『さよなら渓谷』(吉田修一)_書評という名の読書感想文

『さよなら渓谷』 吉田 修一 新潮社 2008年6月20日発行

この作品は昨年の6月に映画化され、大きな反響を呼んだのはまだ記憶に新しいところです。主演の真木よう子はこの作品で主演女優賞に輝きました。彼女の歌うエンディングも映像の色調にぴったりで、演技同様高い評価を受けました。

吉田修一の小説は、よく映画になります。小説を読み出せば、そのことはすぐに気が付くはずです。場所の設定が巧みで、小説を読みながらそれこそ映画を観るように場面ごとの光景が鮮やかに目の前に現れてきます。

『さよなら渓谷』 とは格別にセンチメンタルなタイトルで、緑深く茫洋とした渓谷の遠景が小説の基調とみごとに合致しています。

都会から離れた、少し歩けば渓谷に出るような場所にある市営団地に報道関係者の車が詰めかけています。団地に住む立花里美の一人息子で4歳の誕生日を迎えたばかりの萌の遺体が、桂川渓谷で発見されたのです。

この騒動が始まりで、やがて話は里実の隣に住む尾崎俊介と妻かなこへと移っていきます。

ごく普通の夫婦にしか見えなかった俊介とかなこが、実は到底常識では考えられない「奇異」な関係であることが暴かれます。

原因は遠く15年前、俊介が大学生、かなこが高校生のときに起きてしまった消し去ることができない悲劇にありました。

・・・・・・・・・・・

この小説は、集団レイプの被害者と主犯格の男との間に愛情は生まれるのか、という重い問いをテーマとしています。

当時大学の体育会系の団体で集団レイプが多発していたことがこの小説を書くきっかけになったと、吉田修一は述べています。

加害者である男性の俊介と被害者になった女性かなこ(実はかなこは偽名なのですが)の視点が隔てなく書かれてあるのはさすがです。

映画ではかなこ役の真木よう子がより注目されがちですが、加害者である俊介も事件以降時間は止まったままで悔恨の海を漂っています。

そんな男女が、なぜ一緒に暮らすことになったのか。

「私達は、決して幸せになるために一緒にいるんじゃない」とかなこは言います。その言葉は、かなこの胸を抉る悲痛な嘆きです。

かなこにとって自分が「特別扱い」されないのは、自分を凌辱した本人俊介ただ一人きりなのだという、あまりに哀しすぎる事実。

決して私達は幸せになってはならない、それを互いに忘れないために一緒に暮らしている二人とはなんと不幸な関係なのでしょう。

何処にいても、誰と触れ合っても断ち切れない過去、いずれ暴かれ傷ついて、終りのない堂々巡りがこの先もずっと続いていく絶望。

果てない後悔と懺悔の日々は、これから二人にどんな未来をもたらすのでしょうか。

この本を読んでみてください係数  80/100


◆吉田 修一

1968年長崎県長崎市生まれ。

法政大学経営学部卒業。

作品 「最後の息子」「熱帯魚」「パレード」「パーク・ライフ」「日曜日たち」「東京湾景」「7月24日通り」「女たちは二度遊ぶ」「悪人」「横道世之介」「平成猿蟹合戦図」

「愛に乱暴」「怒り上・下」など多数

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