『空港にて』(村上龍)_書評という名の読書感想文

『空港にて』村上 龍 文春文庫 2005年5月10日初版


空港にて (文春文庫)

 

 

ここには8つの短編が収められていますが、その中のひとつ、表題作の「空港にて」は、村上龍自身が30年に及ぶ作家生活で「最高の短編を書いた」と語る作品です。おそらく、これが改題の理由かな、と今更ながらに思うのですが、定かなことではありません。
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「空港にて」を簡単にまとめると、2年前に離婚して、4歳になる男の子がいる〈私〉が、勤めている風俗店で馴染みになったコンサルティング会社に勤める6歳年下のサイトウという男に勧められて、義肢装具士になるための養成学校がある熊本へ行く話です。

物語は、〈私〉がサイトウと待ち合わせの約束をしている全日空のチェックインカウンター前から始まり、搭乗予定時間ギリギリにサイトウがやって来るところで終わります。時間にするとほんの数十分。その僅かな時間に、〈私〉だけが語り続けます。

〈私〉は、〈私〉の身の上を語り、サイトウとの出会いから熊本行きの飛行機に搭乗するに至った経緯を語る一方で、空港の場景や出入りする人々、〈私〉の目の前に座る中年の男、その男が立ち去ったあとに来た初老の夫婦らしき男女の二人連れの様子を語ります。

〈私〉は空港の中を見回します。ここにはレストランやショップがあり、ペルシャ絨毯から生理用品まで、何でも売っています。ロビーに備え付けられたテレビではワイドショーが放映されていて、隣の男女はお互いに別の誰かにメールを送っているようです。

20代の2人が旅の楽しさをメールでそれぞれの友人に書き送る、初老の女が無表情で連れ合いの男が喫煙コーナーから戻るのを待っている、孫に焼き殺された老婦人をワイドショーの出演者が同情する、それらはすべてごく自然なことだけど、

33歳で子持ちでバツイチで風俗で働く女が、地雷で足を失った人のために義足を作りたいと思うのは異常だ。だから誰にも言えなかった、と〈私〉は思っています。
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特筆すべきは、〈私〉の身の上話やサイトウとの馴れ初めを語る克明さと同じ質量で、空港に集う数多くの見知らぬ人々と、彼らの所作の一々が描写されることです。

中年の男が持っている週刊誌の表紙を飾る女優の、顔は見たことがあるけれど名前が思い出せないことであるとか、その中年男と視線が合って、男が〈私〉の目から肩、そしてからだに沿って下りていって足先までを短い時間で眺めたことであるとか、

初老の夫婦らしき2人はいかにもこれから田舎に戻るというような身なりであるとか、男がマイルドセブンを取り出して喫煙コーナーへ行くだとか、女がセロファンに包まれたお菓子を両手で隠すようにして中身を出して、舌と歯でほぐすように食べたことであるとか。

村上龍は、あとがきでこんな風に解説しています。
【私は、居酒屋や公園やコンビニなど、日本のどこにでもある場所を舞台にして、時間を凝縮した手法を使って、海外に留学することが唯一の希望であるような人間を書こうと思った】

「時間を凝縮した手法」、つまり明確な意図のもとに、〈私〉が見える〈私〉以外の人や物、〈私〉の意思とは無関係に機能しているあらゆる事象が羅列されているのです。そうすることで、他人と共有できない「個別の希望」はより鮮明な形で読者の前に提示されることになります。
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この小説は、ある出版社の留学情報誌のために書かれたものです。ですから「海外に留学することが唯一の希望であるような人間を書こうとした」のは至極自然なことですが、これは村上龍にとっても、まさに時宜を得た仕事だったのではないかと思います。

村上龍は、日本の社会へ向けて常に熱いメッセージを送り続けている作家です。日本という国を「希望のない国」だと憂い、「きっとそのうち良くなる」とは言わず、「このまま何もしなければ、もっとまずいことになる」という警告に換えて発信します。

社会の絶望や退廃を描くことは今や非常に簡単で、近代化が終焉して久しい現代に、そんな手法とテーマの小説はもう必要ではない、と言い切ります。だから、社会的な希望ではなく、他人と共有できない個別の希望を書き込みたかった、と言っているのです。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


空港にて (文春文庫)

◆村上 龍

1952年長崎県佐世保市生まれ。本名は村上龍之助。
武蔵野美術大学造形学部中退。

作品 「限りなく透明に近いブルー」「コインロッカー・ベイビーズ」「愛と幻想のファシズム」「五分後の世界」「希望の国のエクソダス」「半島を出よ」他多数

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