『噂の女』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文
公開日:
:
最終更新日:2018/05/02
『噂の女』(奥田英朗), 作家別(あ行), 奥田英朗, 書評(あ行)
『噂の女』奥田 英朗 新潮文庫 2015年6月1日発行
糸井美幸は、噂の女 - 彼女は手練手管と肉体を使い、事務員を振り出しに玉の輿婚をなしとげ、高級クラブのママにまでのし上がります。高校まではごく地味だった美幸が、短大時代になると潜在能力に目覚め、いつしか男を虜にする「毒婦」へと変身を遂げます。
この小説は、そんな彼女の道行きを描いています。しかし、彼女を語る前にまず伝えたいのは、市井に暮らす人々に対する著者・奥田英朗のたぐい稀なる観察眼です。際立つ個性を持つ美幸に対し、凡庸を絵に描いたような人々。彼らの姿が、あざやかなまでに活写されます。
平凡にして平均、どこにでもいそうな、私や私の妻のような、愚息のような、隣と向かいで暮らす御近所さんのような人間、つまり「庶民」を描かせれば、奥田英朗に適う作家はそうそういません。
ドラマや映画には決して登場しない人々。故に「本物」の人間が、素顔のままで登場します。彼らの日常は味気なく、さしたる変化もありません。臆病で保守的、自分だけは何とか難を逃れようと必死になります。姑息であろうと、そうして人は生きています。
・・・・・・・・・・
北島雄一は社会人一年生。地方都市の小さな商事会社に勤めています。わざわざ三流の烙印を捺されに入ったような私大の経済学部で、何に熱中するでもなく、アルバイトと麻雀に明け暮れ、結果面接だけで潜り込んだのが、この社員10人の会社です。
会社の先輩・田口が中古車を買うと、その日のうちに電気系統がだめになります。主任の後藤は田口に対し、ディーラーにクレームを付けに行こうと言い出します。雄一は、田口と後藤、この2人の先輩とはいつも行動を共にしています。会社を定時に上がり、近くの喫茶店で打ち合せをしたあと、3人はディーラーへと向かいます。(第一話「中古車販売店の女」)
洋平は地元の高校を出たあと、調理師を目指して専門学校に入るのですが、遊び呆けるばかりで、技術を習得することもなく卒業し、居酒屋チェーンに就職します。しかし、そこを半年で辞め、アルバイトを転々としたあと就職したのが「株式会社信頼堂」。
信頼堂は社員20人の衣料品問屋、昼間は得意先回りですが、仕事内容は宅配便の運転手と変わりなく、単調で退屈な仕事です。なので麻雀でもしないと、一日に何のメリハリもありません。洋平は今日もいつもの同僚と連れ立って、会社の近くに新しく開店したという麻雀荘へ向かいます。(第二話「麻雀荘の女」)
半年後に結婚を控えた岡本小百合は、地方都市に暮らす24歳のOL。平凡なサラリーマン家庭の長女で、平凡な人生を歩んでいます。若い頃は色々と夢はあったものの、実際は地元の小さな衣料品販売会社に就職し、毎日同じような日々を送っています。
婚約者は、4つ年上の市役所勤務の公務員。友人のカップルそれぞれの紹介で知り合い、その友人カップルが結婚したことに触発されて、じゃあ自分たちもという話になりました。何だか団体客の部屋割りみたいなことですが、地方の結婚とは大概がそういうケースです。
アフターファイブの料理教室は、結婚を控えた二十代の女性ばかりで、小百合はここで、糸井美幸と出会います。(第三話「料理教室の女」)小百合から見た美幸の印象はと言うと、美人というわけではないのですが、唇が厚くて、肉感的で、いかにも男好きのするタイプ。大きなバストが、黒いニットを押し上げています。
これが男から見た印象となると、一段と卑猥さ具合が強まります。
例えば、第二話の雀荘での場面。午後10時、美幸は遅番の従業員として洋平たちの前に現れます。美幸は20歳にも、28歳にも見えます。決して美人ではなく、スタイル抜群というほどでもないのですが、どこか蛙を思わせる面相と白いもち肌が男心を誘います。「セックス好きそうやな」「あれはやりまくっとる顔やね」・・・・・・・ それぞれ勝手なことを言い、男たちは盛上がります。
・・・・・・・・・・
第一話では、雄一たちがクレームを付けに行く中古車販売店で事務員をしているのが美幸。彼女と雄一は中学校の同級生ですが、雄一は最初それに気付きません。雄一の記憶にある中学生時代の美幸は、地味な顔立ちの、さえない女子でした。
そんな美幸が、驚くべき変貌を遂げています。雄一は、いったいどこでどうなったのかと思うのですが、実は美幸の変貌ぶりはその程度ではありません。「あくまでも噂」ですが、美幸は勤めている会社の社長の愛人で、すでに短大時代から囲われていると聞かされます。
第四話「マンションの女」に続き、「パチンコの女」「柳ケ瀬の女」「和服の女」「檀家の女」「内偵の女」「スカイツリーの女」と、全部で10話。話が進むにつれ、美幸は色香を増し、妖艶になり、遂には毒婦となります。
彼女には、いつも黒い噂がつきまといます。そこにあるのは、理屈ではどうにもならない男と女の愛と飽くなき欲望 - 本性に目覚めた一人の女と、その女に絡めとられる周囲の人々のあわてふためきぶりを、とくとご賞味ください。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆奥田 英朗
1959年岐阜県岐阜市生まれ。
岐阜県立岐山高等学校卒業。プランナー、コピーライター、構成作家を経て小説家。
作品 「ウランバーナの森」「最悪」「邪魔」「東京物語」「空中ブランコ」「町長選挙」「沈黙の町で」「無理」「我が家の問題」「オリンピックの身代金」「ナオミとカナコ」他多数
◇ブログランキング
関連記事
-
-
『星に願いを、そして手を。』(青羽悠)_書評という名の読書感想文
『星に願いを、そして手を。』青羽 悠 集英社文庫 2019年2月25日第一刷 星に願いを、そ
-
-
『逢魔が時に会いましょう』(荻原浩)_書評という名の読書感想文
『逢魔が時に会いましょう』荻原 浩 集英社文庫 2018年11月7日第2刷 逢魔が時に会いま
-
-
『星の子』(今村夏子)_書評という名の読書感想文
『星の子』今村 夏子 朝日新聞出版 2017年6月30日第一刷 星の子 林ちひろは中学3年生
-
-
『噂』(荻原浩)_書評という名の読書感想文
『噂』荻原 浩 新潮文庫 2018年7月10日31刷 噂 (新潮文庫) 「レインマンが出没し
-
-
『女たちの避難所』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文
『女たちの避難所』垣谷 美雨 新潮文庫 2017年7月1日発行 女たちの避難所 (新潮文庫)
-
-
『私の恋人』(上田岳弘)_書評という名の読書感想文
『私の恋人』上田 岳弘 新潮文庫 2018年2月1日発行 私の恋人 (新潮文庫) 一人
-
-
『愛と人生』(滝口悠生)_書評という名の読書感想文
『愛と人生』滝口 悠生 講談社文庫 2018年12月14日第一刷 愛と人生 (講談社文庫)
-
-
『アズミ・ハルコは行方不明』(山内マリコ)_書評という名の読書感想文
『アズミ・ハルコは行方不明』山内 マリコ 幻冬舎文庫 2015年10月20日初版 アズミ・ハル
-
-
『バールの正しい使い方』(青本雪平)_書評という名の読書感想文
『バールの正しい使い方』青本 雪平 徳間書店 2022年12月31日初刷 僕たちは
-
-
『兄の終い』(村井理子)_書評という名の読書感想文
『兄の終い』村井 理子 CCCメディアハウス 2020年6月11日初版第5刷 兄の終い