『メタモルフォシス』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文

『メタモルフォシス』羽田 圭介 新潮文庫 2015年11月1日発行


メタモルフォシス (新潮文庫)

 

その男には2つの顔があった。昼は高齢者に金融商品を売りつける高給取りの証券マン。一転して夜はSMクラブの女王様に跪き、快楽を貪る奴隷。よりハードなプレイを求め、死ぬほどの苦しみを味わった彼が見出したものとは - 芥川賞選考委員の賛否が飛び交った表題作のほか、講師と生徒、奴隷と女王様、公私で立場が逆転する男と女の奇妙な交錯を描いた「トーキョーの調教」収録。(新潮文庫解説より)

第151回芥川賞候補作です。『スクラップ・アンド・ビルド』『ミート・ザ・ビート』に続いて、3作目を読んだことになります。

3つ読んで思ったのは、それぞれのテーマがまるで違うということ。それをもって興味の幅が広いと言うべきなのか、あるいは一貫性に欠けると言った方がいいかは、正直よく分かりません。言えるのは、3作程度では彼の正体は分からない、ということです。

羽田圭介が書くものには普通の人とは微妙に異なるズレのようなものがあり、それが大きな魅力であるような気がします。良く言えば特異稀な感覚、悪く言うと単に卑小な、独りよがりの思い込み、のようなものです。

〈怖いもの見たさ〉ではありませんが、いわば〈嫌なもの見たさ〉で読みたくなる - 本当は自分にもあって、でも恥ずかしいし知られたくもないので黙って気付かぬふりをしているような諸々の感情や行為について、羽田圭介は臆面なくコトバに晒してみせます。

『メタモルフォシス』は、そのタイトル通り、変態男が語る、真に変態の物語です。世間によくある程度の変質者や、特異な性癖を持っただけの男の話ではありません。

主人公は、サトウという20代の男。ややブラックがかった証券会社で働くサラリーマンのサトウには、もう一つ別の顔があります。彼は真性のマゾヒストで、通いなれたSMクラブではそれなりに名の知れた人物です。サトウは、サトウという本名で遊んでいます。

黒色ビキニのパンツに「亀甲縛り」で自由に身動きできない姿 - それがクラブでの基本で、その恰好のまま、例えば、サトウは上野公園内にある東京国立博物館本館にほど近い東洋館の軒先にある植え込みに隠れるようにして、微動だにせずただじっと立っています。

近くでは、もう半時間近くも若いカップルが互いの身体をまさぐりあっています。照明が落とされているとはいえ、少しでも動いてしまえば、気配に敏感になっているカップルには気付かれてしまいます。仮にも通報されたら、彼の社会的人生は終わることになります。

しかし、サトウはそれまでに経験した幾度もの危機的状況を思い出し、閉園時刻である午後11時を迎えるまでの残り数十分を、奴隷としての忍耐力が試されているとして、ひたすら耐え忍ぼうと思い、また彫像と化している限り必ずや耐え切れるとも思っています。

サトウがしているのは、SMクラブの売りのひとつである「野外放置プレイ」。サトウは思います。閉園時間を過ぎても公園内に潜み続けることはできるが、一般来園者たちというギャラリーがいない状態では意味がない。かくれんぼうをしているわけではないのです。

閉園時刻間近になれば光女王様が服を持ってこの場へやって来てくれるはずであるとサトウは思い、それとは別に、遠く海を隔てたニューヨーク証券取引所では東京から13時間半遅れの夏期午前相場が始まった頃であり、当然為替相場も動き続けている時間なのだと思うのでした。
・・・・・・・・・・
さて、読者のみなさんはこのあと、おそらくは聞きかじりやのぞき見程度にしか知らない、あるいはまったく聞いたことも見たこともないSM業界の実態、客が何を望み、女王様たちが如何にしてその願いに添うのかを、嫌というほど知らされることになります。

放置プレイを始め、その他の様々なプレイ、サトウら同好の輩はそれらを「調教」と呼び、「従わざるを得ない」状況に自らを置いて、虐げられ、蔑まれることに無上の喜びを感じるのです。

そしてまた、その先にあるであろうさらなる至福の瞬間を求めて、彼らのおぞましくも凄まじい性向は、果てしなく過激なものへと昇りつめて行きます。

「今まで以上に、虫けら扱いされたいと思いまして・・・」

そう思ったサトウは、初めて同時に2人の女王様の指名予約をし、他にもうひとつ、特殊な要望を伝えます。これまでずっと、自分とは無関係な嗜好として避け続けてきたオプションプレイの予約です。

サトウが求めたのは、「死の間際の境地」。死にたいわけではありません。彼はむしろ生きたいと願っているのですが、ある人物、ある事件のせいで、命の際まで自分を追い立てようとしています。サトウは、人であって、人でないところの自分を探しています。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


メタモルフォシス (新潮文庫)

◆羽田 圭介
1985年東京都生まれ。
明治大学商学部卒業。

作品 「黒冷水」「走ル」「不思議の国の男子」「盗まれた顔」「スクラップ・アンド・ビルド」「ミート・ザ・ビート」他

関連記事

『透明な迷宮』(平野啓一郎)_書評という名の読書感想文

『透明な迷宮』平野 啓一郎 新潮文庫 2017年1月1日発行 透明な迷宮 (新潮文庫) 深夜

記事を読む

『緑の毒』桐野夏生_書評という名の読書感想文

『緑の毒』 桐野 夏生 角川文庫 2014年9月25日初版 緑の毒 (角川文庫) &nb

記事を読む

『百瀬、こっちを向いて。』(中田永一)_書評という名の読書感想文

『百瀬、こっちを向いて。』中田 永一 祥伝社文庫 2010年9月5日初版 百瀬、こっちを向いて

記事を読む

『走ル』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文

『走ル』羽田 圭介 河出文庫 2010年11月20日初版 走ル (河出文庫)  

記事を読む

『豆の上で眠る』(湊かなえ)_書評という名の読書感想文

『豆の上で眠る』湊 かなえ 新潮文庫 2017年7月1日発行 豆の上で眠る (新潮文庫) 小

記事を読む

『マタタビ潔子の猫魂』(朱野帰子)_派遣OL28歳の怒りが爆発するとき

『マタタビ潔子の猫魂』朱野 帰子 角川文庫 2019年12月25日初版 マタタビ潔子の猫魂

記事を読む

『ひゃくはち』(早見和真)_書評という名の読書感想文

『ひゃくはち』早見 和真 集英社文庫 2011年6月30日第一刷 ひゃくはち (集英社文庫)

記事を読む

『水やりはいつも深夜だけど』(窪美澄)_書評という名の読書感想文

『水やりはいつも深夜だけど』窪 美澄 角川文庫 2017年5月25日初版 水やりはいつも深夜

記事を読む

『マチネの終わりに』(平野啓一郎)_書評という名の読書感想文

『マチネの終わりに』平野 啓一郎 朝日新聞出版 2016年4月15日第一刷 マチネの終わりに

記事を読む

『スリーピング・ブッダ』(早見和真)_書評という名の読書感想文

『スリーピング・ブッダ』早見 和真 角川文庫 2014年8月25日初版 スリーピング・ブッダ

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『人間タワー』(朝比奈あすか)_書評という名の読書感想文

『人間タワー』朝比奈 あすか 文春文庫 2020年11月10日第1刷

『かか』(宇佐見りん)_書評という名の読書感想文

『かか』宇佐見 りん 河出書房新社 2019年11月30日初版

『希望病棟』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『希望病棟』垣谷 美雨 小学館文庫 2020年11月11日初版

『JR上野駅公園口』(柳美里)_書評という名の読書感想文

『JR上野駅公園口』柳 美里 河出文庫 2017年2月20日初版

『裏アカ』(大石圭)_書評という名の読書感想文

『裏アカ』大石 圭 徳間文庫 2020年5月15日初刷 裏アカ

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑