『身分帳』(佐木隆三)_書評という名の読書感想文

『身分帳』佐木 隆三 講談社文庫 2020年7月15日第1刷

身分帳 (講談社文庫)

人生の大半を獄中で過ごした受刑10犯の男が極寒の刑務所から満期で出所した。身寄りのない無骨者が、人生を再スタートしようと東京に出て、職探しを始めるが、世間のルールに従うことができず衝突と挫折の連続に戸惑う - 西川美和監督の映画 「すばらしき世界」 原案になった傑作ノンフィクション・ノベル。伊藤整文学賞受賞作品。(講談社文庫)

主演 役所広司 西川美和監督最新作 2021年春公開予定 「すばらしき世界」 の原案 佐木隆三 『身分帳』 を読みました。

- 初版は1990年で、これも紙の書籍は絶版状態だった。ネットで取り寄せた文庫本の日焼けしたページをめくってみれば、地味なタイトルの印象は裏切られることもなく、過去に殺人を犯した男が刑務所から出てきたその後の日常が軸になっていた。つまり主題は 「大きな物語のその後」。永山則夫や福田和子やオウムのように世間を騒がせた凶悪犯罪の成り立ちや狂気を紐解くでもなく、いわゆるミステリーの 「フーダニット (誰がやったか)」 や 「ホワイダニット (なぜやったか)」 の緊張もなく、代わりに描かれるのはひたすら瑣末で、面倒で、時に馬鹿げてさえ見える 「生きていくための手続き」 である。

主人公は13年間の獄中生活を経て旭川刑務所を出所し、人生の再スタートを切ろうと東京暮らしを始めるが、切符を買うにも電車に乗るにも、浜に戻った浦島太郎のごとくぎこちなく、窓口の係の口ぶりひとつにも、過去を咎められた気になって過敏に触れてしまう。普通の人にしてみれば 「凡々たる日常」 であるものが、裏社会と塀の中でしか生きてこなかった主人公には衝突と挫折の連続で全く凡々と進まないのだ。

こんなにも退屈かつ切実な物語があるだろうか、と私は晩秋の夜布団にくるまりながらページをめくる手を止められなくなっていた。殺人、戦争、災厄、宇宙人襲来、それらの大惨事は物語の主題になりやすいが、現実には宇宙人を人類が撃退したそのあと、草の根も生えなくなった世界をどう生きていくかの方がよりきついし長い。

しかしその日常を描こうとする人は少ない。そこにヒロイズムやカタルシスを見いだすのは難しいからだ。荒みきった土地に散らばった瓦礫の破片を手で拾い集めるような先の見えない手続きの連続は、物語になりづらい。

けれど世界中で多くの人はもはや気づき始めている。恋愛も、戦争も、ドラマに満ちていて興奮するけれど、大変なのはその後の落とし前なのだと。どう生きるべきか人が本当に迷うのは、大いなる物語や大義を失ったその後だ。目に見えづらい苦境に立たされた中で、分かり合えぬ他者を貶めず、言葉を交わし、とるに足らぬことにでも希望を見つけながら互いの生命を保つ。たったそれだけのことができず、世界は音もなく、容易に壊れてしまう。(P449 ~ 450/西川美和 「復刊にあたって」 より)

こう書く、私は西川美和という人物を心から尊敬しています。彼女の言う通り、この小説には 「ヒロイズムやカタルシス」 といったものは一切ありません。

それでも読んで (読めて) しまうのは、縁も所縁もない、前科10犯の山川一 (やまかわ・はじめ) という男の、刑期を終えた後の短い生涯に何を感じるからなのでしょう? その特異な生い立ちに、何を思うからなのでしょう。

この本を読んでみてください係数 85/100

身分帳 (講談社文庫)

◆佐木 隆三
1937年旧朝鮮・咸鏡北道生まれ。2015年、逝去。
福岡県立八幡中央高校卒業後、八幡製鐵株式会社八幡製鐵所入社。64年、退社。

作品 「ジャンケンポン協定」「復讐するは我にあり」「殺人百科」「海燕ジョニーの奇跡」「宮崎勤裁判」「死刑囚 永山則夫」他多数

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