『噂の女』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/14 『噂の女』(奥田英朗), 作家別(あ行), 奥田英朗, 書評(あ行)

『噂の女』奥田 英朗 新潮文庫 2015年6月1日発行

糸井美幸は、噂の女 - 彼女は手練手管と肉体を使い、事務員を振り出しに玉の輿婚をなしとげ、高級クラブのママにまでのし上がります。高校まではごく地味だった美幸が、短大時代になると潜在能力に目覚め、いつしか男を虜にする「毒婦」へと変身を遂げます。

この小説は、そんな彼女の道行きを描いています。しかし、彼女を語る前にまず伝えたいのは、市井に暮らす人々に対する著者・奥田英朗のたぐい稀なる観察眼です。際立つ個性を持つ美幸に対し、凡庸を絵に描いたような人々。彼らの姿が、あざやかなまでに活写されます。

平凡にして平均、どこにでもいそうな、私や私の妻のような、愚息のような、隣と向かいで暮らす御近所さんのような人間、つまり「庶民」を描かせれば、奥田英朗に適う作家はそうそういません。

ドラマや映画には決して登場しない人々。故に「本物」の人間が、素顔のままで登場します。彼らの日常は味気なく、さしたる変化もありません。臆病で保守的、自分だけは何とか難を逃れようと必死になります。姑息であろうと、そうして人は生きています。
・・・・・・・・・・
北島雄一は社会人一年生。地方都市の小さな商事会社に勤めています。わざわざ三流の烙印を捺されに入ったような私大の経済学部で、何に熱中するでもなく、アルバイトと麻雀に明け暮れ、結果面接だけで潜り込んだのが、この社員10人の会社です。

会社の先輩・田口が中古車を買うと、その日のうちに電気系統がだめになります。主任の後藤は田口に対し、ディーラーにクレームを付けに行こうと言い出します。雄一は、田口と後藤、この2人の先輩とはいつも行動を共にしています。会社を定時に上がり、近くの喫茶店で打ち合せをしたあと、3人はディーラーへと向かいます。(第一話「中古車販売店の女」)

洋平は地元の高校を出たあと、調理師を目指して専門学校に入るのですが、遊び呆けるばかりで、技術を習得することもなく卒業し、居酒屋チェーンに就職します。しかし、そこを半年で辞め、アルバイトを転々としたあと就職したのが「株式会社信頼堂」。

信頼堂は社員20人の衣料品問屋、昼間は得意先回りですが、仕事内容は宅配便の運転手と変わりなく、単調で退屈な仕事です。なので麻雀でもしないと、一日に何のメリハリもありません。洋平は今日もいつもの同僚と連れ立って、会社の近くに新しく開店したという麻雀荘へ向かいます。(第二話「麻雀荘の女」)

半年後に結婚を控えた岡本小百合は、地方都市に暮らす24歳のOL。平凡なサラリーマン家庭の長女で、平凡な人生を歩んでいます。若い頃は色々と夢はあったものの、実際は地元の小さな衣料品販売会社に就職し、毎日同じような日々を送っています。

婚約者は、4つ年上の市役所勤務の公務員。友人のカップルそれぞれの紹介で知り合い、その友人カップルが結婚したことに触発されて、じゃあ自分たちもという話になりました。何だか団体客の部屋割りみたいなことですが、地方の結婚とは大概がそういうケースです。

アフターファイブの料理教室は、結婚を控えた二十代の女性ばかりで、小百合はここで、糸井美幸と出会います。(第三話「料理教室の女」)小百合から見た美幸の印象はと言うと、美人というわけではないのですが、唇が厚くて、肉感的で、いかにも男好きのするタイプ。大きなバストが、黒いニットを押し上げています。

これが男から見た印象となると、一段と卑猥さ具合が強まります。

例えば、第二話の雀荘での場面。午後10時、美幸は遅番の従業員として洋平たちの前に現れます。美幸は20歳にも、28歳にも見えます。決して美人ではなく、スタイル抜群というほどでもないのですが、どこか蛙を思わせる面相と白いもち肌が男心を誘います。「セックス好きそうやな」「あれはやりまくっとる顔やね」・・・・・・・ それぞれ勝手なことを言い、男たちは盛上がります。
・・・・・・・・・・
第一話では、雄一たちがクレームを付けに行く中古車販売店で事務員をしているのが美幸。彼女と雄一は中学校の同級生ですが、雄一は最初それに気付きません。雄一の記憶にある中学生時代の美幸は、地味な顔立ちの、さえない女子でした。

そんな美幸が、驚くべき変貌を遂げています。雄一は、いったいどこでどうなったのかと思うのですが、実は美幸の変貌ぶりはその程度ではありません。「あくまでも噂」ですが、美幸は勤めている会社の社長の愛人で、すでに短大時代から囲われていると聞かされます。

第四話「マンションの女」に続き、「パチンコの女」「柳ケ瀬の女」「和服の女」「檀家の女」「内偵の女」「スカイツリーの女」と、全部で10話。話が進むにつれ、美幸は色香を増し、妖艶になり、遂には毒婦となります。

彼女には、いつも黒い噂がつきまといます。そこにあるのは、理屈ではどうにもならない男と女の愛と飽くなき欲望 - 本性に目覚めた一人の女と、その女に絡めとられる周囲の人々のあわてふためきぶりを、とくとご賞味ください。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆奥田 英朗
1959年岐阜県岐阜市生まれ。
岐阜県立岐山高等学校卒業。プランナー、コピーライター、構成作家を経て小説家。

作品 「ウランバーナの森」「最悪」「邪魔」「東京物語」「空中ブランコ」「町長選挙」「沈黙の町で」「無理」「我が家の問題」「オリンピックの身代金」「ナオミとカナコ」他多数

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『緋い猫』(浦賀和宏)_書評という名の読書感想文

『緋い猫』浦賀 和宏 祥伝社文庫 2016年10月20日初版 17歳の洋子は佐久間という工員の青年

記事を読む

『揺籠のアディポクル』(市川憂人)_書評という名の読書感想文

『揺籠のアディポクル』市川 憂人 講談社文庫 2024年3月15日 第1刷発行 孤立した無菌

記事を読む

『エンド・オブ・ライフ』(佐々涼子)_書評という名の読書感想文

『エンド・オブ・ライフ』佐々 涼子 集英社文庫 2024年4月25日 第1刷 「理想の死」

記事を読む

『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』(李龍徳)_書評という名の読書感想文

『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』李 龍徳 河出書房 2022年3月20日初版 日

記事を読む

『乙女の家』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

『乙女の家』朝倉 かすみ 新潮文庫 2017年9月1日発行 内縁関係を貫いた曾祖母、族のヘッドの子

記事を読む

『あの家に暮らす四人の女』(三浦しおん)_書評という名の読書感想文

『あの家に暮らす四人の女』三浦 しおん 中公文庫 2018年9月15日7刷 ここは杉並の古びた洋館

記事を読む

『田村はまだか』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

『田村はまだか』朝倉 かすみ 光文社 2008年2月25日第一刷 田村は、私の妻の旧姓です。そん

記事を読む

『向田理髪店』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『向田理髪店』奥田 英朗 光文社 2016年4月20日初版 帯に[過疎の町のから騒ぎ]とあり

記事を読む

『マッチング』(内田英治)_書評という名の読書感想文

『マッチング』内田 英治 角川ホラー文庫 2024年2月20日 3版発行 2024年2月23

記事を読む

『いっそこの手で殺せたら』(小倉日向)_書評という名の読書感想文

『いっそこの手で殺せたら』小倉 日向 双葉文庫 2024年5月18日 第1刷発行 覚悟がある

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『神童』(谷崎潤一郎)_書評という名の読書感想文

『神童』谷崎 潤一郎 角川文庫 2024年3月25日 初版発行

『孤蝶の城 』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『孤蝶の城 』桜木 紫乃 新潮文庫 2025年4月1日 発行

『春のこわいもの』(川上未映子)_書評という名の読書感想文

『春のこわいもの』川上 未映子 新潮文庫 2025年4月1日 発行

『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)_書評という名の読書感想文

『銀河鉄道の夜』宮沢 賢治 角川文庫 2024年11月15日 3版発

『どうしてわたしはあの子じゃないの』(寺地はるな)_書評という名の読書感想文

『どうしてわたしはあの子じゃないの』寺地 はるな 双葉文庫 2023

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑