。京太郎をかわいがる風子へのいやがらせにしたことでした。
ところが、首を失くした京太郎は、それでも生き続けているのでした。風子は、満代に内緒で、京太郎に水をやり餌を与えていました。それを知った僕は、風子と二人だけの秘密にし、僕の部屋で京太郎を飼うことにします。
このことがきっかけで、二人は何でも話し合えるような友だちになりました。お互いに、自分のこれまでのことを教え、他人に話せないような悩みを打ち明けました。
やがて、僕には、首なし鶏と風子の姿が重なって見えるようになります。頭を切り落とされた、体だけの存在。彼女は、何も考えないようにしながら、何も見ないようにしながら、生きています。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆山白 朝子 (乙一の別ペンネーム)
1978年福岡県田主丸町 (現・久留米市) 生まれ。
豊橋技術科学大学工学部エコロジー工学課程卒業。
作品 2005年、怪談専門誌 「幽」 でデビュー。著書に 「死者のための音楽」「エムブリヲ奇譚」「私のサイクロプス」 がある。
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